おいらせ町立木内々小学校
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おいらせ町立木内々小学校 | |
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北緯40度36分03.92秒 東経141度24分29.53秒 / 北緯40.6010889度 東経141.4082028度座標: 北緯40度36分03.92秒 東経141度24分29.53秒 / 北緯40.6010889度 東経141.4082028度 | |
過去の名称 |
下田小学 木内々尋常小学校 木内々国民学校 下田村立木内々小学校 下田町立木内々小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | おいらせ町 |
設立年月日 | 1878年2月11日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制[1] |
学校コード | B102210002239 |
所在地 | 〒039-2128 |
青森県上北郡おいらせ町字染屋101番7号 | |
外部リンク | 学校ホームページ |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
おいらせ町立木内々小学校(おいらせちょうりつ きないないしょうがっこう)は、青森県上北郡おいらせ町の旧下田町域にある公立小学校。
沿革
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- 1878年(明治11年)2月11日 - 下田村聖福寺を仮校舎として、下田小学開校。
- 1881年(明治14年) - 下田村字木内々に移転。下田村本村に南分校(現:おいらせ町立下田小学校)、下田村字木ノ下に北分校(現:おいらせ町立木ノ下小学校)設置。
- 1887年(明治20年) - 木内々尋常小学校と改称。南分校が下田尋常小学校と、北分校が木ノ下尋常小学校とそれぞれ改称。
- 1889年(明治22年)11月1日 - 木ノ下簡易小学校を併合し、木ノ下分校設置。
- 1927年(昭和2年)6月9日 - 木ノ下分校が独立し、木ノ下尋常小学校となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、木内々国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制施行)により、下田村立木内々小学校と改称[2]。
- 1969年(昭和44年)8月1日 - 下田村の町制施行により、下田町立木内々小学校と改称。
- 1983年(昭和58年)12月 - 防音校舎・講堂・プールが完成[3]。
- 1997年(平成9年)11月 - 創立120周年記念式典挙行[4]。
- 2006年(平成18年)3月1日 - 町村合併により、おいらせ町立木内々小学校と改称。
学区
[編集]- おいらせ町[5]
- 立蛇、中下田、上川原の一部、西前川原、馳下り、間木、木崎、染屋、彦七川原、川端、秋堂、向川原、中野平、高田、中平下長根山、三本木、境田、下境、西下谷地、犬毛谷地、沼小屋、菜飯、向山東の一部、向山南、西後谷地の一部、小前谷地、黒坂谷地の一部、山崎の一部
進学先中学校
[編集]アクセス
[編集]周辺
[編集]有名な卒業生
[編集]- 伊藤美紀(女子サッカー選手、INAC神戸レオネッサ所属)
その他
[編集]- 1982年(昭和57年)に本校学区の変更が行われた際、学区変更問題が深刻化し、編入に反対した保護者は、本校への児童の登校を拒否し、3月から4月の2か月間、従来通り隣町の百石町立百石小学校へ、委託通学という形で続けた[6]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ おいらせ町立小学校及び中学校の管理運営に関する規則 第2条2
- ^ 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」822頁「木ノ下小学校」
- ^ 『東奥年鑑1984』(東奥日報社・1983年9月1日)「市町村政 - 市町村現況」233頁「下田町 おもなできごと」(これに「⑤木内々小学校の防音校舎、講堂、プールが完成=(昭和58年)12月」と記載あり。)
- ^ 『東奥年鑑平成11年版記録編』(東奥日報社・1998年9月1日)「市町村の姿 - 下田町」305頁「おもなできごと」
- ^ a b おいらせ町立小中学校の通学区域に関する規則 第2条 別表
- ^ 『東奥年鑑1983』(東奥日報社・1982年9月1日発行)「市町村政 - 市町村現況」221頁「下田町 おもなできごと」(これに「⑧木内々小学校学区変更問題深刻化。編入反対派は児童の登校を拒否。結局、従来通り隣町の百石小学校への委託通学継続となる=(昭和57年)3~4月」)と記載あり。
参考資料
[編集]- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」822頁「木内々小学校」(1927年の記載分まで)
外部リンク
[編集]- 学校ホームページ - ただし、校舎画像のみで、沿革等の概要の記載は無い。