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「精神病」者グループごかい

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「精神病」者グループごかい(せいしんびょうしゃ-)または松山精神障害者互助会(まつやませいしんしょうがいしゃごじょかい)とは愛媛県松山市精神障害者患者会である。ごかいコンツェルンとも言われている。患者会が運営する県内初の小規模作業所を運営していた。交流団体などとともに障害者などの労働自己決定権思想働かない権利」を訴えている。

概要

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1980年9月26日精神科医笠陽一郎ケースワーカーの谷本圭吾、心理の武崎美弥子などの元・堀江病院の中心の医療スタッフによる支援を受け、森山藤昭[注釈 1]を中心に元・堀江病院の10名程度の集まりが自然発生、味酒内科神経科(現・味酒心療内科)5階にて発足。身体障害者介護等を行いながら運営。会員は社会復帰を目指すが、頓挫するケースが目立ち、反社会復帰路線へ転換する。1985年、アパート「泉市荘」に移転、自立する。同年「へんなジュース屋」を1986年「へんな古本屋」開店、1990年には新「泉市荘」を完成させる。1993年「へんなたばこ屋」を開店。会報は「ごかい通信」[1][2]

笠医師は当時、「今の精神病院[注釈 2]障害者を収容するためにあるだけ」とし「の投与と注射、それに5分程度の問診ではなんの治療にもならない[注釈 3]」と10年近い精神科病院勤務を通じて痛感し、鉄格子ドアを取り外したイギリス流の集団治療(グループセラピー)理論を実践。それが母体になった患者会である[3]

へんな古本屋

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へんな古本屋はリサイクルショップで、主にカンパで集まった古書日用品を中心に販売。1998年には患者会が運営する県内初の小規模作業所として認可された。社会に弱者の人権、合成洗剤による環境問題などを訴えながら運営していた。2006年にはNPO法人どんまいの店舗部門となったが、メンバーの高齢化により維持できなくなり2008年3月に閉店した[4][5]

書籍

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  • わしらの街じゃあ!―「精神病」者が立ちあがりはじめた 精神病者グループごかい 社会評論社 1984年
  • 天上天下「病」者反撃!―地を這う「精神病」者運動 「病」者の本出版委員会[6]社会評論社 1995年 ISBN 9784784501397

メンバーによる執筆参加をした書籍には下記の本がある。

注釈

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  1. ^ 堀江病院患者自治会の先頭にも立っていた。仲間からは森山大明神と呼ばれていたが、1981年3月に障害者同士の思わぬトラブルにより亡くなっている。味酒内科神経科に移った笠医師が悪戦苦闘しはじめると常に電話を入れ、心配していた。よって発足以前の会長格との扱いである。わしらの街じゃあ!―「精神病」者が立ちあがりはじめた 精神病者グループごかい 社会評論社 1984年 p2
  2. ^ 当時は公の上で精神科病院を精神病院と呼んでいた。精神病院の用語の整理等のための関係法律の一部を改正する法律の成立により、変更されている。精神病院の用語の整理等のための関係法律の一部を改正する法律(平成18年6月23日法律94号) 参議院法制局 2012年2月16日閲覧
  3. ^ 科学史家・精神病理学者の小俣和一郎によると、国民皆保険制度の下で、薬や注射などの現物には公定の報酬が支払われたものの精神療法のような目に見えない技術に対しては非常に低い報酬しか設定されなかった。このことが日本における精神医療の質の低下を招いたとしている。精神医学の歴史 小俣和一郎 第三文明社 2005年 ISBN 9784476012521 p226

脚注

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  1. ^ 天上天下「病」者反撃!―地を這う「精神病」者運動 「病」者の本出版委員会 社会評論社 ISBN 9784784501397 p72-80
  2. ^ わしらの街じゃあ!―「精神病」者が立ちあがりはじめた 精神病者グループごかい 社会評論社 1984年 p15
  3. ^ 精神障害者たちが自立へ団結、松山・味酒診療所の「ごかいコンツェルン」 毎日新聞 1981年2月18日
  4. ^ 弱者の人権22年、拠点の古本屋閉店 愛媛新聞 2008年5月11日
  5. ^ (仮称)NPO法人どんまい設立総会のご案内 NPO法人どんまい 2012年5月27日
  6. ^ 事務局として編集に携わっている。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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