とうかん山古墳
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とうかん山古墳 | |
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墳丘(右に前方部、左奥に後円部) | |
所在地 | 埼玉県熊谷市箕輪99-1ほか |
位置 | 北緯36度5分13.58秒 東経139度24分43.10秒 / 北緯36.0871056度 東経139.4119722度座標: 北緯36度5分13.58秒 東経139度24分43.10秒 / 北緯36.0871056度 東経139.4119722度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長75m 高さ6.2m(後円部) |
埋葬施設 | (推定)横穴式石室 |
出土品 | 埴輪 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 埼玉県指定史跡「とうかん山古墳」 |
地図 |
とうかん山古墳(とうかんやまこふん)は、埼玉県熊谷市箕輪にある古墳。形状は前方後円墳。埼玉県指定史跡に指定されている。
概要
[編集]埼玉県中部、比企丘陵北辺部の台地中央部に築造された古墳である[1]。墳丘上には稲荷社(おとうか様)・十日夜碑が所在し、古墳名はこれらに由来する。現在までに墳丘周囲は改変を受けているほか、発掘調査は実施されていない。
墳形は前方後円形で、前方部を南西方向に向ける[2]。墳丘長75メートルを測り、熊谷市内では最大規模、埼玉古墳群(行田市)との比較では瓦塚古墳と同程度の規模の前方後円墳になる[3]。墳丘外表では円筒埴輪が採集されている[2]。また墳丘周囲には周溝が巡ると見られるが、現在は埋没している[3]。埋葬施設は明らかでないが、横穴式石室と推定される[3]。副葬品は詳らかでない。
このとうかん山古墳は、古墳時代後期の6世紀後半[3][4](または6世紀中葉[2])頃の築造と推定される。比企丘陵北端の大古墳群である三千塚古墳群の東端に所在するとともに、南約1キロメートルに所在する甲山古墳(熊谷市冑山)と合わせて埼玉古墳群とも関係する大首長の存在を示唆するとして重要視される古墳になる。
古墳域は1989年(平成元年)に埼玉県指定史跡に指定されている[4]。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[3]。
- 墳丘長:75メートル(または74メートル[2])
- 後円部
- 直径:37メートル
- 高さ:6.2メートル
- 前方部
- 長さ:38メートル
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
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前方部墳頂の稲荷神社
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前方部墳丘
文化財
[編集]埼玉県指定文化財
[編集]- 史跡
- とうかん山古墳 - 所有者は保安寺。1989年(平成元年)3月17日指定[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板(埼玉県教育委員会・大里村教育委員会、1991年設置)
- 「箕輪村」『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』平凡社、1993年。ISBN 4582490115。
- 塩野博『埼玉の古墳 大里』さきたま出版会、2004年。