たざわ (列車)
たざわ | |
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特急「たざわ」(1990年 青森駅) | |
概要 | |
国 | 日本 |
種類 | 特別急行列車(エル特急) |
現況 | 廃止 |
地域 | 岩手県・秋田県・青森県 |
前身 |
急行「南八幡平」 急行「たざわ」 |
運行開始 | 1982年11月15日 |
運行終了 | 1996年3月29日 |
後継 |
特急「秋田リレー」 新幹線「こまち」 特急「かもしか」 |
運営者 |
日本国有鉄道(国鉄)→ 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
路線 | |
起点 | 盛岡駅 |
終点 | 青森駅 |
運行間隔 | 14往復 |
列車番号 | 3000M+号数 |
使用路線 | 田沢湖線・奥羽本線 |
車内サービス | |
クラス | グリーン車・普通車 |
身障者対応 | なし |
座席 |
グリーン車指定席 普通車指定席 普通車自由席 |
技術 | |
車両 |
485系電車(たざわ) (南秋田運転所) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 | 交流20,000 V・50 Hz |
最高速度 | 最高110 km/h[1] |
たざわは、日本国有鉄道(国鉄)と東日本旅客鉄道(JR東日本)が盛岡駅 - 秋田駅・青森駅間を田沢湖線・奥羽本線経由で運行していた特急列車である。
本節では「たざわ」のほか、1996年より「たざわ」の代替特急となった「秋田リレー」に加え、田沢湖線および同線と関連の深い北上線・奥羽本線横手駅 - 大曲駅 - 秋田駅間で運行された昼行優等列車の歴史・沿革についても記述する。
概要
[編集]1966年(昭和41年)10月20日の田沢湖線全通開業により、盛岡駅 - 秋田駅間で運行を開始した急行「南八幡平」を前身とする。1968年(昭和43年)10月1日に急行「たざわ」に名称を変更し仙台駅・盛岡駅 - 秋田駅の運行となった。1982年11月15日の上越新幹線開業に伴う東北新幹線の増発および田沢湖線全線電化に伴い、東北新幹線と接続する盛岡駅 - 秋田駅の電車特急列車となり、エル特急に指定された。1985年には青森駅まで運転区間が延長されている。
1996年3月より田沢湖線改軌工事に伴い運転区間を秋田駅 - 青森駅間に変更し、1997年3月の秋田新幹線開業に伴い「かもしか」に改称されて廃止された。
運行概況
[編集]秋田新幹線建設工事開始の時点で「たざわ」は14往復運行されており、うち2往復が青森駅発着となっていた。1996年以降は秋田駅 - 青森駅間に運行を縮小し、2往復のみの運行となった。
車両は運行開始から廃止まで一貫して南秋田運転所(現・秋田総合車両センター南秋田センター)所属の485系電車が使用された。
停車駅
[編集]- 盛岡駅 - (小岩井駅) - (雫石駅) - 田沢湖駅 - 角館駅 - 大曲駅 - (刈和野駅) - 秋田駅 ( - (土崎駅) - 〔追分駅〕 - (大久保駅) - 八郎潟駅 - 森岳駅 - 東能代駅 - 二ツ井駅 - 鷹ノ巣駅 - (早口駅) - 大館駅 - 碇ケ関駅 - 大鰐温泉駅 - 弘前駅 - 川部駅 - 浪岡駅 - 青森駅 )
- ( )は、一部の列車が停車。また、小岩井駅と刈和野駅については、一部期間のみ数本臨時停車。
- 〔 〕は、東能代駅発着列車のみ停車。
- 急行「たざわ」時代は小岩井駅・羽後長野駅にも全列車停車していた。
- 秋田 - 青森間は、一部列車のみ停車。
特急「秋田リレー」
[編集]秋田リレー | |
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特急「秋田リレー」 (1997年2月 北上駅) | |
概要 | |
国 | 日本 |
種類 | 特別急行列車(エル特急) |
現況 | 廃止 |
地域 | 岩手県・秋田県 |
前身 | 特急「たざわ」 |
運行開始 | 1996年3月30日 |
運行終了 | 1997年3月21日 |
後継 | 新幹線「こまち」 |
運営者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
路線 | |
起点 | 北上駅 |
終点 | 秋田駅 |
運行間隔 |
北上発10本 秋田発11本 |
列車番号 | 3000D+号数 |
使用路線 | 北上線・奥羽本線 |
車内サービス | |
クラス | 普通車 |
座席 |
普通車指定席 普通車自由席 |
技術 | |
車両 |
キハ110系気動車 (南秋田運転所) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 |
非電化(北上 - 横手間) 交流20,000 V・50 Hz(横手 - 秋田間)[注 1] |
最高速度 | 110 km/h |
秋田リレーは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が北上駅 - 秋田駅間を北上線・奥羽本線経由で運行していた特急列車である。
概要
[編集]1996年3月に、秋田新幹線運行に向けた改軌をはじめとする工事のため田沢湖線全線が1年間全列車運休となったため、従来の「たざわ」の役割を担う特急として設定された。
北上線を経由するため「たざわ」や現在の秋田新幹線と比べると直線的なルートを通り、かつ北上線自体の線形が良好なことや、停車駅の少なさ、使用車両であるキハ110系の走行性能の高さから所要時間は最速1時間53分[注 2]となり、現在の東北・秋田新幹線「こまち」(北上駅停車便)の北上駅 - 秋田駅間の所要時間である約2時間に匹敵する速さを有していた[2]。「秋田リレー」運行期間中は東北新幹線「やまびこ」と接続することで「たざわ」の新幹線連絡特急としての機能を代替していたほか、最速「やまびこ」1往復[注 3]を臨時停車扱いで北上駅に停車させ、最速「秋田リレー」1往復[注 4]に接続することで東京駅 - 秋田駅間を4時間30分で結ぶ最速ルートを確立しており、繁忙期は増結してもなお輸送力に不足が生じたほどであった。
この「秋田リレー」についても「たざわ」と同様エル特急指定がなされ、その後、2002年(平成14年)12月1日のダイヤ改正時にJR東日本管内で完結する列車についてエル特急の呼称が廃止されたため、JR東日本で最後に新設されたエル特急となった。また、経由の北上線が非電化であったことから、JR東日本発足以降唯一、自社保有の気動車で定期運行された特急列車でもある。
1997年3月の秋田新幹線開業に伴い廃止された。
運行概況
[編集]1日に10.5往復運行された。
停車駅
[編集]使用車両・編成
[編集]キハ110系300番台が使用された。いずれも南秋田運転所(現・秋田総合車両センター南秋田センター)所属であった。
キハ110系300番台は、同系列唯一の特急形車両として落成したが、暫定運転であったことから普通車のみであった[注 5]。通常期の編成と座席区分は以下の通り。多客期は増結による5両編成や6両編成の列車もあった。
- 4両編成(2+1+1両または1+1+1+1両)
- 1・2・3・4・7・8・11・12・15・16・17・18・22号
- 自由席:4・3号車、指定席:2・1号車
- 禁煙席:3・1号車
- 3両編成(2+1両または1+1+1両)
- 5・6・9・10・13・14・20号
- 自由席:3号車、指定席:2・1号車
- 禁煙席:2号車
- 7両編成(2+1+1+1+1+1両)
- 19号
- 自由席:7・6・5※号車、指定席:4 - 1号車(5号車は日によって指定席に変更)
- 禁煙席:6・3・1号車
運行終了後には20両全車が200番台に改造されて新津運輸区に2両[注 6]が、長野総合車両センターに18両[注 7]が転出し、現在は一般形気動車として使用されている。このうち長野総合車両センター所属の2両[注 8][3]は2014年に観光列車「おいこっと」に再改造されている[4]。 また、長野総合車両センターに転出した車両は200番台化改造工事による入場までの間、エクステリア・インテリア共に300番台の仕様のまま臨時快速「信州循環列車」に充当されたこともあった[2]。
田沢湖線・北上線・奥羽本線横手駅 - 秋田駅間の昼行優等列車の歴史・沿革
[編集]本節では、列車沿革上密接な関連性が認められる田沢湖線や北上線、(エル特急「たざわ」、急行「きたかみ」などを中心に)奥羽本線横手駅 - 秋田駅間で運行された昼行優等列車の歴史・沿革を記述する。
田沢湖線
[編集]- 1966年(昭和41年)10月20日:田沢湖線全通により、盛岡駅 - 秋田駅間を結ぶ急行列車として「南八幡平」(みなみはちまんたい)が設定される。設定当初は2往復。
- 下りの「第1南八幡平」と上り「第1南八幡平」・「第2南八幡平」は、奥羽本線大曲駅 - 秋田駅間で急行「千秋」に併結して運転[注 9]。
- 1968年(昭和43年)10月1日:「南八幡平」の名称を「たざわ」に変更。この際、仙台駅発着の列車を1往復設定。
- 奥羽本線大曲駅 - 秋田駅間では、下り「たざわ1号」は急行「千秋1号」と、同「たざわ2号」は急行「きたかみ1号」と、上り「たざわ1号」は急行「きたかみ1号」と、同「たざわ2号」は急行「こまくさ」と併結して運転[8]。
- 1982年(昭和57年)6月23日:東北新幹線大宮駅 - 盛岡駅間暫定開業に伴い、仙台駅発着の「たざわ1・4号」は盛岡駅で系統分割され、仙台駅 - 盛岡駅間は「たざわ11・12号」に改められる。なお、盛岡発着の「たざわ」2往復は、それぞれ東北新幹線「やまびこ」に接続。奥羽本線大曲駅 - 秋田駅間での急行「きたかみ」、「こまくさ」との併結を取りやめ[9]。
北上線
[編集]「北上」・「きたかみ」は、かつて東北本線を走る急行列車名(前者は夜行列車、後者は昼行列車)であった。詳細は東北本線優等列車沿革を参照。
- 1962年(昭和37年)7月15日:仙台駅 - 青森駅間を東北本線・北上線・奥羽本線経由で運行する急行「あけぼの」運転開始(701D・702D)[10][11][12]。
- 1968年(昭和43年)10月1日:仙台駅 - 青森駅間急行「あけぼの」を「きたかみ」に名称変更[10][13]。
- 奥羽本線大曲駅 - 秋田駅間では、下り「きたかみ1号」は急行「たざわ2号」と、上り「きたかみ1号」は急行「たざわ1号」と併結して運転[8]。
- 1971年(昭和46年)3月20日:仙台駅 - 秋田駅間を東北本線・北上線・奥羽本線経由で運行する臨時特急「あおば」運転開始[10][12]。
- 上野駅 - 秋田駅間特急「つばさ」の間合い運用でキハ181系特急気動車で運転。
- 当初は臨時列車扱いで、市販の各時刻表には「当分の間運転」と記載。なお、半年間は普通車のみの編成であったが、10月にはグリーン車・食堂車を連結した編成となった[12]。
- 1972年(昭和47年)3月15日:「あおば」定期列車に格上げ[12]。
- 1975年(昭和50年)11月25日:「つばさ」の電車化に伴い、同特急の間合い運用で運行された特急「あおば」を廃止、急行「きたかみ」に格下げ[10][13][14]。
- 1980年(昭和55年)10月当時の時刻表による、急行「きたかみ」の北上線内における運行概況は以下のとおり[15]。
- 線内を3往復運転。仙台駅 - 秋田駅間が2往復(1, 2, 5, 6号)、青森発着は1往復(3, 4号)。
- 停車駅:北上駅 - 陸中川尻駅(現・ほっとゆだ駅) - 横手駅
- 横手駅 - 北上駅間を1時間8分 - 1時間20分かけて走破。
- 急行「きたかみ」の停車駅
- 仙台駅 - 塩釜駅 - (松島駅) - 小牛田駅 - (瀬峰駅) - (花泉駅) - 一ノ関駅 - (平泉駅) - 水沢駅 - 北上駅 - 陸中川尻駅(現・ほっとゆだ駅) - 横手駅 - 大曲駅 - (羽後境駅) - 秋田駅 ( - 土崎駅 - 八郎潟駅 - 森岳駅 - 東能代駅 - 二ツ井駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 碇ヶ関駅 - 大鰐駅(現・大鰐温泉駅) - 弘前駅 - 浪岡駅 - 青森駅)
- 秋田駅までの()内は一部停車、秋田駅 - 青森駅間は急行「しらゆき」と併結運転。
上越新幹線開業後から秋田新幹線開業まで
[編集]- 1982年(昭和57年)
- 1985年(昭和60年)3月14日:ダイヤ改正により、「たざわ」の6往復中2往復を青森駅まで運転区間を延長[18]。
- 1986年(昭和61年)
- 1988年(昭和63年)3月13日:ダイヤ改正により、「たざわ」13往復に増発、毎時1本の運行体制となり、このうち1往復が東能代駅まで延長[16][22]。
- 1989年(平成元年)3月11日:ダイヤ改正により、「たざわ」14往復に増発[16]。
- 1991年(平成3年)3月16日:ダイヤ改正により、「たざわ」の最高速度が従来の95 km/hから全区間で110 km/hに向上、これにより所要時間が最大13分程度短縮[1]。また、青森発着の1往復が停車していた川部駅・浪岡駅が停車駅から除外される。春 - 秋の一部列車で行われていた小岩井駅への停車が取りやめ。
- 1992年(平成4年)3月16日:ダイヤ改正により、「おものがわ」1往復増発[23]。
- 1993年(平成5年)12月1日:ダイヤ改正により、以下のように変更。
- 1994年(平成6年)3月1日:1往復(末期は25・4号)で行われていた刈和野駅への停車が取りやめ。
- 1995年(平成7年)12月1日:ダイヤ改正により、以下のように変更。
- 1996年(平成8年)3月30日:田沢湖線改軌工事(秋田新幹線工事)による全面運休に伴い、以下のように変更。
- 1997年(平成9年)3月22日:秋田新幹線開業に伴い以下のように変更。
秋田新幹線開業以降
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 但し、気動車を使用。
- ^ 2号の秋田7時10分発、北上9時03分着のダイヤ。なお、最遅列車の9号は北上14時18分発、秋田16時46分着で所要時間は2時間28分。
- ^ 14号・19号。「秋田リレー」に接続する他の「やまびこ」全列車が郡山駅・福島駅や仙台駅以北の各駅に停車するのに対し、この1往復のみ東京駅・上野駅・大宮駅・仙台駅・北上駅・盛岡駅に停車した。
- ^ 2号・19号。特に19号は後述の通り常時7両編成で運行されていたことから、当最速ルートの速達効果がうかがえる。
- ^ なお現在、JR東日本における唯一の気動車特急形車両であり、秋田リレー号は同じくJR東日本唯一の定期気動車特急列車である。
- ^ キハ110-223・224であり、もとキハ110-301・302。2020年には2両とも衛星電話アンテナ・セラミック噴射装置の取り付けや行先表示のLED化などの再改造が行われ、同運輸区所属のキハ110-214と共に只見線専用車両となっている。
- ^ キハ110-225 - 236とキハ111・112-210 - 212であり、もとキハ110-303 - 314とキハ111・112-301 - 303。なお、長野総合車両センター所属の全てのキハ110系がこの18両である。
- ^ キハ110-235・236。もとキハ110-313・314であり、転出当初はロングシートが1-3位側に向けて配置された眺望車「ふるさと」に改造され、その後一時的に一般仕様にも改められた。
- ^ 当時の列車号数は、現在のように下り奇数、上り偶数ではなく、上下ともども時間の早い順に1号・2号とつれられ、列車によっては「第1○○」・「第2○○」のように付けられた列車もあり、一度1968年(昭和43年)10月1日のダイヤ改正で「第1○○」・「第2○○」はやめた[5]が、上下同じ号数はそのままで、誤乗防止などの観点から、1978年(昭和53年)10月1日のダイヤ改正で改められた[6]。また、下りの「第1南八幡平」と上り「第2南八幡平」は、時期によって仙台駅まで延長運転していた[7]。
- ^ この時「たざわ」に編入されなかった列車のうち、下り1本は山形発特急「つばさ1号」を青森駅まで延長する形で格上げ編入され、残り1往復は秋田駅 - 青森駅間の特急「むつ」として格上げされた。なお、特急「むつ」は、1986年(昭和61年)11月1日に廃止[20]された。
出典
[編集]- ^ a b 『JR特急10年の歩み』弘済出版社、1997年5月15日、61頁。ISBN 4-330-45697-4。
- ^ a b 『鉄道ファン』第58巻第2号、交友社、2018年2月、16頁。
- ^ 『鉄道ファン』第58巻第2号、交友社、2018年2月、17頁。
- ^ 飯山線の観光列車"おいこっと"登場 - 鉄道ホビダス 2014年12月25日
- ^ 所澤秀樹 著「列車名はややこしい」、駒井稔(発行人) 編『「快速」と「準急」どっちが早い?鉄道のオキテはややこしい』光文社、2015年7月20日、60 - 62頁。ISBN 978-4-334-03869-4。
- ^ 所澤秀樹 著「列車名はややこしい」、駒井稔(発行人) 編『「快速」と「準急」どっちが早い?鉄道のオキテはややこしい』光文社、2015年7月20日、32頁。ISBN 978-4-334-03869-4。
- ^ 長谷川小太郎(編集兼発行人)「田沢湖線、奥羽本線 下り・上り」『国鉄監修 時刻表 1967年10月号』第43巻10号(通巻第500号)、日本交通公社、1967年10月、263 - 269頁。
- ^ a b 松田清(編集兼発行人)「青函航路・奥羽本線 下り・上り」『国鉄監修 時刻表 1967年10月号』第43巻10号(通巻第500号)、日本交通公社、1973年10月、308 - 311頁。
- ^ 寺本光照 著「新幹線開業後、東北本線優等列車史」、廣部妥(編集人) 編『あの日から30年 57-11ダイヤ改正』イカロス出版〈イカロスMOOK(j train 特別編集)〉、2012年12月1日、38,42頁頁。
- ^ a b c d e f g 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻21号 釜石線・山田線・岩泉線・北上線・八戸線 23頁
- ^ 寺本光照 & 三宅俊彦 2011, p. 58.
- ^ a b c d e f g 日本鉄道旅行歴史地図帳 2号―全線全駅全優等列車 東北・列車年表、p.46。
- ^ a b 日本鉄道旅行歴史地図帳 2号―全線全駅全優等列車 東北・列車年表、p.44,46。
- ^ 日本鉄道旅行歴史地図帳 2号―全線全駅全優等列車 東北・列車年表、p.50。
- ^ 「北上線 下り・上り」『謹呈日本国有鉄道 時刻表 1980年秋号』、日本国有鉄道、1980年10月、330 - 331頁。
- ^ a b c d e f g h i 日本鉄道旅行歴史地図帳 2号―全線全駅全優等列車 東北・列車年表、pp.37 - 38。
- ^ a b 日本鉄道旅行歴史地図帳 2号―全線全駅全優等列車 東北・列車年表、pp.44 - 45。
- ^ a b 渋谷邦彦(編集人)「青函航路・奥羽本線(秋田-青森)下り・上り」『国鉄監修 時刻表 1985年3月号』第61巻3号(通巻第709号)、日本交通公社、1985-3-、389 - 393頁。
- ^ a b 渋谷邦彦(編集人)「青函航路・奥羽本線(秋田-青森)下り・上り」『国鉄監修 時刻表 1985年1月号』第61巻1号(通巻第707号)、日本交通公社、1985年1月1日、366 - 370頁。
- ^ 『鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、48頁。
- ^ 渋谷邦彦(編集人)「奥羽本線(福島-秋田)下り・上り」『国鉄監修 時刻表 1986年11月号』第62巻10号(通巻第729号)、日本交通公社、1986年11月1日、478,483。
- ^ “JR旅客6社と貨物 新列車ダイヤが確定”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1987年12月22日)
- ^ 『JTB時刻表』1992年3月号「奥羽本線(福島-秋田)下り・上り」
- ^ 『JTB時刻表』1993年12月号「奥羽本線(福島-秋田)下り・上り」
- ^ 『JTB時刻表』1995年12月号「奥羽本線(福島-秋田)下り・上り」
- ^ 『JTB時刻表』1997年3月号「奥羽本線・田沢湖線(福島・盛岡-秋田)下り・上り」
- ^ 『JTB時刻表』1999年3月号「奥羽本線・田沢湖線(福島・盛岡-秋田)下り・上り」
- ^ 『JTB時刻表』1999年12月号「奥羽本線・田沢湖線(福島・盛岡-秋田)下り・上り」
参考文献
[編集]- 書籍・時刻表
- 『国鉄監修 交通公社の時刻表』各年各月号、日本交通公社、田沢湖線・北上線・奥羽本線各掲載頁。
- 渋谷邦彦(編集人)「エキゾチック ジャパン トクトクニュース」『国鉄監修 時刻表 1985年3月号』第61巻3号(通巻第709号)、日本交通公社、1985年3月、付録5 - 6。
- 今尾恵介・原武史(監修) 著、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) 編『日本鉄道旅行歴史地図帳 全線全駅全優等列車』 2号・東北、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2010年6月18日、37 - 38,48 - 49,53頁頁。ISBN 978-4-10-790036-4。
- 寺本光照 著「新幹線開業後、東北本線優等列車史」、廣部妥(編集人) 編『あの日から30年 57-11ダイヤ改正』イカロス出版〈イカロスMOOK(j train 特別編集)〉、2012年12月1日、36 - 50頁。ISBN 978-4-86320-642-7。
- 小榑宏明 著「485系特急形電車運転のあゆみと使用方の変遷」、ジェー・アール・アール篇 編『復刻版 485系特急形電車 481系デビュー50年〜誕生から昭和60年3月改正までのデータブック〜』交通新聞社、2014年12月25日、26 - 31,76,80頁頁。ISBN 978-4-330-52714-7。
- 趣味誌・専門誌
- 編集部「〝60・3〟ダイヤで特急電車はこう変わった」『鉄道ジャーナル 特集●新幹線上の開業と特急列車』第19巻6号(通巻220号)、鉄道ジャーナル社、1985年6月、72 -73頁。
- 三宅俊彦「60-3国鉄特急プロフィール」『鉄道ファン』第25巻6号(通巻290号)、交友社、1985年6月、21 - 22頁。
- 大熊孝夫「今年も大わらわ・・・・ 電車の引越し大作戦」『鉄道ファン』第25巻6号(通巻290号)、交友社、1985年6月、39 - 41頁。
- 編集部「JR特急の中核として活躍 485系特急電車の現状」『鉄道ジャーナル 特集●JRに残る〝国鉄型〟車両の将来』第26巻12号(通巻314号)、鉄道ジャーナル社、1992年12月、18 -19頁。
- 坂正博「特集:JR特急電車プロフィール'93」『鉄道ファン』第33巻3号(通巻383号)、交友社、1993年3月、20 - 21頁。
- 佐藤利生「特集:国鉄形特急電車2003」『鉄道ファン』第43巻3号(通巻503号)、交友社、2003年3月、23 - 24頁。
- 「特集:東北新幹線全線開業」『鉄道ファン』第51巻2号(通巻598号)、交友社、2011年2月、12 - 13頁。
- 手塚一之「特集:485系パーフェクト」『鉄道ファン』第51巻2号(通巻602号)、交友社、2011年6月、49 - 50頁。(巻内見開き付録 485・489・583系 定期特急一覧(系統別))