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アダム・アウグスト・ミュラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アダム・アウグスト・ミュラー
Adam August Müller
生誕 1811年8月16日
 デンマーク,コペンハーゲン
死没 1844年3月15日
 デンマーク,コペンハーゲン
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アダム・アウグスト・ミュラー(Adam August Müller、1811年8月16日 - 1844年3月15日)はデンマークの画家である。

略歴

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コペンハーゲンで生まれた。父親はコペンハーゲン大学の神学の教授やデンマークの最高位の司教を務めた人物で、兄弟に貨幣学者のルートヴィヒ・ミューラーやドイツの州会議員となったオットー・ミュラーがいる。

1825年からデンマーク王立美術院に入学し、「デンマーク黄金時代」と呼ばれる時代の中心的な画家、クリストファー・エカスベアに学び、エカスベアのお気に入りの弟子になった[1] 。1828年に上級課程に進み、翌年に展覧会に出展し、1830年には何点かの肖像画を出展し、2点が王立絵画コレクションに買い上げられた[2][3] 。シャーロッテンボー宮殿で開かれる展覧会に出展し、1833年に銀賞、1836年に金賞を受賞した[4]

1838年にハインリヒ・エッデリーンと、イタリア留学の奨学資金を競い、投票ではエッデリーンが選ばれたが、審査委員長を務めたベルテル・トルバルセンの配慮で、エッデリーンとともに奨学金が与えられることになった。1839年にミュンヘンを訪れた後、イタリアに留学し、13~17世紀に隆盛を極めたフィレンツェの絵画を研究した。

結核に罹患し、イタリア滞在中も健康状態は悪くなった。コペンハーゲンに帰国後、いくつかの未完成の作品を残して33歳で亡くなった。

作品

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参考文献

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  1. ^ "C. W. Eckersberg og hans elever", Statens Museum for Kunst, Copenhagen, 1983, p. 124.
  2. ^ A. Jantzen. “Müller, Peter Erasmus, 1776-1834”. Dansk biografisk Lexikon. March 1, 2019閲覧。
  3. ^ Philip Weilbach. Müller, Adam August, 1811-44 Dansk biografisk leksikon , Vol 11, p. 565, C. F. Bricka, Gyldendal, Copenhagen 1887–1905.
  4. ^ Jens Peter Munk. “Adam Müller”. Kunstindeks Danmark & Weilbach Kunstnerleksikon. March 1, 2019閲覧。