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アタ・ジュルト党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アタ・ジュルト党(キルギス語: Ата-журт)はキルギス政党。政党名は「祖国」という意味。党の政治基盤はキルギス南部だが、政党本部は首都ビシュケクにある。党首はカムチュベク・タシーエフ(en:Kamchybek Tashiev)。

2004年9月にローザ・オトゥンバエヴァにより設立された組織とは別である[1]。(こちらは2007年アク・ジョル党輝く道)によって吸収された[2]。)

2010年キルギス騒乱クルマンベク・バキエフ大統領が失脚した後、旧バキエフ政権に近かったキルギス南部の政治エリートを中心に結党された[3]。同年10月の総選挙ではオトゥンバエヴァ暫定政権に対抗し、120議席中28議席を獲得して第一党となった。2011年10月のキルギス大統領選挙では、タシーエフは「大統領の権力強化」「キルギス人のためのキルギス」というスローガンを抱えて立候補したが、アルマズベク・アタンバエフに敗れた[4]。連立政権からも離脱し、キルギス人民族主義政党として他党と対立[5]

2015年の総選挙では同じ野党であった共和党と連合して望んだが、議席を大幅に減らした。

脚注

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  1. ^ 浜野道博『検証キルギス政変天山小国の挑戦』東洋書店、2011年、42頁。
  2. ^ 中西健「キルギス共和国初の比例代表制に基づく議会選挙 ―南北の地域軸と政治技術の利用―」『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』No.8、2007年
  3. ^ 浜野174,186頁
  4. ^ 時論公論 「キルギス大統領選挙・民主化は根付くか」NHKアーカイブされたコピー”. 2013年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月26日閲覧。
  5. ^ “Opposition risks Kyrgyzstan’s stability in protests” The Washington Times, 2012年10月12日[1]