アジアバグース!
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アジアバグース! ASIA BAGUS! | |
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ジャンル | 視聴者参加型番組 |
構成 | 石田章洋 |
演出 |
西山仁 関和真史 |
司会者 |
ナジップ・アリ 門脇知子 晶姫 デヴィ・サンドラ ウィニー・コック |
製作 | |
プロデューサー |
細川邦夫(共同テレビ) 金光修(フジテレビ) |
制作 | 共同テレビ(制作協力) |
製作 | フジテレビ |
放送 | |
放送チャンネル | 日本 - フジテレビジョン インドネシア - TVRI/RCTI マレーシア - TV3 (マレーシア) |
放送国・地域 | シンガポール インドネシア マレーシア 日本 |
放送期間 | 1992年4月 - 2000年9月26日 |
放送分 | 30分 |
アジアバグース!(Asia Bagus!)は、1992年4月から2000年9月26日にフジテレビの「JOCX-TV2」枠で放送された、視聴者参加型歌手オーディション番組。Asia Bagus!はインドネシア語で「アジアは素晴らしい!」という意味[1]。アジアで活躍する若手アーティストの育成を目指し、インドネシア・シンガポール・マレーシア・大韓民国・日本・台湾、およびタイ王国で毎週放送された[1]。なお日本以外の国ではゴールデンタイムに放送されている。
番組は勝ち抜き方式で、5人勝ち抜くとチャンピョン[注 1]としてグランド・チャンピョン大会への出場権を手にでき、年1回行われるグランド・チャンピョン大会で選出されたグランド・チャンピョンは歌手デビューできることになっていた。
司会者は当初は門脇知子とナジップ・アリが担当し、[2]番組の終了した2000年9月の時点では晶姫、デヴィ・サンドラ、ウィニー・コックが担当していた[3]。
歴代グランド・チャンピョン
[編集]年 | 回 | 開催場所 | グランド・チャンピョン | 2位 | ||
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1992 | 1 | 東京 | インドネシア | クリスダヤンティ | インドネシア | デウィ・ギタ |
1993 | 2 | 東京・国立代々木競技場[4] | シンガポール | Construction Sight[4] | インドネシア | Niniesdian Ratnasari |
1993 | 3 | 東京 | マレーシア | エイミー・マストゥーラ | インドネシア | Erva Yudhisa |
1994 | 4 | 東京 | 台湾 | ニサ | インドネシア | シンティア・ラムス |
1995 | 5 | インドネシア・ジャカルタ | マレーシア | Tengku Shaharum | インドネシア | Imelda Aritonang |
1996 | 6 | マレーシア・クアラルンプール | マレーシア | Miki Low Leang Cheng | インドネシア | Eka Mairina |
1997 | Best Of Asia Bagus | 東京 | インドネシア | クリスダヤンティ | - | |
1998 | 7 | インドネシア・ジャカルタ | インドネシア | Ida Satrianti (Atiek) | 日本 | 池間アカネ |
1999 | 8 | インドネシア・バリ島 | インドネシア | リオ・フェブリアン | マレーシア | アリヤ |
2000 | 9 | マレーシア・クアラルンプール | インドネシア | アレナ | インドネシア | ゲイル |
注釈
[編集]- ^ 表記を「チャンピオン」ではなく「チャンピョン」としているのはフジテレビの番組サイトに準拠
出典
[編集]- ^ a b Iwabuchi, Koichi (2002). Recentering Globalization: Popular Culture and Japanese Transnationalism. Duke University Press. pp. 100-100, 225. ISBN 0822384086
- ^ “Japan hosts best-of-Asia show”. The New Paper. (1992年4月2日) 2024年10月13日閲覧。
- ^ “アジアバグース!”. フジテレビ. 2017年3月12日閲覧。
- ^ a b “Singaporean rap duo win Asia Bagus! contest”. The Straits Times. (1993年5月7日) 2024年10月13日閲覧。