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かねまん

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社かねまん
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
103-0013
東京都中央区日本橋人形町1丁目16番7号
業種 小売業
法人番号 2010001040785 ウィキデータを編集
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かねまんは、東京都中央区日本橋人形町ふぐ日本料理店である。店名は「可彌滿」と漢字を当てて書かれたこともある。

概要

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明治13年(1880年[1]、富山県出身の初代が日本橋魚河岸での屋台商売から人形町に創業[2]。東京で最初のふぐ料理の認可を受けた店[3]。元祖江戸式ふぐ料理を掲げ江戸前で捕れたふぐのさい鍋は元祖であり商標登録。下関直送のとらふぐを用いたちり鍋はシンプルな具材でふぐ汁の風味を重視している。初代中田岩松から続く手作りの「ポンズ」と「福上げ(ふぐの唐揚げ)」タレ(つけ地)を用いている。

人形町は谷崎潤一郎が幼少期を過ごした場所であり、谷崎は1958年4月に著した「ふるさと」の中でかねまんに言及している[4]。また戦前の一時期、兜町で株屋に勤めていた池波正太郎もよく来店していたが、戦後の文章では「味はまったく変ってしまった」と書いている[5]。戦後の復興により、さい鍋は献立から消えまったく味付けの違う、ちり鍋のみとなった事が綴られている。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 『中央区年表 明治文化篇』東京都中央区立京橋図書館、1966年、65ページ。
  2. ^ 中谷金一郎(編著)『100円からの東京たべあるき』北辰堂、1959年、113ページ。
  3. ^ ふぐ日本料理のかねまんについて”. ふぐ季節料理のかねまん. 2014年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月20日閲覧。
  4. ^ 谷崎潤一郎「ふるさと」『中央公論』第73巻第6号、1958年6月、161ページ。
  5. ^ 池波正太郎「江戸切繪圖散歩 第五回 日本橋」『小説新潮』第42巻第5号、1988年5月、52-57ページ。