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アシュラフ・ガニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アシュラフ・ガニから転送)
モハンマド・アシュラフ・ガニー・アフマドザイ
محمد اشرف غنی احمدزی


任期 2014年9月29日2021年8月15日
副大統領 アブドゥルラシード・ドーストム(第一、1期目)
アムルッラー・サーレハ英語版(第一、2期目)→空席
サルワル・ダーニシュ英語版(第二、1・2期目)
首相 行政長官
アブドラ・アブドラ→空席

任期 2002年6月2日2004年12月14日
大統領 ハーミド・カルザイ

任期 2004年12月22日2008年12月21日

出生 (1949-02-12) 1949年2月12日(75歳)
アフガニスタン王国ローガル州
政党 無所属
宗教 イスラム教スンナ派

モハンマド・アシュラフ・ガニー・アフマドザイパシュトー語: محمد اشرف غنی احمدزی‎、英語: Mohammad Ashraf Ghani Ahmadzai1949年[1] - )は、アフガニスタン政治家。元財務大臣、第2代アフガニスタン・イスラム共和国大統領。カーブル大学の元学長。知識人に支持が多い。ローガル州出身[1]

日本では、アシュラフ・ガニと表記されることが多い[2][3]

経歴

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ジョン・スノー米財務長官(右)と握手するガニー(2004年)

ベイルート・アメリカン大学を卒業し、コロンビア大学人類学博士号を取得した[4]

大統領就任以前

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ソ連軍侵攻以前はカーブル大学で教えていたが、侵攻後アメリカへ移住。ジョンズ・ホプキンス大学などで教鞭を執った後、1991年から世界銀行につとめており、暫定行政機構が発足するのに伴って帰国した[5]

ハーミド・カルザイの暫定政権で財務相を務めた。コフィー・アナン国連事務総長の任期満了に伴う次期事務総長選挙に、2006年9月15日に立候補表明をしたラトビアヴァイラ・ヴィーチェ=フレイベルガ大統領に続いて9月18日に立候補表明をした。その後、韓国の潘基文外交通商相なども含め立候補者は7人となり、最終的には潘基文が次期国連事務総長に選ばれた。

2009年のアフガニスタン大統領選挙に出馬したが、4位だった。

大統領としての活動

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2014年4月のアフガニスタン大統領選挙には第一副大統領候補アブドゥルラシード・ドーストムとともに出馬し[1]、決選投票の末に得票率56.44%で当選。2014年9月29日に第2代大統領に就任した。なお、大統領選の決選投票で敗れたアブドラ・アブドラ元外相も首相格の行政長官に就任した[6]

2019年4月20日に次の大統領選挙を実施し、5月22日に任期満了となる予定であったが準備不足のため選挙が延期に延期を重ねることとなり、同年4月21日、アフガニスタン最高裁は、遅延している大統領選挙が実施され新しい大統領が選出されるまでガニーの大統領任期を延長する判断を下した[7]

2019年10月22日の日本天皇即位礼正殿の儀に参列し、翌23日には迎賓館赤坂離宮安倍晋三内閣総理大臣と会談を行った[8]。また11月28日には、感謝祭と合わせて秘密裏にアフガニスタンを訪問したアメリカのドナルド・トランプ大統領と会談を行った[9]

2019年9月28日に執行された大統領選挙は2020年2月18日に選挙管理委員会が結果を確定させ、得票率50.64%のガニーの再選が決定したが対抗馬のアブドラ・アブドラは選挙結果を認めず、同年3月9日にガニーが2期目の就任宣誓を行った数分後にアブドラも独自に大統領就任宣誓を行うなど、2期目は波乱のスタートとなった[10][11]。5月17日にアブドラと新政権樹立で合意し、権限を両者で分け合うこととしたほか、ターリバーンとの和平交渉は新設される国家和解高等評議会の議長に就任するアブドラに委ねることとなった[12]

2021年ターリバーンの攻勢への対応

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アメリカ合衆国が2021年8月末までのアフガニスタンからの撤退を進める中、ターリバーンの攻勢は止まらず、主要都市は次々に制圧され2021年8月中旬には首都カーブルに迫った。ターリバーンがガニーに対し大統領辞任を要求したほか、アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官も停戦とターリバーンによる暫定政権樹立のため、ガニーに大統領辞任を要求したと報じられたが大統領府はこれを否定した[13]。しかし8月15日にターリバーンはアフガニスタン全土を支配下に置いたと宣言し[14]、政権側もアブドゥル・サタール・ミルザクワル内務相代行が権力の移行を進めると表明[15]。同日15日のロイター通信の報道によると、ガニーは既に国外に脱出したことを内務省高官が発表し、後にアブドラ国家和解高等評議会議長もこれを確認。ガニー政権は崩壊した[16][17][18]

亡命後の活動

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逃亡先について当初はタジキスタンともウズベキスタンとも報道されたが[19]、直後にタジキスタンは入国を否定した[20]。16日には中東オマーンに滞在しているとの情報が流れたほか、ガニーがヘリコプターで逃亡する際に車4台分にのぼる多額の現金を持ち出したとの情報がロシアの報道機関より流されており、これにはガニー政権の混乱を強調したいロシアの意図があるとも指摘された[21]。8月18日、アラブ首長国連邦は、ガニーとその家族を人道上の理由から受け入れ、国内に滞在していることを明らかにした[22]。なお、娘と息子は、それぞれニューヨークの高級マンションとワシントンDCの高級住宅地に政変前から暮らしている[23]

8月18日にはフェイスブックに動画を投稿。アフガニスタンを脱出せざるを得なかった状況を釈明し、帰国に向けて活動を行う意思表示を行った。多額の現金持ち出しについては否定した[24]

脚注

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  1. ^ a b c “Ashraf Ghani Ahmadzai”. TOLOnews.com. オリジナルの2014年2月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140221192658/http://www.tolonews.com/elections2014/ashraf-ghani-ahmadzai 2014年2月8日閲覧。 
  2. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年9月9日). “アフガン 大統領務めたガニ氏が謝罪「見捨てる意図はなかった」”. 産経ニュース. 2021年9月15日閲覧。
  3. ^ アフガニスタンのガニ大統領、UAEに避難 「逃げていない」”. BBCニュース (2021年8月19日). 2021年9月15日閲覧。
  4. ^ Ashraf Ghani”. The World Justice Project. 2014年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月24日閲覧。
  5. ^ 柴田和重「二〇〇四年一〇月大統領選挙をめぐる政治過程」 鈴木均編『アフガニスタン国家再建への展望』明石書店、2007年、100頁
  6. ^ アーカイブされたコピー”. 2015年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月24日閲覧。 アフガニスタン ガニ新大統領が就任
  7. ^ “Afghan supreme court extends president’s term”. アジア・タイムズ・オンライン. (2019年4月21日). https://www.asiatimes.com/2019/04/article/afghan-supreme-court-extends-presidents-term/ 2019年4月22日閲覧。 
  8. ^ 令和元年10月23日 即位礼正殿の儀参列者との二国間会談等(6) | 令和元年 | 総理の一日 | ニュース | 首相官邸ホームページ
  9. ^ 米大統領、アフガン電撃訪問 タリバン協議で停戦合意に意欲”. ロイター (2019年11月29日). 2019年12月2日閲覧。
  10. ^ “アフガン大統領選、5カ月経って結果確定 現職が再選”. 朝日新聞. (2020年2月18日). https://www.asahi.com/articles/ASN2L7R2FN2LUHBI02V.html 2020年3月10日閲覧。 
  11. ^ “アフガンのガニ大統領と対立候補が同時に就任宣誓、最中に爆発音”. AFPBB News. フランス通信社. (2020年3月9日). https://www.afpbb.com/articles/-/3272442 2020年3月10日閲覧。 
  12. ^ “大統領選で混乱のアフガン 大統領と対立候補が連携し新政権へ”. NHK NEWSWEB. NHK. (2020年5月18日). https://web.archive.org/web/20200517193512/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200518/k10012434151000.html 2020年5月18日閲覧。 
  13. ^ “ガニ大統領の去就焦点 攻勢タリバン、辞任を要求―政府停戦模索か・アフガン”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2021年8月14日). https://web.archive.org/web/20210814114452/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081400318&g=int 2021年8月15日閲覧。 
  14. ^ “「全土を支配下に置いた」とタリバン”. 47NEWS. 共同通信社. (2021年8月15日). https://web.archive.org/web/20210815091720/https://nordot.app/799566209875214336?c=39546741839462401 2021年8月15日閲覧。 
  15. ^ “タリバーンへの「権力移行」 アフガン政府が認める声明”. 朝日新聞. (2021年8月15日). https://www.asahi.com/articles/ASP8H65CCP8HUHBI01H.html 2021年8月15日閲覧。 
  16. ^ Afghan Pres Ghani leaves for Tajikistan - interior ministry official ロイター 2021年8月15日配信 2021年8月15日閲覧
  17. ^ “アフガン大統領が出国と報道”. 共同通信. (2021年8月15日). https://web.archive.org/web/20210815140127/https://nordot.app/799638907697790976 2021年8月15日閲覧。 
  18. ^ “Afghan president Ghani flees the country as the Taliban moves on Kabul”. CNBC. (2021年8月15日). https://www.cnbc.com/2021/08/15/afghan-president-ghani-leaves-the-country-as-the-taliban-moves-on-kabul.html 2021年8月16日閲覧。 
  19. ^ “タリバンがアフガン制圧 ガニ大統領国外脱出、民主政権崩壊”. 産経新聞. (2021年8月16日). https://www.sankei.com/article/20210816-LJKKNQNZTVJ3ZBGKIQUKII5OFA/ 2021年8月17日閲覧。 
  20. ^ “タジク、アフガン大統領の入国否定”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2021年8月16日). https://web.archive.org/web/20210816110044/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081600787&g=int 2021年8月17日閲覧。 
  21. ^ “出国アフガン大統領、多額の現金持ち出しか ロシア報道”. 日本経済新聞. (2021年8月16日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB16A8N0W1A810C2000000/ 2021年8月17日閲覧。 
  22. ^ 逃亡のガニ氏、UAEに タリバン進攻後所在不明”. 時事通信 (2018年8月18日). 2021年8月18日閲覧。
  23. ^ 米国務長官「アフガニスタン大統領、『死ぬ気で戦う』と述べた翌日に逃避」”. 中央日報 (2021年8月23日). 2021年8月23日閲覧。
  24. ^ ガニ氏、アフガンへ帰国めざす UAEから9分間の声明”. 朝日新聞 (2021年8月19日). 2021年8月18日閲覧。

外部リンク

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公職
先代
ハーミド・カルザイ
アフガニスタン・イスラム共和国の旗 アフガニスタン・イスラム共和国大統領
第2代:2014 - 2021
次代
ハイバトゥラー・アクンザダ
(ターリバーン政権首長)