ニューポート (哨戒フリゲート)
ニューポート | |
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基本情報 | |
建造所 | ウォルター・バトラー造船 |
艦歴 | |
起工 | 1943年6月8日 |
進水 | 1943年8月15日 |
就役 |
1944年9月8日 1950年7月27日 |
退役 |
1945年9月9日 1952年4月30日 |
除籍 | 1961年12月1日 |
その後 | 海上自衛隊に貸与 |
要目 | |
基準排水量 | 1,430トン |
満載排水量 | 2,415トン |
全長 | 92.6m |
最大幅 | 11.4m |
吃水 | 4.1m |
機関 |
ボイラー3基 5,500軸馬力 タービン2基 2軸推進 |
最大速力 | 20ノット |
乗員 | 170名 |
兵装 |
50口径3インチ単装緩射砲×3基 56口径40mm連装機銃×2基 70口径20mm単装機銃×9基 ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基 片舷用爆雷投射機(K砲)×8基 Mk.9爆雷投下軌条×2条 |
レーダー |
SA 対空捜索用×1基 SL 対水上捜索用×1基 Mk.51 射撃指揮装置×2基 |
ソナー | QBFまたはQJA 探信儀×1基 |
ニューポート (USS Newport, PF-27) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲート。タコマ級フリゲートの1隻。
艦名はロードアイランド州ニューポートに因む。その名を持つ艦としては2隻目。
艦歴
[編集]ニューポートは1943年6月8日にウィスコンシン州スペリオルのウォルター・バトラー造船で起工した。1943年8月15日にニコラス・ブラウン夫人によって命名、進水、1944年9月8日にルイジアナ州ニューオーリンズで艦長G・L・ホールト沿岸警備隊少佐の指揮下就役した。
バミューダでの整調後、ニューポートはニューヨークを出航し船団護衛任務でグアンタナモ湾に向かい、1945年2月24日に母港のトンプキンズヴィルに帰還、7月9日まで大西洋沿岸で訓練および偵察巡航を行った。
パナマ運河およびワシントン州シアトルを経由して、ニューポートはアラスカ州コールド・ベイに9月9日に到着、同地で退役する。退役後はレンドリース法に基づきソ連海軍に貸与され、1949年11月14日に日本の横須賀でアメリカ海軍に返還された。
ニューポートは1950年7月27日に再就役し、朝鮮戦争では9月15日から26日まで行われた仁川上陸作戦において護衛およびパトロール任務を担当した。
その後、ニューポートは気象観測艦に転換され、1951年11月まで太平洋北西部での任務に就く。続いて韓国沖で補給グループの護衛、パトロール等の様々な任務に従事し、12月29日には元山で艦砲射撃を行う。その後はフィリピン沖での活動に従事し、1952年4月30日に横須賀で退役した。
ニューポートは1953年9月30日、日米船舶貸与協定に基づき第8回貸与艦として警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、「かえで (PF-13)」として就役し、横須賀地方隊に編入された。同年12月1日、「つげ」、「ぶな」とともに第4船隊を新編。第4船隊は1954年3月20日、佐世保地方隊に編入、同年4月10日、第2船隊群(後の第2護衛隊群)に編入された。1957年9月1日、艦籍番号が PF-293 に変更された。1961年12月1日にアメリカ海軍から除籍、1962年8月28日に貸与から供与に変更された。1963年3月31日、第4護衛隊が廃止となり、佐世保地方隊に編入された。「かえで」は1966年3月31日、保管船(YAC-17)に区分変更され、1972年3月31日に除籍。1975年5月20日にアメリカ海軍へ返還された。
外部リンク
[編集]- history.navy.mil: USS Newport - ウェイバックマシン(2004年3月29日アーカイブ分)
- navsource.org: USS Newport
- hazegray.org: USS Newport