アッシリアの日食
アッシリアの日食(アッシリアのにっしょく)またはブル・サガレの日食(ブル・サガレのにっしょく)とは、新アッシリア帝国のエポニム表に記録されている日食で、アッシュル・ダン3世の治世の10年目に発生した可能性が最も高いと考えられている。この日食は紀元前763年6月15日(先発ユリウス暦)に発生したものに同定されている。
該当する記述は以下のように短い。
該当する部分で使われているアッシリア語の単語「シャマシュ」(太陽)と「アカッル」(曲がっている) という単語は19世紀半ばに初めて楔形文字が解読されて以来、日食があったという証拠として解釈されている。「ブル・サガレ」(「ブル・サギッレ」「プル・サガレ」「パル・サガレ」などと表記される場合もある)という名前は当時のエポニム式紀年法で使われていたリンムの名前である。
1867年に、英国のヘンリー・ローリンソンは紀元前763年6月15日に起きた日食をアッシリアの日食の最有力候補として同定した[1]。アッシリア北部では、この日食は正午の直前に見られた。それ以来、この日付はア広く受け入れられている。同じ時期の他の天体観測の記録からも、この特定が適切であることが導ける[2]。そのため、この記録は古代オリエントの編年を決定するための絶対的な証拠として非常に重要である。
現代の計算によれば、この日食は皆既日食であり、アフリカ・アジア・ヨーロッパの広範囲で部分日食が見られた。アフリカ西端のヴェルデ岬近傍で始まった皆既帯はサハラ砂漠を横断して地中海に入りキプロス島を通過した後、歴史的シリアに上陸してアッシリア北部に達した。アッシリアを通過した皆既帯はカスピ海南部を横断し、この東岸(現在のトルクメニスタン、北緯38度54分 東経54度18分 / 北緯38.9度 東経54.3度)で協定世界時8時14分1秒に食分1.05962で最大食を迎えた。この地点では5分間皆既日食が見られた。その後、皆既帯は中央アジア、チベット高原を通って中国華南地方から南シナ海に出て、ルソン島を通過した。そして、フィリピン海に入ったところで日没となり皆既日食は終了した。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ Rawlinson, Henry Creswicke, "The Assyrian Canon Verified by the Record of a Solar Eclipse, B.C. 763", The Athenaeum: Journal of Literature, Science and the Fine Arts, nr. 2064, 660-661 [18 May 1867].[1]
- ^ Hermann Hunger, "Zur Datierung der neuassyrischen Eponymenliste," Altorientalische Forschungen, Vol. 35:2, 2008, pp. 323-325. An English translation is available on the web: [2]