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みやこシネマリーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みやこシネマリーン
MIYAKO CINEMARINE
情報
通称 シネマリーン
正式名称 みやこシネマリーン
完成 1997年
開館 1997年4月26日
閉館 2016年9月25日
最終公演サウンド・オブ・ミュージック
収容人員 スクリーン1:85
スクリーン2:62人
設備 ドルビーステレオ
用途 映画上映
運営 みやこ映画生活協同組合
所在地 027-0038
岩手県宮古市小山田2丁目2-1
マリンコープDORA2階
位置 北緯39度37分55.8秒 東経141度56分30.8秒 / 北緯39.632167度 東経141.941889度 / 39.632167; 141.941889 (みやこシネマリーン
MIYAKO CINEMARINE
)
座標: 北緯39度37分55.8秒 東経141度56分30.8秒 / 北緯39.632167度 東経141.941889度 / 39.632167; 141.941889 (みやこシネマリーン
MIYAKO CINEMARINE
)
アクセス 宮古駅から徒歩13分
外部リンク 公式サイト
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当館が入居していた「マリンコープDORA」の外観

みやこシネマリーン(Miyako CINEMARINE)は、かつて岩手県宮古市にあった映画館。日本で唯一生活協同組合が運営している映画館であった[1]

歴史

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開館

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当館を運営していたみやこ映画生活協同組合(みやこ映画生協 英:Miyako Movie CO-OP)は、1992年4月に発足した映画サークル「みやこシネマクラブ」が前身。当時既に映画館が閉館していた宮古市内において良質な映画の自主上映活動を行ってきたが、1995年、いわて生活協同組合が宮古市小山田2丁目にショッピングセンター「マリンコープDORA」を建設するのに伴い、同センターの2階に映画館を新設することを決定。翌1996年12月に組合を発足させ、出資金7000万円をもとに、1997年4月26日にみやこシネマリーンが開館した。2000年時点の岩手県沿岸部にある映画館は陸前高田市の高田公友館とみやこシネマリーン(2スクリーン)の2施設のみだった[2]

2012年から始まった映画祭「みやこほっこり映画祭」の主会場でもあった[3]。2001年に約5万人だった年間入場者数は、2008年以後のリーマンショックを受けて約2万5000人に減り、2011年3月11日の東日本大震災後には約1万8,000人になる[4]など運営面で苦境が続いた。

観客数低迷と閉館

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2012年から2013年にかけて映画上映のデジタル化の流れが進んだ時期にあっては、高価なデジタル上映機材を導入する自己資金がなく、全国から集まった1600万円の募金のもとにデジタル化を完了した[5]が、その後も観客数は回復せず、累積赤字が約4000万円に達し[4]常設館としての営業が困難となり、2016年6月12日のみやこ映画生協総代会で閉館を決定[6]。同年9月25日をもって常設館としての営業を終了した[7]

閉館後

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みやこ映画生協は当館閉館後も活動を継続。当館で使われていた2台の映写機を宮古市民文化会館釜石市釜石PITに移設した[7]。2019年現在も有料の定期上映を続けており、宮古市ではかつての組合の常設館「シネマリーン」だった「マリンコープDORA」内のホールを間借りする形で上映を行っている。一方、宮古市内で再び常設館を開くことも模索している[5]

上映作品

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主に前評判の高い洋画邦画ミニシアター向きの作品に至るまで多彩なジャンルの映画を上映していた。

巡回上映

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みやこ映画生協は、当館の運営の傍ら、交通の便の悪い山間部などに出向いて移動上映会を開いていた。東日本大震災後は三陸沿岸の避難所や仮設住宅などでも380回以上の巡回上映を行った[5]。これが評価され、2016年の第70回毎日映画コンクールで、当時当館の支配人だった櫛桁一則に特別賞が授与された[5]

みやこ映画生協では、宮古・釜石での定期上映会と並行して、各地での巡回上映も引き続き行っていく予定である[5]

座席数

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  • スクリーン1:85席
  • スクリーン2:62席

出典

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外部リンク

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