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みなと遊園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

みなと遊園(みなとゆうえん)は、大阪市港区にかつて存在した遊園地大阪港振興株式会社が運営していた。

天保山第五コーポ(みなと遊園跡地)

概要

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  • 入園料は、大人・小人ともに20円。乗り物料はジェットコースターが40円、ほかの乗り物は大人30円小人20円であった。
  • こども遊園には、こども列車(こだま型200m走行)・メリーゴーランド・こども自動車・子供プール・模型池・なかよし動物園(ヤギ・カンガルー・ペンギンなど)があった。
  • スポーツランドには、ジェットコースター(延長55m、時速60km)・ヘリコプター塔(地上50m)・廻転観覧車・ムーンロケット・オクトパス・テルタワール・宙返りロケット・ローラースケート・野外劇場・室内娯楽室・スリラーカー・展望大食堂・売店などがあった。
  • 精神薄弱児や身体障害児などの無料招待も行っていた。
  • 四国方面へ向かう船着場があった頃は賑わっていた。
  • 跡地は現在、天保山第五コーポとなっている。

シルバープール

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みなと遊園は、入場者数の低迷から赤字を出すようになった。大阪港振興株式会社は入場者数を増やすため遊園内に「シルバープール」を建設し、1967年昭和42年)営業を開始した。黒字経営であったためにみなと遊園休園後も営業していたが、みなと遊園跡地(2万1,565平方メートル)を大阪市住宅供給公社へ売却するに伴い、1972年(昭和47年)廃止された。

歴史

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実績

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みなと遊園実績
年度 年間入園人員(人) 入園料収入(千円) 開園日数(日)
昭和36年度 440,467 46,712 286
昭和37年度 316,394 43,009 288
昭和38年度 349,795 48,966 292
昭和39年度 322,971 50,212 309
昭和40年度 258,095 39,902 267
昭和41年度 206,354 35,905 266
昭和42年度 194,712 32,412 272
昭和43年度 149,855 23,175 229

なお、事故の記録としては、1961年(昭和36年)5月に幼児がムーンロケットに挟まれ搬送先の病院で死亡したもの、同年7月に幼稚園児がメリーゴーランドで事故死したもの、以上の2件があるという。

外部リンク

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参考文献

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大阪港振興株式会社編『大阪港振興株式会社三〇年小史』大阪港振興株式会社、1977