アイトール・ララサバル
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名前 | ||||||
本名 |
アイトール・ララサバル・ビルバオ Aitor Larrazábal Bilbao | |||||
ラテン文字 | Aitor Larrazábal | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1971年6月21日(53歳) | |||||
出身地 | バスク州ルフア | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (LB) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1982-1989 | アスレティック・ビルバオ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1989-1991 | ビルバオ・アスレティック | 43 | (2) | |||
1990-2004 | アスレティック・ビルバオ | 390 | (39) | |||
通算 | 433 | (41) | ||||
代表歴 | ||||||
1990 | スペイン U-20 | 1 | (0) | |||
1990-1991 | スペイン U-21 | 4 | (0) | |||
1991 | スペイン U-23 | 3 | (0) | |||
1997 | バスク | 1 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2009-2011 | レモーナ | |||||
2011-2015 | アスレティック・ビルバオ (ユース) | |||||
2016 | マルベジャ | |||||
2016-2017 | アモレビエタ | |||||
2017-2019 | バラカルド | |||||
2019-2020 | サラマンカ | |||||
2020 | バラカルド | |||||
2022-2023 | ゲルニカ | |||||
2024- | ログロニェス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アイトール・ララサバル・ビルバオ(Aitor Larrazábal Bilbao、1971年6月21日 - )は、スペイン・バスク州ルフア出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。現在はSDログロニェスの監督を務める。
現役時代は、アスレティック・ビルバオのみで公式戦440試合以上に出場したワン・クラブマンであり、同クラブではPKキッカーを任されていたほどのシュート精度を持つ[1]。また、PKの影響もあり、ラ・リーガでは13シーズン連続で得点を挙げた[2]。
選手経歴
[編集]ララサバルはバスク州のビルバオにあるルフア地区に生まれ、11歳の時にアスレティック・ビルバオのカンテラに加入した。1989-90シーズン、リザーブチームでプロデビューを果たした。このデビューシーズン、ララサバルは18歳だったが、リーグ戦36試合に出場して1ゴールを挙げた。
1990年9月2日、CDテネリフェとのリーグ戦でトップチームデビューを飾った[3]。この1990-91シーズンも1部デビューシーズンながら20試合に出場し、翌1991-92シーズンから正式にトップチーム昇格が決まった。1997-98シーズン、ララサバルはキャリアハイとなるリーグ戦7ゴールを挙げ、チームのリーグ準優勝に大きく貢献した。このシーズンにリーグ準優勝したことで、アスレティック・ビルバオは翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
1998-99シーズン、ララサバルはキャリア初となるCL出場を果たした。グループリーグはユヴェントスFC、ローゼンボリBK、ガラタサライSKと同組だったが、1勝3分2敗の成績でギリギリのグループリーグ突破を成し遂げた。ララサバルは、第2節のローゼンボリ戦での一発退場以外は全試合にスタメンフル出場をし、グループリーグ突破に貢献した。GL突破を決めたアスレティック・ビルバオだったが、ベスト16のFCディナモ・トビリシ戦で2試合合計3-1と完敗し、アスレティック・ビルバオは大会敗退が確定した[4][5]。
2000-01シーズン、Bチームからアシエル・デル・オルノがトップチームに昇格してくると、徐々に出番を奪われ始め、32歳となった2003-04シーズン終了後に現役引退を発表した[6]。
監督経歴
[編集]ララサバルは現役引退後、すぐに指導者に転向し、2009年からセグンダ・ディビシオンBのSDレモーナの監督に就任にして指導者キャリアをスタートさせた。レモーナでは、クラブをリーグ戦6位に引っ張り、セグンダ・ディビシオン昇格プレーオフまであと一歩のところまで到達した。レモーナでの2シーズン目、クラブをコパ・フェデラシオン準優勝に導き[7]、シーズン終了後にアスレティック・ビルバオのスポーツディレクター職に誘われ、SDに就任した[8][9]。
2016年4月、セグンダBのマルベジャFC監督に就任した[10]。しかし、わずか3ヶ月で解任され、解任後すぐにSDアモレビエタの監督に就任[11]。
2017-18シーズンと2018-19シーズンはバラカルドCFを率いた[9][12]。2018-19シーズンにはリーグ38試合18勝7分13敗の成績でセグンダ昇格プレーオフ出場を果たしたが、2部昇格には至らなかった。
2019-20シーズンはサラマンカCF UDSの監督に就任するも、2020年2月、成績不振によって解任された。
2020年6月30日、再びバラカルドCFの監督に就いた[13]。
2023年12月26日、SDログロニェスの監督に就任した[15]。
人物
[編集]実子のガイスカ・ララサバルも同じくサッカー選手である。2019-20シーズンにはアスレティック・ビルバオでもプレーし、現在はカーザ・ピアACに所属している[16][17]。
個人成績
[編集]クラブ
[編集]- 2021年3月9日現在[18]
クラブ | シーズン | リーグ戦 | 国王杯 | UEFA | 合計 | |||||
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ディヴィジョン | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ビルバオ・アスレティック | 1989-90 | セグンダ | 36 | 1 | - | - | 36 | 1 | ||
1990-91 | 7 | 1 | - | - | 7 | 1 | ||||
クラブ通算 | 43 | 2 | - | - | 43 | 1 | ||||
アスレティック・ビルバオ | 1990-91 | プリメーラ | 18 | 0 | 2 | 0 | - | 20 | 0 | |
1991-92 | 28 | 1 | 8 | 2 | - | 36 | 3 | |||
1992-93 | 33 | 1 | 0 | 0 | - | 33 | 1 | |||
1993-94 | 32 | 4 | 3 | 0 | - | 35 | 4 | |||
1994-95 | 32 | 3 | 3 | 0 | 6 | 0 | 41 | 3 | ||
1995-96 | 36 | 2 | 5 | 1 | - | 41 | 3 | |||
1996-97 | 37 | 5 | 3 | 0 | - | 40 | 5 | |||
1997-98 | 32 | 7 | 4 | 0 | 4 | 1 | 40 | 8 | ||
1998-99 | 29 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | 37 | 3 | ||
1999-00 | 26 | 4 | 1 | 0 | - | 27 | 4 | |||
2000-01 | 25 | 4 | 3 | 0 | - | 28 | 4 | |||
2001-02 | 26 | 3 | 4 | 0 | - | 30 | 3 | |||
2002-03 | 21 | 2 | 1 | 0 | - | 23 | 2 | |||
2003-04 | 15 | 1 | 0 | 0 | - | 15 | 1 | |||
クラブ通算 | 390 | 39 | 37 | 3 | 18 | 1 | 445 | 43 | ||
キャリア通算 | 433 | 41 | 37 | 3 | 18 | 1 | 488 | 45 |
監督
[編集]- 2023年5月27日現在[19]
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
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試 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | |||
レモーナ | 2009年7月1日 | 2009年6月30日 | 77 | 26 | 29 | 22 | 33.77 |
マルベジャ | 2016年4月26日 | 2016年6月15日 | 3 | 0 | 2 | 1 | 0.00 |
アモレビエタ | 2016年6月15日 | 2017年6月5日 | 41 | 14 | 10 | 17 | 34.15 |
バラカルド | 2017年6月5日 | 2019年6月15日 | 79 | 34 | 25 | 20 | 43.04 |
サラマンカ | 2019年11月27日 | 2019年6月15日 | 11 | 2 | 2 | 7 | 18.18 |
バラカルド | 2020年6月12日 | 2020年12月27日 | 9 | 1 | 1 | 7 | 11.11 |
ゲルニカ | 2022年6月9日 | 2023年6月5日 | 38 | 15 | 10 | 13 | 39.47 |
通算 | 308 | 114 | 95 | 99 | 37.01 |
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “Larrazabal,el ejecutor de penaltis: 27 de 31” (スペイン語). アス (2002年11月27日). 2021年3月9日閲覧。
- ^ “S・ラモスが偉業達成 DFが13シーズン連続ゴールはリーガタイ記録に”. サッカーキング (2016年9月12日). 2021年3月9日閲覧。
- ^ “El Tenerife "rugió" primero” (スペイン語). ムンド・デポルティーボ. (3 September 1990) 2021年3月9日閲覧。
- ^ “El Athletic hace más méritos” (スペイン語). ムンド・デポルティーボ. (1998年9月22日) 2021年3月9日閲覧。
- ^ “Mucho fútbol, poca renta” (スペイン語). エル・パイス. (1998年11月5日) 2021年3月9日閲覧。
- ^ “Andresen prolongs Stabæk stay”. UEFA (2004年5月21日). 2021年3月9日閲覧。
- ^ “Declaraciones de Aitor Larrazabal: "El triunfo nos da prestigio"” (スペイン語). SDレモーナ (2011年3月18日). 2021年3月9日閲覧。
- ^ “Marcelo Bielsa ya está en Lezama” (スペイン語). マルカ. (2011年7月13日) 2021年3月9日閲覧。
- ^ a b “Aitor Larrazabal, nuevo entrenador del Barakaldo” (スペイン語). デイア. (2017年6月5日) 2021年3月9日閲覧。
- ^ “El Marbella FC ficha como entrenador al vasco Aitor Larrazaba” (スペイン語). マルベジャ24オラス (2016年4月26日). 2021年3月9日閲覧。
- ^ “Aitor Larrazabal, nuevo entrenador del Amorebieta” (スペイン語). デイア. (2016年6月15日) 2021年3月9日閲覧。
- ^ “Joseba Etxeberria, al Amorebieta y Larrazabal, al Barakaldo” (スペイン語). アス. (2017年6月5日) 2021年3月9日閲覧。
- ^ “Aitor Larrazabal returns to Barakaldo”. スポーツ・ファインディング (2020年6月5日). 2021年3月9日閲覧。
- ^ “Aitor Larrazabal se hace cargo del Gernika [Aitor Larrazabal takes over Gernika]” (Spanish). Mundo Deportivo. (9 June 2022) 2024年5月15日閲覧。
- ^ “Aitor Larrazabal se pone al frente del Logroñés” [Aitor Larrazábal gets in charge of Logroñés] (Spanish). SD Logroñés (26 December 2023). 2024年5月15日閲覧。
- ^ “El Athletic se hace con los servicios de Gaizka Larrazabal” (スペイン語). ムンド・デポルティーボ. (2017年4月5日) 2021年3月9日閲覧。
- ^ “"Gaizka tiene que ser Gaizka y no el hijo de Aitor Larrazabal"” (スペイン語). デイア. (2019年5月24日) 2021年3月9日閲覧。
- ^ “Aitor Larrazabal Career - Path”. BDFutbol. 2021年3月9日閲覧。
- ^ “Aitor Larrazabal Career - Path (manager)”. BDFutbol. 2021年3月9日閲覧。
外部リンク
[編集]- アイトール・ララサバル - BDFutbolによる個人成績
- アイトール・ララサバル - BDFutbolによる監督成績
- アイトール・ララサバル - アスレティック・ビルバオによるプロフィール