コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

あした順子・ひろし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あしたひろしから転送)
あした順子じゅんこ・ひろし
メンバー あした順子
あしたひろし
別名 南順子・北ひろし(旧コンビ名)
結成年 1960年
解散年 2015年
事務所 漫才協会落語協会
活動時期 1960年 - 2010年5月
師匠 五代目柳家小さん
五代目鈴々舎馬風
あしたひろし(順子)
現在の活動状況 ひろしは逝去、順子は事実上引退
芸種 漫才奇術コント
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
1972年 第20回NHK漫才コンクール 努力賞
1996年 第13回浅草芸能大賞 奨励賞
テンプレートを表示

あした 順子・ひろし(あした じゅんこ・ひろし)は、かつて漫才協会落語協会に所属していた男女漫才コンビ。

1960年結成。五代目柳家小さん一門、のちに五代目鈴々舎馬風一門(「馬風ファミリー」)へ移籍。昭和後期から平成にかけて体を張ったどつき漫才で人気を博し、2015年11月のあしたひろしの逝去により事実上の解散となった。出囃子は『啼くな小鳩よ』。二人は師匠弟子のコンビであり、夫婦ではない[1]

メンバー

[編集]
  • あした ひろし1922年6月10日[8] - (2015-11-03) 2015年11月3日(93歳没)[9])ボケ担当
    • 本名:大野 寛(おおの ひろし)[3]。東京市下谷区竹町(現・東京都台東区台東)出身。
    • 兵役検査では、丙種合格に留まったため徴兵されなかった。大都映画の雑用係、『笑の王国』の端役、東海林太郎らの歌謡ショーの司会者を経て、順子とコンビを組む。結成当時の芸名は北 ひろし(きた ひろし)。
    • 長兄は将棋棋士の大野源一[5]、大野によればひろしの将棋の腕前もプロ級とされる。なお、大野は1979年1月14日、踏切をくぐろうとしたところに列車にはねられ、帰らぬ人となっている[8]
    • 2015年11月3日老衰のため逝去した[10]。93歳没。関係者によると、ひろしは2010年に浅草演芸ホールの5月上席に出演したのを最後に舞台から遠ざかり、その後体調を崩して入退院を繰り返していた[10]

略歴

[編集]

1960年[1]南 順子・北 ひろし(みなみ じゅんこ・きた ひろし)[4]の名で結成。最初は漫才ではなく、ひろしの司会で順子が手品をするマジック・コント主体だったが、覚えも要領も悪いひろしを、順子が舞台上で思わず叩いたのを見たリーガル天才・秀才に、どつき漫才への転向を勧められる。歌謡ショーやキャバレー、女子プロレスの前座などで稼ぐうち、ドサ回りで芸が荒れるのを自覚し、1965年大須演芸場開場を期に高座に専念。

秋田實の後見を得て[4]1960年代末から上方に移り、ミヤコ蝶々南都雄二京唄子鳳啓助中田ダイマル・ラケット夢路いとし・喜味こいし秋田Aスケ・Bスケかしまし娘ら大看板の中で揉まれて芸を磨き、認められて「秋田」の屋号を許されたものの、畏れ多いと辞退して、一字違いの「あした」を名乗るようになった。

大阪万博終了後の1971年に拠点を東京に戻し、五代目柳家小さんの身内となり、落語協会に入会。1976年漫才協会真打ちに昇進。ひろしが老境に差しかかった1990年代後半から猛然と売れ出す。弟子はいない。

2010年5月以降、ひろしの病気療養でコンビとしての活動は見られなくなり、2015年11月にひろしが逝去。その後、2017年4月に順子が落語協会を退会し、事実上の引退状態となっている。

芸風・主なネタ

[編集]
  • 漫才でふたりは夫婦のような役回りを演じた。恰幅のよい順子が亭主を尻に敷く猛妻のような貫禄を漂わせ、痩身のひろしは妻に頭が上がらぬ蚤の亭主のようにたたずんだ。順子が大声で一方的にまくし立てたりひろしを張り倒したりし、弱々しいひろしが狼狽する滑稽な構図は、幅広い世代から支持された。
「間」で勝負する芸風で、矢継ぎ早なしゃべくりが主体の東京漫才では異色であった。

ギャグ

[編集]
男はあなたひろし〜
  • 武田鉄矢芦川よしみの『男と女のはしご酒』の替え歌を、ふたりが向き合ってジルバのステップで歌い踊るもの。
  • 順子が「男は〜あなたひろしぃ〜」と歌うと、ひろしが「女は〜君さ順子ぉ〜」と返し、ふたりで「切なさが胸に来る……」と揃え、調子づいて順子に迫るひろしを、順子が「気持ちが悪いよ〜!」と叫んで突き飛ばす。
踊り
  • 日本舞踊の名取である順子が、切れの良い所作を見せるのに対し、ひろしは順子の軽快な動きについていけず、戸惑うしぐさを見せる。
  • 順子が『黒田節』を謡いつつなぎなた捌きを披露し、小道具を持ちながら前を横切るひろしを足蹴にするネタは、正月初席などで見せた。
首投げ[4]
  • 女子プロレス興行の前座として巡業した際、現役レスラーから伝授され体得した技で、首投げよりむしろフライング・メイヤーと呼ぶのが正しい。体格の良い順子が痩躯のひろしを投げ飛ばし、柔道初段の心得のあるひろしが見事な受身を披露する定番ネタ。高齢となってからは披露されなくなった。
  • 2016年12月7日に放送されたマツコ&有吉の怒り新党のコーナー「記憶調査委員会」で『オチで相方を投げ飛ばすベテラン漫才師がいた』としてあした順子・ひろしが取り上げられ、首投げを決める当時の貴重な映像が披露された。
その他
  • 順子が「おじいちゃん、おしっこに行きましょうね」とひろしの両手を繋ぐと、ひろしが「やだー!」と叫んで、順子がひろしを張り倒すという介護ネタ。
  • 順子がひろしの頭を叩き、ひろしが「そんなに頭を叩くから薄くなるんだよ」と半泣きになる。すると順子が「そんなの心配しないでこれやるから!!」と怒って、自分の頭に付けてあったカチューシャをひろしの頭に載せ、そのまま深々と黙礼して高座を下りる。
  • 踊り欄に記載の『黒田節』ネタを正月元旦「初詣ヒットパレード」で披露したが、小道具の盃の用意を忘れてしまい、舞台裏で順子に責められアタフタするひろしの様子がマイクONのまま音声で拾われてしまった。いつまでも舞台袖から出てこずにあ~だこ~だ言い合いしてる異変に気づいた司会の西川きよし桂文枝(当時は三枝)がフォローしてなんとか事なきを得たという正月からヒヤヒヤもののエピソードがある。

出演

[編集]

テレビ

[編集]

ラジオ

[編集]

受賞歴

[編集]

作品集

[編集]

CD

[編集]
  • 東京漫才傑作集ベスト(1)『あした順子・ひろし 爆笑漫才集』(1998年10月21日、COCJ-30118)
    • 日本コロムビアから発売された、漫才のライブ音源集。2005年7月20日に再発(COCJ-33287)。
    • 僕の社交会(1998年7月11日収録)/恋で苦労をしてみたい(1998年7月13日収録)/娘の結婚式(1998年7月13日収録)

DVD

[編集]
  • あした順子・ひろし『米寿漫才』(2010年6月30日、RGS-002)
    • 鈴々舎馬るこのプロデュースによって製作された映像集。漫才の模様やコンビの歴史に纏わる貴重なインタビュー映像が収録されている。

脚注

[編集]
  1. ^ a b 漫才師・あしたひろしさんが死去 享年93歳 どつき漫才で人気 ORICON STYLE、2015年12月4日
  2. ^ a b あした 順子 落語協会
  3. ^ a b c あした 順子・ひろし 鈴々舎馬風 一門のオフィシャルホームページ
  4. ^ a b c d e 【今週のご推笑・東】あした順子・ひろし「磨きこんだ絶妙なネタ」 ZAKZAK、2009年10月10日
  5. ^ a b 芸能界にもファン、漫才のあしたひろしさん死去 読売新聞、2015年12月4日
  6. ^ 稲田和浩 (平成30年3月28日). 「演芸界、2017年のできごと」東京かわら版寄席演芸年鑑2018年版(東京かわら版2018年4月号). 東京かわら版. p. 68 
  7. ^ あした順子 - 一般社団法人 漫才協会プロフィール
  8. ^ a b あした ひろし 落語協会
  9. ^ あしたひろし 訃報 落語協会 2015年12月4日閲覧
  10. ^ a b 漫才師あしたひろしさん死去”. デイリースポーツ (2015年12月5日). 2021年9月23日閲覧。
  11. ^ あした ひろし・順子 落語協会

外部リンク

[編集]