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たかじん生JIN JIN

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たかじん生JIN JIN
ジャンル 情報番組
放送方式 生放送
放送期間 1995年7月 - 1998年3月
放送時間 金曜日 12:00 - 14:00
放送局 MBSラジオ
パーソナリティ やしきたかじん
出演 石田敦子
子守康範
青木直子
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たかじん生JIN JIN(たかじんなまじんじん)は毎日放送(MBSラジオ)で1995年7月[1]から1998年3月まで毎週金曜日に放送されていたラジオ番組。

概要

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やしきたかじんが『それゆけ!火曜日の終了(1994年9月)以来、MBSラジオで10ヶ月振りにレギュラーでパーソナリティを務めた番組。同番組のパーソナリティ時代を彷彿させるコーナーで構成された。

アシスタントには1年目(1995年度)のみ、石田敦子が担当。2年目(1996年度)以降は、たかじんの希望で子守康範(いずれも担当時点では毎日放送アナウンサー)を起用した。『それゆけ!』金曜日(1994年8月)での電話リポート(子守康範#毎日放送アナウンサー時代を参照)によってテレビ・ラジオ番組への出演を一時的に見合わせていた子守は、この起用を機に番組出演を本格的に再開した。

出演者

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  • やしきたかじん
  • 石田敦子(出演当時は毎日放送アナウンサー、1995年度アシスタント)
  • 子守康範(同上、1996年・1997年度アシスタント)
  • 青木直子

コーナー

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  • 誰かとめんかい
  • 世間がお呼びです
  • タベタリーノ

スタッフ

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エピソード

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  • MBSラジオでは、『それゆけ!』を放送していた時期に、当時の後続番組『すみからすみまで角淳一です』の冒頭で両番組の出演者がクロストークを展開していた。当番組では1年目のみ、後続番組『金曜まるごと清水国明』とのクロストークを挟まなかった。しかし、後続番組が『板東英二金曜生BAN BAN』に変わった2年目以降は、『それゆけ!』でもパーソナリティを務めていた板東と当番組出演者の間でクロストークを復活させていた。
  • 当番組の終了が決まっていた1998年3月には、たかじんが「番組の演出をめぐるスタッフとの意見の相違」を理由に、当番組の本番開始から数分でスタジオを退出。最終回の目前(放送日不詳)にして、子守だけで生放送を進めざるを得ない事態に陥った。そこでスタッフは、子守のアナウンスを通じて、「生放送ですぐに告知したいことがある(関西在住の)落語家」を急遽募集。この急募に応じて出演した桂坊枝1997年10月から『日曜出勤生ラジオ』のリポーターを担当)が、告知や子守とのフリートークなどで残り時間を埋めた(たかじんが64歳で逝去した直後の2014年1月8日にMBSラジオで放送された追悼特別番組で子守・坊枝が証言)。ちなみに、子守と坊枝は、当番組の終了翌月(1998年4月)からMBSテレビで放送を開始したたかじんの冠番組『たかじんONE MAN』にも定期的に登場(子守は2000年1月からフリーアナウンサーとして出演)。坊枝自身も、MBSラジオが毎週日曜日のランチタイムに放送していた生ワイド番組(『日曜出勤生ラジオ』→『今日は日曜♪野村啓司のラジオなひととき』)で、9年半にわたって中継リポーターを続けた。

脚注

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関連項目

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MBSラジオ 金曜午後ワイド番組
前番組 番組名 次番組
すみからすみまで愛なのね
(放送曜日を月〜木曜日へ縮小)
たかじん生JIN JIN
(1995年7月 - 1998年3月)