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どこかで知った娘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「どこかで知った娘」
モンキーズシングル
A面 恋はちょっぴり
B面 どこかで知った娘
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 ロサンゼルス、RCAビクタースタジオ(1967年2月23日)
ジャンル ロック
時間
レーベル コルジェムズ・レコード
作詞・作曲 マイク・ネスミス
プロデュース チップ・ダクラス(B面)
チャート最高順位
モンキーズ シングル 年表
アイム・ア・ビリーヴァー
b/w
ステッピン・ストーン
(1966年11月)
恋はちょっぴり
b/w
どこかで知った娘
(1967年3月)
プレザント・バレー・サンディ
b/w
恋の合言葉
(1967年6月)
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どこかで知った娘」(原題: The Girl I Knew Somewhere)は、マイク・ネスミスが作詞作曲し、モンキーズ1967年に発表した楽曲。

概要

[編集]

アルドン・ミュージックの創立者で、ブリル・ビルディングの多数のソングライターたちを管理していたドン・カーシュナーは、同時にモンキーズのテレビ番組『ザ・モンキーズ・ショー』や彼らのレコード制作にも関わっていた。シングルはB面も、A面と同じ割合でロイヤルティーが発生することから、カーシュナーは1枚目のシングル「恋の終列車」においても2枚目の「アイム・ア・ビリーヴァー」においても、いわばボーナスとしてB面にブリル・ビルディングの作家の作品を採用した。

「アイム・ア・ビリーヴァー」は1966年12月、ビルボード・Hot 100の1位を記録。カーシュナーはさらなるヒットを求め、作者のニール・ダイアモンドに曲の執筆を依頼する。演奏には一切参加できず、決定権も与えられていなかったモンキーズのメンバーたちはこの頃からフラストレーションを抱えていたが、カーシュナーは彼らの声に耳を貸そうとはしなかった。

反旗を翻したのはマイク・ネスミスだった。彼は1967年1月19日、自作の「どこかで知った娘(The Girl I Knew Somewhere)」を他のメンバーとともに密かにレコーディング。このときのリード・ボーカルはネスミス自身が務めた。

1967年の初め、ネスミスはウェスト・ハリウッドのクラブ「ウィスキー・ア・ゴーゴー」でタートルズのコンサートを見たあと、ベーシストのチップ・ダグラスに接触。ダグラスに向かって、モンキーズのメンバーがみな「工場制手工業」的なレコーディングの在り方に飽き飽きしていること、自由獲得のため新しいプロデューサーを探していることを打ち明けた[2][3]

ネスミス「ところで俺たちのバンドのプロデューサーになるつもりはないか?」

ダグラス「でも俺は生まれてこの方レコードをプロデュースしたことなんかないよ」

ネスミス「心配するな。たとえタートルズをやなめなきゃならない事態になっても、君がほしいものはすべて用意してやる」

ダグラスは2月の公演を最後にタートルズを脱退。後任にはジム・ポンズがおさまった。

一方、カーシュナーは次のシングルのため1967年1月21日、ニューヨークのRCAビクターのスタジオBをおさえる。ジェフ・バリーのプロデュースの下、ヒュー・マクラッケンやハービー・ロヴェルなどのセッション・ミュージシャンが集められ、ニール・ダイアモンド作の「恋はちょっぴり(A Little Bit Me, a Little Bit You)」とバリー作の「シー・ハングズ・アウト」のレコーディングが行われた。グループも歌入れのためニューヨークに飛び、リード・ボーカルはともにデイビー・ジョーンズが担当した。同年2月、A面を「恋はちょっぴり」とし、B面を「シー・ハングズ・アウト」とするシングルがピクチャースリーブ付きで発表される。カナダとアメリカ本国のラジオでかかり始めた時、ついにネスミスは本気で怒り、無許可でレコードを発表したとの理由によりカーシュナーを解雇した[4]。カナダで出回ったレコードは回収され、アメリカでは発売中止となった。

同年2月10日、海の向こうではビートルズが「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」にオーケストラをダビングするため、EMIスタジオの第1スタジオで総勢40名のメンバーの演奏をレコーディングした。ビートルズはセッションを見守るゲストとして友人たちを招き、創作意欲に燃えていたネスミスもこの日第1スタジオを訪れた[5]。レコーディングの模様はプロモーション・フィルム用に撮影され、ネスミスの姿もわずかながら確認できる[6]

同年2月23日、グループはチップ・ダグラスをプロデューサーに迎え「どこかで知った娘」を再レコーディング。リード・ボーカルはミッキー・ドレンツにかわった[7][8]。3月18日、モンキーズは「恋はちょっぴり」を3枚目のシングルとして正式に発売。「どこかで知った娘」はそのB面に収録された[1]。前者はビルボード・Hot 100の2位、キャッシュボックスの1位を記録し大ヒット。「どこかで知った娘」もA面の人気に押され、39位を記録した。

両面ともオリジナル・アルバムには収録されなかった。ネスミスがリードをとるバージョンや、その他の別テイクはコンピレーション・アルバム『The Headquarters Sessions』に収録された。

演奏者

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脚注

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  1. ^ a b 45cat - The Monkees - A Little Bit Me, A Little Bit You / The Girl I Knew Somewhere - Colgems - USA - 66-1004
  2. ^ Douglas, Chip (February 2010). "Part Two". The Strange Dave Show (Interview). Interviewed by David Harry Rosenberg. 2012年10月2日閲覧
  3. ^ Douglas, Chip (February 2010). "Part Three". The Strange Dave Show (Interview). Interviewed by David Harry Rosenberg. 2012年10月2日閲覧
  4. ^ Harold Bronson, ed (October 1996). Hey, hey, we're the Monkees. Santa Monica, Calif.: General Pub. Group. p. 67. ISBN 1575440121 
  5. ^ Marinucci, Steve (2018年5月31日). “Mike Nesmith Reflects on His Weed-Fueled, Post-Monkees Project First National Band & New Memoir”. Billboard. https://www.billboard.com/articles/columns/rock/8458680/mike-nesmith-interview 2021年7月28日閲覧。 
  6. ^ The Beatles - A Day In The Life”. The Beatles (2015年10月28日). 2021年7月28日閲覧。
  7. ^ The Girl I Knew Somewhere”. colli.tripod.com. December 6, 2015閲覧。
  8. ^ Greenwald, Matthew. “The Girl I Knew Somewhere - Review”. allmusic.com. December 6, 2015閲覧。