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夜泣き石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こそこそ岩から転送)
竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「夜鳴石」

夜泣き石(よなきいし)は、にまつわる日本伝説の一つ。各地にさまざまな夜泣き石が存在する。

大別すると、泣き声がする、子どもの夜泣きが収まるとの伝説に分かれる。中でも静岡県小夜の中山夜泣き石がよく知られているが、日本各地に存在する夜泣き石の中には、小夜の中山のように殺された者の霊が乗り移って泣き声をあげるといわれるほか、石自体が怪音を出すといわれるものも多い[1]

日本各地の夜泣き石

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槵觸神社周辺 夜泣き石

泣き声がする

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夜泣きが収まる

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類話

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夜泣き石のように、石が声を発したり人を化かしたという伝承は各地にある。岡山県苫田郡泉村箱(後の奥津町、現・鏡野町)の「杓子岩」(しゃくしいわ)は、夜に通行人に対して「味噌をくれ」と言って杓子を突き出したという[2]。同県御津郡円城村(現・同県加賀郡吉備中央町)にあった「こそこそ岩」という巨岩は、夜に人が通りかかると「こそこそ」と音を立てたという[3]香川県琴南町(現・まんのう町)美合の山中の「オマンノ岩」は、近くを人が通りかかると、中から老婆が現れて「おまんの母でございます」と名乗ったという[4]長野県北安曇郡小谷村大所の「物岩(ものいわ)」は、かつて命を狙われている者が付近を通りかかったとき「殺されるぞ」と声を出し、命を救ったといわれる[5][6]

古来から日本人は石や岩を霊的なものとして崇拝しており、そうした霊的な存在は妖怪にとって格好の住処であったとされることが、こうした伝承の背景と考えられている[7]

古くは奈良時代から例が見られ、『続日本紀宝亀元年(770年)2月23日条に、「西大寺東塔の心礎を壊し捨てたが、石の大きさは一四方余り、厚さ九で、東大寺の東の飯盛山にあった石であった。初め数千人で引き動かしたが、一日に数歩分しか進まず、時には唸り声がした。そこで人夫を増やして九日かかってやっと運んだ。その後、加工されたが、男女の巫(みこ)の中に石の祟りがあるかもしれないという者があった。そこで柴を積んで石を焼き、三十余りのを注いで、細かく砕いて道路に捨てた。一か月後、天皇が病となった。占った結果、砕いた石の祟りと出たので、石を拾い、清らかな土地に置き、人馬がふまないようにした」と記述され、古代から石が声を発し、祟るものという認識があったことがわかる。また、記・紀神話においても、天地開闢して間もない頃は、「石草木ものいう」という表現がみられる。

脚注

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  1. ^ 徳田和夫他 著、乾克己他 編『日本伝奇伝説大事典』角川書店、1986年、936頁。ISBN 978-4-04-031300-9 
  2. ^ 苫田郡教育会編纂「古伝説及地名の由来」『苫田郡誌』苫田郡教育会、1927年、1282頁。 
  3. ^ 柳田國男『妖怪談義』講談社講談社学術文庫〉、1977年、202頁。ISBN 978-4-06-158135-7 
  4. ^ 村上健司編著『妖怪事典』毎日新聞社、2000年、89頁。ISBN 978-4-620-31428-0 
  5. ^ 信濃教育会北安曇部会編『北安曇郡郷土誌稿』 第7輯、信濃毎日新聞社、1937年、30-31頁。 
  6. ^ 妖怪雲根志”. 妖怪覺書. 民俗学の古本屋古書わらべ (2004年5月11日). 2009年12月5日閲覧。(※リンク先には新潟県とあるが、正しくは長野県)
  7. ^ 多田克己『幻想世界の住人たち』 IV、新紀元社〈Truth in fantasy〉、1990年、222頁。ISBN 978-4-915146-44-2