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いのうえ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社いのうえ
INOUE Co., Ltd.
株式会社いのうえ総本社
株式会社いのうえ総本社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
710-0042
岡山県倉敷市二日市511-1
設立 1965年
(1913年創業)
業種 サービス業
法人番号 8260001012531
事業内容 葬儀葬祭コンサルティング、セレモニー施行、葬祭式場
エヴァホール運営管理、慶弔花環、生花、店舗装飾
イベント、コンベンションの制作、施行、運営
代表者 代表取締役社長 井上 峰一
資本金 3,000万円
従業員数 71名
主要株主 株式会社イノウエホールディングス
外部リンク https://www.everhall.co.jp/
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株式会社いのうえ岡山県倉敷市にある葬祭業。

概要

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1913年(大正2年)、前身となる「井上葬具店」を井上峰一の祖父である井上英二(ひでじ)が創業。

書籍「強く、やさしく、情けに厚く[1]」で井上家は代々酒津界隈に住む郷士の家柄で、郷士は武士の身分だが、長らく平和の続いた時代では土着の百姓とあまり変らず、猟をしたり田畑を耕したり、時には大商家の手伝いなどもしていた。井上英二の父は40歳の若さで亡くなり、高等小学校を卒業すると大工に弟子入りをした。奉公先が宮大工の流れを汲んでいたため、英二自身も大工というよりは建具職人としての技術を得意としたが、そのことが将来独立して葬具店を営む契機となった。

明治時代以前は、地区の世話役が葬儀の段取りを全て行い、喪主も世話役の指示に口を挟むことはなかった。しかし、幕藩体制の崩壊で人々の往来が激しくなった市街地ではあちらこちらから異なる習慣や職業の人たちが流入したことにより、以前のようなまとまりが次第に難しくなった。明治の末頃からは葬儀一切を行なう新しい職種としての葬儀屋が必要とされるようになり、いのうえ葬具店を創業するに至る。

昭和25年頃には倉敷市役所でも葬儀サービスを始めて、バス型の霊柩車を稼動させるようになったため宮型の霊柩車を購入。昭和30年代頃には道具類の用意だけでなく、葬儀全般に亘って依頼を受けることが次第に多くなり、葬儀に関わる人員の手配なども行なう。ニーズは、葬具専門店から葬儀社へと変わりつつあった。

1969年(昭和40年)1月、それまでの個人商店だった「井上葬具店」に替えて「有限会社井上葬儀」を設立。井上哲二が2代目社長へ就任。昭和50年代に入ると核家族化による住居の狭さや、マンションなど高層建築に住む人の増加などで葬儀専門ホールの必要性が感じられるようになる。特に、マイカー時代の到来で会葬様式が変化し、駐車場を完備した斎場建設の検討を始める。

1977年(昭和52年)2月、た有限会社井上葬儀を株式会社いのうえに改組。

1985年(昭和60年)4月30日、2代目・井上哲二が会長になり、井上峰一が3代目の代表取締役社長に就任。

1990年(平成2年)6月に株式会社いのうえ総本社・エヴァホール倉敷が完成。

倉敷市出身の俳優長門勇を起用したCMを放映。

1997年(平成9年)4月、会報誌『儀礼文化』を創刊。現在では「綜合葬祭式場エヴァホール」、「家族葬のファミリエ」、「自浄庵」を岡山県内にグループ全体で19の葬祭場を展開する。その他のグループ会社として仏具店の株式会社鵬林やペットのセレモニーを行う「ペットピア」を展開している。

2013年(平成25年)創業100年を迎える。

2014年(平成26年)2月に瀬戸内海放送の「自由人社会人」で101年目の企業として紹介される[2][3]

2020年(令和2年)9月14日に「第7回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 岡山 2020」に登壇[4]

井上峰一が旭日小綬章を受章[5]

2021年(令和3年)8月にグループ会社の持株会社として株式会社イノウエホールディングスを発足。

2023年(令和5年)創業110年を迎える。

月刊『致知』五月号で葬儀屋から葬儀社への脱却に関して当時の苦労を井上峰一が語っている[6][7]

女子バレーボールチーム「倉敷アブレイズ」とクラブパートナー契約を結ぶ[8][9]

2024年(令和6年)4月15日、新入社員の教育に山陽新聞の「新聞を活用したスキルアップ研修」を活用[10]

2024年 岡山県下の小学五年生を対象にした「岡山県のおしごと本」に掲載される[11]

沿革

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  • 1913年(大正02年) 「井上葬具店」を創業設立
  • 1965年(昭和40年) 「有限会社井上葬儀」を設立
  • 1974年(昭和49年) 「児島支店」オープン
  • 1977年(昭和52年) 「株式会社いのうえ」へ改組
  • 1985年(昭和60年) 「岡山本社」をオープン
  • 1986年(昭和61年) 「総社支店」をオープン
  • 1990年(平成02年) 「倉敷総本社・エヴァホール倉敷」をオープン
  • 1994年(平成06年) 「エヴァホール児島」をオープン
  • 1995年(平成07年) 「エヴァホール倉敷中央別館(現、エヴァホール中央)」をオープン
  • 1996年(平成08年) 「エヴァホール岡山」をオープン
  • 1999年(平成11年) 「エヴァホール津高」「自浄庵」をオープン
  • 2001年(平成13年) 「エヴァホール水島」をオープン。ISO9001の認定取得。
  • 2006年(平成18年) 「エヴァホール総社」をオープン
  • 2007年(平成19年) 「家族葬のファミリエ茶屋町」をオープン
  • 2010年(平成22年) 「市民生活支援センター倉敷」「市民生活支援センター岡山」「エヴァホール庭瀬」オープン
  • 2013年(平成25年) 創業100年を迎える。「家族葬のファミリエ西阿知」をオープン。
  • 2014年(平成26年) 「エヴァホール水島」を移転
  • 2015年(平成27年) 「エヴァホール中央」を新装オープン、「終活サロン岡山」「終活サロン倉敷」オープン[12]
  • 2016年(平成28年)「エヴァホール竜操」[13]「エヴァホール児島駅前」をオープン
  • 2019年(令和元年)「エヴァホール総社」リニューアルオープン[14]

参考文献

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  1. ^ 「株式会社いのうえ100年の醸成強く、やさしく、情けに厚く」刊行委員会『強く、やさしく、情けに厚く : 株式会社いのうえ100年の醸成』いのうえ、2014年https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB15747394 
  2. ^ KSB瀬戸内海放送 (2014-02-16), 株式会社いのうえ いのうえグループ代表CEO 井上峰一 さん(2014年2月9日・2月16日放送), https://www.youtube.com/watch?v=9A73moFZzek 2024年10月9日閲覧。 
  3. ^ 株式会社いのうえ – 自由人、会社人-トップの横顔- | KSB瀬戸内海放送”. www.ksb.co.jp. 2024年10月9日閲覧。
  4. ^ 〈第1部 前編〉第7回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 岡山 2020 ~覚悟の時〜”. 智慧の燈火オンライン. 2024年10月9日閲覧。
  5. ^ 令和2年秋の叙勲受章者名簿 : 日本の勲章・褒章 - 内閣府”. 内閣府ホームページ. 2024年10月10日閲覧。
  6. ^ 『「不二一如」の精神で地元倉敷を支える——いのうえ代表取締役社長 井上峰一』”. 致知出版社公式アメーバブログ. 2024年10月9日閲覧。
  7. ^ 「不二一如」の精神で地元倉敷を支える——いのうえ代表取締役社長 井上峰一|人間力・仕事力を高めるWEB chichi|致知出版社”. 致知出版社. 2024年10月9日閲覧。
  8. ^ 女子バレーボールVリーグ初参戦の「倉敷アブレイズ」 地元企業とパートナー契約【岡山】 | 岡山・香川のニュース | 天気 | RSK山陽放送 (1ページ)”. RSK山陽放送ニュース (2023年4月19日). 2024年10月9日閲覧。
  9. ^ 倉敷アブレイズ×いのうえ 地域発展のパートナー契約締結”. tv.kct.jp. 2024年10月10日閲覧。
  10. ^ 新聞通じて相手に伝わる会話学ぶ いのうえ 新入社員研修始まる:山陽新聞デジタル|さんデジ”. 山陽新聞デジタル|さんデジ. 2024年10月9日閲覧。
  11. ^ 岡山県のおしごと本|OHK岡山放送”. okayama-oshigoto.ohk.co.jp. 2024年10月10日閲覧。
  12. ^ 終活専用施設をオープン ワンストップで相談対応”. VISION OKAYAMA. 2024年10月10日閲覧。
  13. ^ エヴァホール竜操開設 岡山市内4番目の施設”. VISION OKAYAMA. 2024年10月10日閲覧。
  14. ^ エヴァホール総社改装 家族葬の式場を新設”. VISION OKAYAMA. 2024年10月10日閲覧。

外部リンク

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