ふるさとは宗谷の果てに
「ふるさとは宗谷の果てに」 | ||||
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菊地正夫 の シングル | ||||
初出アルバム『-』 | ||||
B面 | 哀愁の一つ星 | |||
リリース | ||||
規格 | 7インチシングル | |||
録音 | 1962年 日本 | |||
ジャンル | 歌謡曲 | |||
時間 | ||||
レーベル | テイチクレコード / NS-596 | |||
作詞・作曲 | 北原じゅん | |||
菊地正夫 シングル 年表 | ||||
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「ふるさとは宗谷の果てに」 | ||||
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大友和也 の シングル | ||||
初出アルバム『-』 | ||||
B面 | すすきの夜のブルース | |||
リリース | ||||
規格 | 7インチシングル | |||
録音 | 1971年 日本 | |||
ジャンル | 歌謡曲 | |||
時間 | ||||
レーベル | ユニオンレコード / US-708 | |||
作詞・作曲 | 北原じゅん | |||
大友和也 シングル 年表 | ||||
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「ふるさとは宗谷の果てに」(ふるさとはそうやのはてに)は、1962年(昭和37年)に菊地正夫時代の城卓矢、1971年(昭和46年)に大友和也がカヴァーしてリリースした日本のシングルである。1966年(昭和41年)に西郷輝彦がリリースしたシングル「涙になりたい」のB面曲として収録されたものが、もっとも広く知られる。
略歴・概要
[編集]のちの城卓矢として知られる菊地正夫がテイチクレコード(現在のテイチクエンタテインメント)専属の時代、菊地の実兄でありクラウンレコード(現在の日本クラウン)専属の作曲家であった北原じゅんが実弟に提供したのが、「ふるさとは宗谷の果てに」の初出である。北海道稚内市にある日本最北端の地・宗谷岬を舞台とし、その果てに位置する、北原・菊地兄弟の出生の地である樺太(当時ソビエト連邦、現在のロシア領サハリン)を想う楽曲である。同作は、同じく北原による「哀愁の一つ星」(あいしゅうのひとつぼし)をB面として、1962年(昭和37年)9月、テイチクレコードからリリースされた。当時は売上もさほどの数字を残さなかった。
1966年(昭和41年)、クラウンレコード専属のスター歌手であった西郷輝彦のプロモーションの一環として、平凡出版(現在のマガジンハウス)とのタイアップを行い、同社の出版する『月刊平凡』誌上で「西郷輝彦の唄う歌」の歌詞を募集した[1]。当選した杉本好美の歌詞に、クラウン専属の北原じゅんが曲を付し、同年2月1日、シングルとしてリリースしたのが「涙になりたい」(なみだになりたい)である[1]。同作は、同名の映画を日活が製作、西郷が主演、森永健次郎が監督して、同年5月18日に公開されている[2]。同シングルのB面に収録されたのが、北原がかつて実弟に贈った「ふるさとは宗谷の果てに」のカヴァーであった[1]。西郷のカヴァーは話題になり、本作が広く知られるところとなった。
1971年(昭和46年)には、北海道出身のユニオンレコード(テイチクのレーベル)専属歌手の大友和也がカヴァーし、同年6月にシングルとしてリリースした。編曲は池田孝で、B面には、1968年(昭和43年)にテイチクレコードからリリースされた木立じゅんの「484のブルース」を作詞・作曲した平田満が提供した「すすきの夜のブルース」(すすきのよるのブルース)を収録した[3]。
ほかにも、ハーベストレコード(ミノルフォン、現在の徳間ジャパンコミュニケーションズのレーベル)の真芽正恵、その他にも黒沢明とロス・プリモス、千昌夫らがカヴァーしている[4]。
収録曲
[編集]菊地版
[編集]- ふるさとは宗谷の果てに
- 作詞・作曲・編曲北原じゅん
- 演奏時間 : 3分14秒
- 出版権 : クラウンミュージック
- 哀愁の一つ星
- 作詞・作曲・編曲北原じゅん
- 演奏時間 : 不明
- 出版権 : クラウンミュージック
西郷版
[編集]- 涙になりたい
- 作詞杉本好美、作曲・編曲北原じゅん
- 演奏時間 : 3分53秒
- 出版権 : クラウンミュージック、マガジンハウス
- 『平凡』募集「西郷輝彦の唄う歌」当選作
- 日活映画『涙になりたい』主題歌
- ふるさとは宗谷の果てに
- 作詞・作曲・編曲北原じゅん
- 演奏時間 : 3分1秒
- 出版権 : クラウンミュージック
大友版
[編集]- ふるさとは宗谷の果てに
- 作詞・作曲北原じゅん、編曲池田孝
- 演奏時間 : 3分25秒
- 出版権 : クラウンミュージック
- すすきの夜のブルース