こんな女に誰がした
こんな女に誰がした | |
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公開当時のポスター。 | |
監督 | 山本薩夫 |
脚本 |
八木保太郎 棚田吾郎 舟橋和郎 |
製作 |
牧野満男 企画 伊藤武郎 |
出演者 |
岸旗江 伊豆肇 |
音楽 | 飯田信夫 |
主題歌 | 『星の流れに』 |
撮影 |
木塚誠一 照明 西川鶴三 |
製作会社 | 東横映画 |
配給 | 大映 |
公開 | 1949年7月4日 |
上映時間 | 89分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『こんな女に誰がした』(こんなおんなにたれがした)は、1949年(昭和24年)、山本薩夫が監督し、東横映画が製作、大映が配給して公開した日本の長篇劇映画である[1][2][3][4]。
略歴・概要
[編集]第二次世界大戦後、従来興行会社であった東横映画が大映との協定を結び、1947年(昭和22年)、「大映第二撮影所」(現在の東映京都撮影所)を借りて同撮影所を「東横映画撮影所」とし、製作を開始、3年目に製作された現代劇が本作である[1][2][3][4]。本作の題名「こんな女に誰がした」は、1947年10月にテイチクレコード(現在のテイチクエンタテインメント)が菊池章子の歌唱を録音して売り出したレコード『星の流れに』のラストフレーズであり、本作が製作された年の春ごろにヒットの兆しがあったとされる[5]。前年1948年(昭和23年)8月10日に東宝が配給して公開された、太泉スタヂオ(現在の東映東京撮影所)が製作した映画『肉体の門』でも、『星の流れに』は挿入歌に使用されていた[5]。
伊藤武郎は日本映画演劇労働組合(日映演)初代委員長であり、東宝争議をめぐって最終的に東宝を退社した人物である[6]。主演の岸旗江、伊豆肇は、1946年(昭和21年)11月、争議を原因に「十人の旗の会」を結成して労働組合を脱退したメンバーである。築地小劇場の土方与志、劇団民藝の宇野重吉、清水将夫、滝沢修らの舞台俳優が出演している[1][2][3][4]。
本作に「映倫番号」が付されているのは、公開直前の同年6月14日に「映画倫理規程管理委員会」(旧映倫)が結成されたからで、1954年(昭和29年)8月まではレイティングは行われていない[7]。東横映画を配給するために東京映画配給(現在の東映)が設立されるのは、同年10月1日なので、本作は従来通り大映が配給した[1][2][3][4]。
東京国立近代美術館フィルムセンターは、本作の上映用プリント等を所蔵していない[8]。
作品データ
[編集]- 製作 : 東横映画
- 上映時間 (巻数 / メートル) : 89分 (9巻 / 2,435メートル)
- フォーマット : 白黒映画 - スタンダード・サイズ(1.37:1) - 24fps - モノラル録音
- 映倫番号 : A382[2] (旧映倫)
- 公開日 : 日本 1949年7月4日
- 配給 : 大映
スタッフ
[編集]- 製作 : 牧野満男
- 企画 : 伊藤武郎
- 脚本 : 八木保太郎、棚田吾郎、舟橋和郎
- 監督 : 山本薩夫
- 撮影 : 木塚誠一
- 照明 : 西川鶴三
- 美術 : 堀保治
- 録音 : 東城絹児郎
- 音楽 : 飯田信夫
キャスト
[編集]- 常盤操子 - 「引揚船の中年婦人」役
- 秋庭米子 - 「由美子」役
- 瀧登紀子 - 「小池チカ子」役
- 沼田曜一 - 「研究所の小使」役
- 水原通子 - 「派出看護婦会の女B」役
- 西村秀子 - 「派出看護婦会の女C」役
- 千原由紀
脚注
[編集]- ^ a b c d こんな女に誰がした、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月18日閲覧。
- ^ a b c d e こんな女に誰がした、日本映画製作者連盟、2012年7月18日閲覧。
- ^ a b c d こんな女に誰がした、日本映画データベース、2012年7月18日閲覧。
- ^ a b c d こんな女に誰がした、キネマ旬報映画データベース、2012年7月18日閲覧。
- ^ a b 長田、p.133.
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『伊藤武郎』 - コトバンク、2012年7月18日閲覧。
- ^ 映倫の概要、映画倫理委員会、2012年7月18日閲覧。
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 『クロニクル東映 1947-1991』、東映、1992年
- 『歌でつづる20世紀 あの歌が流れていた頃』、長田暁二、ヤマハミュージックメディア、2006年 ISBN 4636207491