おきらく亭はち好
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おきらく | |
本名 | 中川 功 |
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生年月日 | 1950年1月22日 |
没年月日 | 2021年4月7日(71歳没) |
出身地 | 日本・千葉県市川市 |
死没地 | 日本・沖縄県那覇市 |
師匠 | 四代目春風亭柳好 五代目春風亭柳昇 |
名跡 | 1. 春風亭はち好 (1968年 - 1976年) 2. 春風亭愛昇 (1976年 - 1983年) 3. 五代目春風亭柳條 (1983年 - 1996年) 4. 忠犬亭はち好 (1996年 - 1999年) 5. はち好 (1999年 - 2000年) 6. おきらく亭はち好 (2000年 - 2021年) |
活動期間 | 1968年 - 2021年 |
所属 | 日本芸術協会 →落語芸術協会(1968年 - 1991年) フリー(1991年 - 2021年) |
受賞歴 | |
第5回国立演芸場花形新人大賞(1985年) | |
おきらく亭 はち好(おきらくてい はちこう、本名:中川 功、1950年1月22日 - 2021年4月7日[1])は、千葉県・市川市出身の落語家。フリーの落語家として沖縄を中心に活躍した。
経歴
[編集]生家は豆腐店を営んでいた[2]。
- 1968年2月 - 四代目春風亭柳好に入門、「はち好」を名乗る。
- 1972年4月 - 二ツ目昇進。
- 1976年3月 - 五代目春風亭柳昇門下に移籍、「愛昇」と改名。
- 1983年4月 - 四代目春雨や雷蔵、二代目柳亭小痴楽、古今亭寿輔、三笑亭夢之助、桂京丸、三遊亭春馬と共に真打昇進、「五代目春風亭柳條」を襲名。
- 1985年1月 - 第5回国立演芸場花形新人大賞受賞。
- 1991年4月 - 落語芸術協会を脱退、フリーとなる。
- 1996年 - 「忠犬亭はち好」と改名。
- 1999年1月 - 「はち好」と改名。
- 2000年10月- 沖縄に移住し、「おきらく亭はち好」と改名。
- 2021年4月7日 - 慢性心不全のため死去[1]。71歳没。
亡くなって一年後の2022年4月9日、那覇市の達磨院で、おきらく亭一門による一周忌一門会が催された[3]。
一門の「おきらく亭すい好(本名:宜野座 一)[4]」は、大阪府池田市で開催されている社会人落語日本一決定戦に第1回から出場、2022年12月に開催された第14回大会で池田市長賞を受賞。沖縄からの出場者として初入賞となった[5][6]。
出演
[編集]ラジオ
[編集]- 「はち好・噺のハ」RBCiラジオ 2002年4月 - 2011年1月(レギュラー)
出版
[編集]- 「五十歳の挑戦」沖縄に落語をひろめたい(BOOKSpace、2017年2月)*kindle版有。
脚注
[編集]- ^ a b “[訃報]おきらく亭はち好さん 落語家”. 沖縄タイムス (2021年4月9日). 2021年4月21日閲覧。
- ^ ブルース・オズボーン『OYAKO Photograghs』シンコー・ミュージック、1998年7月20日、41頁。ISBN 4401770102。
- ^ すい好(@aTE9moaDWsbJb2n) (2022年3月1日). “さて皆々様”. twitter. 2022年4月9日閲覧。
- ^ 「統治下の沖縄、落語に 太宰府の「劇団道化」が創作 「笑い通じリアルな日常」」『西日本新聞夕刊』2018年2月3日。
- ^ 金森文香「すい好さんが落語特別賞 社会人日本一決定戦 二足のわらじで芸磨く」『琉球新報』2022年12月13日。
- ^ 銘苅一哲「決勝戦で披露したネタは? 仕事と二足のわらじ 沖縄県内の落語家、アマ特別賞に」『沖縄タイムス』2022年12月14日。
外部リンク
[編集]- えー お笑いを 一席 - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
- はち好のおきらく日記