アグネス・ヘートヴィヒ・フォン・アンハルト
アグネス・ヘートヴィヒ・フォン・アンハルト Agnes Hedwig von Anhalt | |
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ザクセン選帝侯妃 | |
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在位 | 1586年1月3日 - 1586年2月11日 |
別称号 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公妃(1588年2月14日 - 1616年11月3日) |
出生 |
1573年3月12日 神聖ローマ帝国 アンハルト侯領、デッサウ |
死去 |
1616年11月3日(43歳没) シュレースヴィヒ公国、ゾンダーブルク |
結婚 |
1586年1月3日 1588年2月14日 |
配偶者 | ザクセン選帝侯アウグスト |
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ハンス | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | アスカニア家 |
父親 | アンハルト侯ヨアヒム・エルンスト |
母親 | エレオノーレ・フォン・ヴュルテンベルク |
アグネス・ヘートヴィヒ・フォン・アンハルト(ドイツ語:Agnes Hedwig von Anhalt, 1573年3月12日 - 1616年11月3日)は、ザクセン選帝侯アウグスト妃、のちシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ハンス妃。
生涯
[編集]アグネス・ヘートヴィヒはアンハルト侯ヨアヒム・エルンストとエレオノーレ・フォン・ヴュルテンベルクの娘である。1581年に8歳でゲルンローデ修道院の修道院長となった[1]。1586年に修道院を去り、1月3日に60歳であったザクセン選帝侯アウグストと結婚した。アグネス・ヘートヴィヒはまだ13歳になっていなかった。結婚式の夜にアグネス・ヘートヴィヒは、アウグストの最初の妃アンナ・ア・ダンマークの影響を受けてカルヴァン主義者として投獄されていたカスパー・ポイツァーの釈放を求めたといわれている[2]。その後カスパー・ポイツァーは釈放されている。アウグストは結婚から数週間後の2月11日に死去した。アグネス・ヘートヴィヒは寡婦財産としてリヒテンブルク城を与えられたが、そこに住むことはなかった[3]。
2年後の1588年2月14日に、アグネス・ヘートヴィヒは43歳のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ハンスと再婚した。ハンスは最初の夫アウグストの最初の妃アンナの弟であった。アグネス・ヘートヴィヒはこの結婚に際し3万ターラーの持参金をもたらした[4]。ハンスと最初の妃エリーザベトとの間の14人の子女全てがすでに成人で、そのうちの何人かはアグネス・ヘートヴィヒよりも年上であったが、アグネス・ヘートヴィヒはさらに9人の子女をもうけた。
アグネス・ヘートヴィヒは夫の死の6年前の1616年に死去した。
子女
[編集]シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ハンスとの間に以下の子女をもうけた。
- エレオノーラ(1590年 - 1669年)
- アンナ・ザビーネ(1593年 - 1659年) - 1618年、ヴュルテンベルク=ヴァイルティンゲン公ユリウス・フリードリヒと結婚
- ヨハン・ゲオルク(1594年 - 1613年)
- ヨアヒム・エルンスト(1595年 - 1671年) - シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=プレーン公
- ドロテア・ジビッレ(1597年)
- ドロテア・マリー(1599年 - 1600年)
- ベルンハルト(1601年)
- エレオノーレ・ゾフィー(1603年 - 1675年) - 1624年、アンハルト=ベルンブルク侯クリスティアン2世と結婚
- アグネス・マグダレーネ(1604年 - 1607年)
脚注
[編集]- ^ Hans K. Schulze; Reinhold Specht und Günter Wilhelm Vorbrodt (1965). Das Stift Gernrode. Böhlau Verlag. pp. 51
- ^ Karl Adolf Menzel: Neuere Geschichte der Deutschen von der Reformation bis zur Bundes-Acte, 1832, Band 4 S. 544
- ^ Ute Essegern: Fürstinnen am kursächsischen Hof. Lebenskonzepte und Lebensläufe zwischen Familie, Hof und Politik in der ersten Hälfte des 17. Jahrhunderts, Leipziger Universitätsverlag, 2007, S. 111
- ^ Die Fürsten des Landes. Herzöge und Grafen von Schleswig, Holstein und Lauenburg, Carsten Porskrog Rasmussen u. a.(Hg.). 2008, S. 214