みやき町立三根東小学校
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みやき町立三根東小学校 | |
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北緯33度17分41.4秒 東経130度26分55.2秒 / 北緯33.294833度 東経130.448667度座標: 北緯33度17分41.4秒 東経130度26分55.2秒 / 北緯33.294833度 東経130.448667度 | |
過去の名称 |
尋常市武小学校天島分校 南茂安尋常小学校 南茂安尋常高等小学校 南茂安村国民学校 南茂安村立南茂安小学校 三根村立南茂安小学校 三根村立三根東小学校 三根町立三根東小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | みやき町 |
併合学校 |
尋常市武小学校天建寺分校 尋常市武小学校坂口分校 尋常市武小学校天坂分校 尋常市武小学校西島分校 |
設立年月日 | 1875年(明治8年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B141234600032 |
所在地 | 〒840-1102 |
佐賀県三養基郡みやき町大字天建寺2400番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
みやき町立三根東小学校(みやきちょうりつ みねひがししょうがっこう)は、佐賀県三養基郡みやき町大字天建寺にある町立小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1875年(明治8年)に創立した小学校3校(開蒙・新徳・開文)を源流とする。数回の統合・改組・改称を経て、現校名になったのは2005年(平成17年)。2025年(令和7年)には創立150周年を迎える。
- 校章
- 中央に校名の略称である「東小」の文字を配している。
- 校歌
- 1948年(昭和23年)に制定。作詞は大川伝次(当時の教頭)、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、2番の歌詞中に校名の「三根東[1]」が登場する。
- 校区[2]
- 住所表記で「三養基郡みやき町」の後に「大字 西島・坂口・天建寺」が続く地域。中学校区はみやき町立三根中学校。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年)- 天建寺村の私宅に「開蒙小学校」、坂口村の私宅に「新徳小学校」、西島村の光清寺に「開文小学校」が創立。
- 1876年(明治9年)- 市武小学校[3](基素[4]小学校)に統合され、その分校となる。
- 「市武小学校 天建寺分校」・「市武小学校 坂口分校」・「市武小学校 西島分校」
- 1877年(明治10年)- 天建寺分校が土井内の葛城神社内に新築移転。坂口分校と西島分校の校舎も新築される。
- 1882年(明治15年)- 天建寺分校が南島に移転。
- 1888年(明治21年)- 天建寺分校と坂口分校を統合の上、天坂分校とする。若宮神社の東に移転。坂口分舎を設置。
- 「尋常市武小学校 天坂分校」(坂口分舎)・「尋常市武小学校 西島分校」
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、三根郡3村(天建寺・坂口・西島)が合併し、南茂安村[5]が発足。
- 1890年(明治23年)- 天建寺分校と西島分校を統合し、「尋常市武小学校 天島分校」とする。坂口分舎は存続。
- 1892年(明治25年)- 尋常市武小学校から分離の上、「南茂安尋常小学校」として独立。
- 1885年(明治29年)4月 - 三根郡、養父郡、基肄郡が統合の上、三養基郡となる。
- 1901年(明治34年)4月1日 - 子守児童を対象に特別学級を編成。
- 1903年(明治36年)- 特別学級を廃止。校舎を増築。
- 1907年(明治40年)- 校舎を増築。
- 1908年(明治41年)4月 - 尋常科が6年制となり、尋常科5・6年を新設。
- 1910年(明治43年)
- 1912年(明治45年)- 校舎3棟を増築。
- 1919年(大正8年)- 本校と坂口分舎に夜間の補習学校を設置。
- 1926年(大正15年)4月 - 青年訓練所充当南茂安実業補習学校を併置。
- 1928年(昭和3年)5月 - 筑後川改修工事の砂で運動場の埋立拡張を実施。
- 1929年(昭和4年)11月 - 講堂および3教室を増築。
- 1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令施行により、併置の実業補習学校が実業青年学校となる。
- 1936年(昭和11年)7月 - 二宮尊徳および大楠公の銅像が寄贈により建立される。
- 1937年(昭和12年)- 校地を拡張。
- 1938年(昭和13年)3月 - 校舎を増築。
- 1939年(昭和14年)3月 - 運動場を拡張。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「南茂安村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 1948年(昭和23年)- 校歌を制定。
- 1949年(昭和24年)12月23日 - 中学校校舎が完成。
- 1950年(昭和25年)2月13日 - 筑後川の渡し船が転覆し、登校中の児童6人が死亡する「天建寺渡し船転覆事故」が発生[7][8]。
- 1951年(昭和26年)から1952年(昭和27年)- 校舎を改築。
- 1954年(昭和29年)- 第三校舎が完成。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 2村[9]合併により、「三根村立南茂安小学校」に改称。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 「三根村立三根東小学校」に改称。
- 1959年(昭和34年)- 剣道部を創設。
- 1962年(昭和37年)5月1日 - 町制施行により、「三根町立三根東小学校」に改称。
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)4月 - 特殊学級(現:特別支援学級)を設置。
- 1966年(昭和41年)- 岩石園が完成。
- 1967年(昭和43年)- 校門を拡張。
- 1969年(昭和44年)- 学校給食を開始。
- 1973年(昭和48年)3月 - 体育館が完成。
- 1974年(昭和49年)- 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成。校門を新設。
- 1975年(昭和50年)- 管理棟が完成。
- 1983年(昭和58年)5月 - 育友会をPTAと改称。
- 1991年(平成3年)3月 - 管理棟が新築完成。
- 1994年(平成6年)10月 - パソコン室が完成。
- 2005年(平成17年)3月1日 - 3町[11]合併により、「みやき町立三根東小学校」(現校名)に改称。
- 2009年(平成21年)6月 - 体育館の耐震工事が完了。
- 2011年(平成23年)7月 - 北校舎の耐震工事が完了。
- 2014年(平成26年)1月 - 放課後児童クラブ施設を新築。
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りの幹線道路
- 国道264号「三根東小入口」交差点
周辺
[編集]- 矢俣八幡神社
- 三根クリーク公園
- 筑後川
脚注
[編集]- ^ 制定当初の校名は「南茂安小学校」であったので、1956年(昭和31年)に「三根東小学校」に改称した後に、歌詞の一部が変更された。
- ^ みやき町通学区域
- ^ みやき町立三根西小学校の源流となった学校である。
- ^ 「基礎」とも。
- ^ 南茂安村の「茂安」は、筑後川の千栗土居を構築した佐賀藩士 成富兵庫茂安の名に由来する。
- ^ 上峰村・三川村・南茂安村。
- ^ 「天建寺渡し船事故から72年 遺族の語りに児童ら学ぶ」『朝日新聞』2022年2月17日。オリジナルの2022年2月23日時点におけるアーカイブ。2024年8月5日閲覧。
- ^ 「「天建寺橋が架けられた理由が風化しないように」70年前の事故の記憶を遺族の女性語る」『サガテレビ』2020年5月28日。オリジナルの2021年8月4日時点におけるアーカイブ。2024年8月5日閲覧。
- ^ 三養基郡南茂安村と三川村。
- ^ 1963年(昭和38年)4月1日に三根町立中学校2校(三根東・三根西)を統合の上、「三根町立三根中学校」が開校。初代校長は大川伝次(校歌の作詞者)。ただし、中学校の統合校舎が完成する1964年(昭和39年)12月までの間は「三根町立三根中学校 東校舎」として存続した。
- ^ 三養基郡 中原町、北茂安町、三根町
参考資料
[編集]- 「三根町史」(1984年(昭和59年)3月, 三根町史編さん委員会・三根町)p.793~801, p.808~p.814, p.821~p.831