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あの町この町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「あの町この町」の詩碑(栃木県宇都宮市

あの町この町』(あのまちこのまち)は、日本の童謡2007年(平成19年)に日本の歌百選の1曲に選ばれた。

歴史

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野口雨情作詞、中山晋平作曲による。初出は東京社(現ハースト婦人画報社)が出版する児童雑誌『コドモノクニ1924年(大正13年)1月号とされる[1][2]。この頃は雨情にとって全盛期であり、雨情の代表作の1つである[3]

作曲者の中山晋平は、この歌を口ずさみながら逝去したと伝えられている[4]

楽曲

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楽譜は1925年(大正14年)4月に金の星社発行の「金の星童譜曲集第9集」に掲載された[2]。民謡風の旋律であるが西洋音階を取り入れた新しい型の楽曲である。4分の2拍子で、主な旋律は八分音符4つで構成されているが、中山晋平は「はずみをつけて」という標語を記し、わらべ歌のような曲調で歌われる事が多い。


\relative {
    \set Staff.midiInstrument = #"piano"
	\key d \minor
	\time 2/4
	\tempo 4 = 88
    \new Voice \relative c' {
	d8 d8 d8 c8 d8 f8 g8 f8 g8 a8 c8 e8 d4. r8 \bar "|" \break
	a8 c8 d8 e8 d4. r8 e8 d8 c8 a8 g8 g8 c8 a8 \bar "|" \break
	g8 g8 a8 g16 f16 d4. f8 g8 g8 a8 g16 f16 d4. r8 \bar "|." \break
    }
}

歌詞

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夕暮れが迫るのも気にせずに遊んでいる子供たちに早く帰るよう呼び掛ける歌である[5]。曲の題名であり、歌い出しでもある「あの町この町」は特定の町を想定したものではなく、田舎町の夕暮れと豊かな自然を歌ったものである[3]

#

あの町 この町
日が暮れる 日が暮れる
今きたこの道
かえりゃんせ かえりゃんせ

お家(うち)がだんだん
遠くなる 遠くなる
今きたこの道
かえりゃんせ かえりゃんせ

お空に夕(ゆうべ)の
星が出る 星が出る
今きたこの道
かえりゃんせ かえりゃんせ

歌碑

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栃木県宇都宮市野口雨情旧居の近くに、当楽曲の碑がある[6]。野口の妻・つるが当地を離れる際に、思い出の証として記念となるものを残したいと、歌人の蓬田露村に相談したことがきっかけで建立されたもの[7]で、つるの希望によりこの楽曲が刻まれた[8]

脚注

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  1. ^ 寺内 1988, pp. 45–46.
  2. ^ a b 長田暁ニ『心にのこる日本の歌101選』株式会社ヤマハミュージックメディア、2007年4月20日、18-19頁。ISBN 9784636819809 
  3. ^ a b 寺内 1988, p. 46.
  4. ^ 小島 2016, p. 7.
  5. ^ 寺内 1988, pp. 46–47.
  6. ^ 寺内 1988, p. 45.
  7. ^ 塙 2008, pp. 201–202.
  8. ^ 小島 2016, p. 6.

参考文献

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  • 小島延介『詩人・野口雨情 ここにて眠る』宇都宮市明保地区明るいまちづくり協議会、2016年1月、14頁。 
  • 寺内恒夫『文学碑の旅―栃木県―上巻』落合書店、1988年12月25日、243頁。ISBN 4-87129-148-0 
  • 塙静夫『うつのみや歴史探訪 史跡案内九十九景』随想舎、2008年9月27日、287頁。ISBN 978-4-88748-179-4 
  • 長田暁ニ『心にのこる日本の歌101選』株式会社ヤマハミュージックメディア、2007年4月20日、18-19頁。ISBN 9784636819809 

関連項目

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