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利用者:桂鷺淵/藩の一覧/03

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下総国

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  • 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:25藩
    • 栗原 - 古河 - 関宿 - 舟戸(藤心藩) - 山崎 - 山川 - 結城 - 大輪 - 生実 - 曾我野 - 井野 - 岩富 - 白井 - 佐倉 - 飯田 - 小見川 - 小南 - 高岡 - 多古 - 矢作 - 小篠 - 蘆戸 - 布川 - 守谷 - 三浦重成・重勝領
  • 『藩史大辞典』目次:18藩+1藩(曾我野藩を上野でカウント)
    • 結城藩 - 山川藩 - 古河藩 - 関宿藩 - 大輪藩 - 山崎藩 - 守谷藩 - 小見川藩 - 飯田藩 - 多古藩 - 高岡藩 - 舟戸(藤心)藩 - 佐倉藩 - 臼井藩 - 岩富藩 - 生実藩 - 栗原藩 - 三浦重成・重勝領
  • 『房総諸藩録』:24藩
    • 小篠藩 - 蘆戸藩 - 小南藩 - 上代藩 - 小見川藩 - 矢作藩 - 多古藩 - 大須賀藩 - 高岡藩 - 生実藩 - 曾我野藩 - 岩富藩 - 佐倉藩 - 臼井藩 - 栗原藩 - 山崎藩 - 関宿藩 - 布川藩 - 井野藩 - 守谷藩 - 大輪藩 - 山川藩 - 結城藩 - 古河藩
  • 『藩と城下町の事典』:
    • 古河藩 - 佐倉藩 - 結城藩 - 山川藩 - 大輪藩 - 守谷藩 - 井野藩 - 布川藩 - 山崎藩 - 関宿藩 - 曽我野藩 - 生実藩 - 栗原藩 - 臼井藩 - 岩富藩 - 上代藩 - 高岡藩 - 矢作藩 - 小見川藩 - 大須賀藩 - 小南藩 - 多古藩 - 小篠藩 - 蘆戸藩

結城郡

結城藩
結城藩』 - コトバンク
松平結城藩』 - コトバンク
水野結城藩』 - コトバンク
  • 1590年 - 結城秀康10万1000石[1]
  • 慶長5年(1600年) - 越前北庄に移封[2](1601年[1]
  • 元禄13年(1700年) - 水野勝長、能登西谷より入封[2][1]
下総山川藩
  • 慶長14年(1609年) - 久松松平定綱新封[2][1]
  • 1616年 - 松平定綱転出/水野忠元、相模国内から入封[1]
  • 寛永12年(1635年) - 水野忠善転出[2][1]

岡田郡

大輪藩
  • 万治元年 - 土井利直新封[2]
  • 延宝5年 - 土井利良減封、廃藩[2]

相馬郡

守谷藩
  • 天正18年(1590年) - 土岐定義1万石[3]
  • 元和3年(1617年) - 土岐定義、摂津高槻に移封[3]
  • 元和5年(1619年) - 土岐頼行、高槻より入封[3]。ただし居所が「守谷」とは明示されない。
  • 寛永4年(1627年) - 土岐頼行、出羽山形に転出[3]
  • 慶安4年(1651年) - 堀田正盛1万3000石
  • 寛文7年(1667年) - 堀田正盛、安中に転出
  • 寛文8年(1668年) - 酒井忠挙、部屋住み領2万石
  • 天和元年(1681年) - 酒井忠挙、家督を継承し上野前橋藩主となる
布川藩
△『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」は「布川」を藩名とする藩として扱う
△『藩史大辞典』目次には記載がない
  • 松平信一5000石[3]
  • 慶長6年(1601年) - 常陸土浦に移封[3]

葛飾郡

古河藩
古河藩』 - コトバンク
  • 1590年 - 小笠原秀政3万石[1]
  • 慶長6年(1601年) - 小笠原秀政転出[4][1]
  • 慶長7年(1602年) - 戸田松平康長、上野白井より移封[4][1]
  • 1612年 - 松平康長転出/小笠原信之入封[1]
  • 1619年 - 小笠原政信転出/奥平忠昌入封[1]
  • 1622年 - 奥平忠昌転出/永井直勝入封[1]
  • 1633年 - 永井尚政転出/土井利勝入封[5]
  • 1675年 - 土井利久除封・土井利益、常陸・下総国内から再封[5]
  • 1681年 - 土井利益転出/堀田正俊入封[5]
  • 1685年 - 堀田正俊転出/藤井松平信之入封[5]
  • 元禄6年(1693年) - 藤井松平忠之除封[2][5]
  • 元禄7年(1694年) - 大河内松平信輝入封[2][5]
  • 1712年 - 松平信祝転出/本多忠良入封[5]
  • 1759年 - 本多忠*転出/松井松平康福入封[5]
  • 1762年 - 松平康福転出/土井利里入封[5]
関宿藩
  • 1590年 - 久松松平康元4万石[5]
  • 元和2年(1616年) - 松平忠良転出[2][5]
  • 元和3年(1617年) - 能見松平重勝入封[2][5]
  • 1619年 - 松平重勝転出/小笠原政信入封[5]
  • 1640年 - 小笠原貞信転出/北条氏重入封[5]
  • 1644年 - 北条氏重転出/牧野信成、武蔵石戸から入封[5]
  • 1656年 - 牧野親成、河内・摂津国内に転出/板倉重宗、摂津など5か国内から入封[5]
  • 1669年 - 板倉重郷転出/久世広之、相模など5か国内から入封[5]
  • 1683年 - 久世重之転出/牧野成貞、下総など3か国内から入封[5]
  • 1705年 - 牧野成春転出/久世重之入封[5]
  • 1769年 - 久世広明、大坂城代に就任、河内・美作国内に転出[5]
  • 1774年 - 久世広明復封[5]
下総山崎藩
  • 岡部長盛1万2000石[2]
  • 慶長14年(1609年) - 転出[2]
舟戸藩(藤心藩)
  • 『藩史大辞典』目次には「舟戸(藤心)藩」が記載。
  • 元和2年(1616年) - 本多正重新封1万石[2]
  • 同年 - 2000石を減封、廃藩[2]。寛政譜では同年?正重隠居、翌3年(1617年)本多正貫の家督継承時減知
  • 元禄元年(1688年) - 本多正永、加封により1万石[2]
  • 元禄16年(1703年) - 沼田に移封[2]
栗原藩
  • 成瀬正成4000石[4]
  • 慶長5年(1600年) - 2万石を加封[4]
  • 元和2年(1616年) - 成瀬正成、尾張藩付家老として尾張犬山に転出/成瀬之成に旧地1万2000石分与[4]
  • 寛永15年(1638年) - 成瀬之虎除封[4]

千葉郡

生実藩
  • 寛永4年(1627年) - 旗本森川重俊、加増により新封1万石[2][5]
曾我野藩
  • 『藩史大辞典』目次では下野国で扱う(高徳藩の次に配置)
  • 明治3年 - 戸田忠綱、下野高徳より入封[2]

印旛郡

井野藩
△『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」は「井野」を藩名とする藩として扱う
△『藩史大辞典』目次には記載がない
  • 関東知行割で本多成重が3000石で入る。のち加増により5000石[2]
  • 慶長18年(1613年) - 越前丸岡に移封[2]
岩富藩
  • 北条氏勝1万石[2]
  • 慶長18年(1613年) - 北条氏重転出[2]
臼井藩
  • 酒井家次3万石[2]
  • 慶長9年(1604年) - 酒井家次、上野高崎へ移封[2]
佐倉藩
  • 1592年 - 松平信吉(武田信吉)4万石[2][5]
  • 1602年 - 松平信吉転出/松平忠輝入封[5]
  • 慶長8年(1603年) - 松平忠輝転出[2][5]
  • 慶長12年(1607年) - 小笠原吉次新封[2][5]
  • 慶長13年(1608年) - 小笠原吉次転出[2][5]
  • 慶長15年(1610年) - 土井利勝、小見川より転入[2][5]
  • 1633年 - 土井利勝転出/石川忠総入封[5]
  • 寛永11年(1634年) - 石川忠総転出[2][5]
  • 寛永12年(1635年) - 形原松平家信入封[2][5]
  • 寛永17年(1640年) - 形原松平康信転出[2][5]
  • 寛永19年(1642年) - 堀田正盛入封[2][5]
  • 万治3年(1660年) - 堀田正信除封[2][5]
  • 寛文元年(1661年) - 大給松平乗久入封[2][5]
  • 1678年 - 松平乗久転出/大久保忠朝入封[5]
  • 1686年 - 大久保忠朝転出/戸田忠昌入封[5]
  • 1701年 - 戸田忠真転出/稲葉正往入封[5]
  • 1723年 - 稲葉正知転出/大給松平乗邑入封[5]
  • 1746年 - 松平乗佑転出/堀田正亮入封[5]

香取郡

下総飯田藩
  • 慶長13年(1608年) - 青山成重新封[3]
  • 慶長18年(1613年) - 成重減封、廃藩[3]
小見川藩
  • 『房総諸藩録』は「上代藩」と「小見川藩」を2つの藩として扱う。
  • 1594年 - 深溝松平家忠1万石[5]
  • 慶長6年(1601年) - 松平忠利、三河深溝に移封[5]
  • 慶長7年(1602年) - 旗本土井利勝、加増により新封1万石[5]
  • 1610年 - 土井利勝転出[5]
  • 1612年 - 安藤重信入封[5]
  • 元和5年(1619年) - 安藤重信転出[3][5]
  • 享保9年(1724年) - 内田正親入封[3][5]
小南藩
△『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」は「小南」を藩名とする藩として扱う
△『藩史大辞典』目次には記載がない
  • 久松松平定勝3000石[3]
  • 慶長6年(1601年) - 定勝、遠江掛川に転出[3]
高岡藩
『日本史広辞典』は1676年から記載[5]
  • 寛永17年(1640年) - 井上政重新封[3]
  • 延宝4年(1676年) - 井上政蔽、高岡に居住[3][5]
多古藩
  • 1590年 - 保科正光1万石[5]
  • 慶長5年(1600年) - 保科正光、信濃高遠に移封、廃藩[3][5]
  • 寛永12年(1635年) - 松平勝義新封8000石[3]
  • 正徳3年(1713年) - 松平勝以加増により1万2000石[3][5]
矢作藩
△『藩史大辞典』目次には記載がない
  • 鳥居元忠4万石
  • 慶長7年(1602年) - 鳥居忠政転出[3]
  • 元和4年(1618年) - 三浦正次新封780石[3]
  • 寛永7年(1630年) - ここまで順次加増を受け1万石[3]
  • 寛永16年(1639年) - 三浦正次、下野壬生に移封[3]

匝瑳郡

小篠藩
△『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」は「小篠」を藩名とする藩として扱う
△『藩史大辞典』目次には記載がない
  • 本多康俊5000石[3]
  • 慶長6年(1601年) - 三河西尾に移封[3]

海上郡

蘆戸藩
△『藩史大辞典』目次には記載がない
  • 木曾義利(木曾義就)1万石[3]
  • 慶長5年(1600年) - 除封[3]

所在不明

下総三浦藩[要出典]
△『藩史大事典』目次には「三浦重成重勝」が掲載
△『角川新版日本史辞典』は「三浦重成・重勝領[3]
  • 三浦重成1万石[3]
  • 寛永8年(1631年) - 三浦重勝除封[3]

上総国

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関連地図
  • 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:25藩
    • 小久保 - 佐貫 - 百首 - 飯野 - 貝淵 - 請西 - 久留里 - 桜井 - 姉崎 - 潤井戸 - 菊間 - 五井 - 高滝 - 鶴舞 - 鶴牧 - 八幡 - 大多喜 - 大多喜新田 - 勝浦 - 苅谷 - 一宮 - 大網 - 柴山 - 松尾 - 鳴渡
  • 『藩史大辞典』目次:24藩
    • 柴山藩 - 松尾藩 - 大網藩 - 一宮藩 - 大多喜藩 - 大多喜新田藩 - 勝浦藩 - 菊間藩 - 潤井戸藩 - 鶴舞藩 - 高滝藩 - 八幡藩 - 苅谷藩 - 五井藩 - 姉崎藩 - 鶴牧藩 - 請西藩 - 貝淵藩 - 桜井藩 - 久留里藩 - 飯野藩 - 小久保藩 - 佐貫藩 - 百首藩
  • 『房総諸藩録』:28藩
    • 勝浦藩 - 苅谷藩 - 大多喜藩 - 大多喜新田藩 - 一宮藩 - 茂原藩 - 大網藩 - 百首藩 - 佐貫藩 - 小久保藩 - 飯野藩 - 小糸藩 - 金ヶ崎藩 - 久留里藩 - 桜井藩 - 貝淵藩 - 請西藩 - 高滝藩 - 鶴舞藩 - 鶴牧藩 - 姉崎藩 - 五井藩 - 潤井戸藩 - 菊間藩 - 八幡藩 - 鳴渡藩 - 柴山藩 - 松尾藩
  • 『藩と城下町の事典』:
    • 五井藩 - 八幡藩 - 潤井戸藩 - 菊間藩 - 姉崎藩 - 鶴牧藩 - 鶴舞藩 - 高滝藩 - 貝淵藩 - 請西藩 - 桜井藩(金崎藩) - 小久保藩 - 佐貫藩 - 飯野藩 - 百種藩 - 久留里藩 - 勝浦藩 - 大多喜藩 - 苅谷藩 - 一宮藩 - 茂原藩 - 大網藩 - 鳴渡藩 - 松尾藩(柴山藩)

天羽郡

小久保藩
  • 明治元年 - 田沼意尊入封[3]
佐貫藩
  • 内藤政長2万石[3]
  • 寛永10年(1633年) - 桜井松平忠重移封[3]
  • 寛永16年(1639年) - 能見松平勝隆新封[3]
  • 貞享元年 - 能見松平重治除封[3]
  • 宝永7年 - 阿部正鎮入封[3]
百首藩
  • 寛永10年(1633年) - 能見松平重則新封[3]
  • 寛永17年(1640年) - 下野皆川に転出[3]

周淮郡

飯野藩


小糸藩(古井戸藩)
秋元城の別名に「小糸城」[6][7]
  • 君津市清和市場(上総国周淮郡市場村→千葉県君津郡秋元村
『房総諸藩録』では「小糸藩」を取り上げる。本多重次?

望陀郡

貝淵藩
『日本史広辞典』では貝淵藩のみ挙げる
  • 文政8年(1825年) - 旗本林忠英、加増により新封1万石[3][5]
  • 嘉永3年(1850年) - 林忠旭、請西に移る[3][5]
請西藩
  • 嘉永3年 - 林忠旭、貝淵より移る[3]
  • 明治元年 - 林忠崇除封[3]
桜井藩(金ヶ崎藩) 《望陀郡》
△『房総諸藩録』では「桜井藩」と「金ヶ崎藩」を2つの藩として取り上げる。
  • 明治元年 - 滝脇信敏、駿河小島より入封[3]
久留里藩
  • 1590年 - 大須賀忠政3万石[5]
  • 1601年 - 大須賀忠政転出[5]
  • 1602年 - 旗本土屋忠直、加増により新封2万石[5]
  • 延宝7年(1679年) - 土屋直樹(土屋頼直)除封[3][5]
  • 寛保2年(1742年) - 黒田直純入封[3][5]

市原郡

姉崎藩
  • 慶長12年(1607年) - 松平忠昌新封1万石[3]
  • 元和元年(1615年) - 松平忠昌移封[3]
  • 元和5年(1619年) - 松平直政新封1万石[3]
  • 寛永元年(1624年) - 松平直政、越前大野に移封[3]
潤井戸藩
  • 元和5年(1619年) - 永井尚政新封[3]
  • 寛永3年(1626年) - 永井尚政転出[3]
菊間藩
  • 明治元年(1868年) - 水野忠敬、駿河沼津より移封[3]
五井藩
  • 天明元年(1781年) - 有馬氏恕、伊勢南林崎より入封[3][5]
  • 元保13年(1842年) - 有馬氏郁、下野吹上に移封[3][5]
高滝藩
  • 元和3年(1617年) - 板倉重宣新封【信濃坂木藩支藩】[8]
  • 元禄12年(1699年) - 板倉重高、備中庭瀬に移封[8]
鶴舞藩
  • 明治元年(1868年) - 井上正直、遠江浜松より入封[8][5]
鶴牧藩
  • 文政10年(1827年) - 水野忠韶、安房北条より入封[8][5]
上総八幡藩
  • 寛文8年 - 堀直良、苅谷より入封[8]
  • 元禄11年(1698年) - 堀直宥、越後椎谷に移封[8]

夷隅郡

大多喜藩
  • 1590年 - 本多忠勝10万石[5]
  • 1601年 - 本多忠勝、伊勢桑名に転出/本多忠朝、新封5万石[5]
  • 1617年 - 本多政朝転出/阿部正次入封[5]
    • 下野鹿沼より[8]、武蔵鳩ヶ谷(一宮)より[5]
  • 元和5年(1619年) - 阿部正次、相模小田原に移封。廃藩[8][5]
  • 元和9年(1623年) - 青山忠俊入封[8][5]
  • 寛永2年(1625年)以前 - 青山忠俊除封[8](『日本史広辞典』では1623年以後で年代を明記せず[5]
  • 寛永15年(1638年) - 阿部正能、武蔵岩槻藩(阿部正次)より分知[8][5]
  • 寛文11年(1671年) - 阿部正能、武蔵忍藩を継ぎ移封/阿部正春、武蔵岩槻より移封[5]
  • 元禄15年(1702年) - 阿部正春、三河刈谷に転封/稲垣重富入封・同年下野烏山へ移封[5]
  • 元禄16年(1703年) - 大河内松平正久入封[8][5]
  • 1868年 - 除封・再封[5]
大多喜新田藩
  • 慶安4年 - 三浦正春新封【武蔵岩槻藩支藩】[8]
  • 万治2年 - 正春、阿部氏を継ぎ武蔵岩槻に移る[8]
勝浦藩
『日本史広辞典』では1682年から
  • 植村泰忠3000石[8]
  • 天和2年(1682年) - 旗本植村忠朝、加増により新封1万1000石[5](『角川新版日本史辞典』は1万2000石?[8]
  • 宝暦元年(1751年) - 植村恒朝除封[8][5]/旗本大岡忠光加増により新封1万石[5]
  • (宝暦4年 - 大岡忠光入封[8]
  • 宝暦6年(1756年) - 大岡忠光、武蔵岩槻に移封[8][5]
上総苅谷藩
  • 寛永19年(1642年) - 堀直景新封[8]
  • 寛文8年 - 堀直良、八幡へ移転[8]

長柄郡

茂原藩
  • 大久保忠佐。『房総諸藩録』では「茂原藩」を取り上げる。
一宮藩
  • 文政9年(1826年) - 加納久儔、伊勢八田より移る[8][5]

山辺郡

大網藩
  • 明治2年 - 米津政敏、出羽長瀞より移転[8]
  • 明治4年 - 常陸龍ヶ崎へ移転[8]

武射郡

柴山藩松尾藩
柴山藩』 - コトバンク
芝山藩』 - コトバンク(参照見出し)
松尾藩』 - コトバンク(参照見出し)
明治4年(1871年)松尾城に藩庁を移転し「松尾藩」に改称。
△『藩史大事典』目次には「柴山藩」と「松尾藩」の2つの藩が挙げられる。
△『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」は「柴山藩」と「松尾藩」の2藩として扱う。
△『日本史広辞典』(主要な藩のみ扱う)では柴山藩のみ掲載
  • 明治元年(1868年) - 太田資美、遠江掛川より柴山に移転[8][5]
  • 明治4年(1871年) - 居所を松尾に移転[8][5]
鳴渡藩
  • 『房総諸藩録』では「鳴渡藩」を取り上げる。
  • 石川康通2万石[8]
  • 慶長6年(1601年) - 康通、美濃大垣に移転[8]
高知新田藩
『日本史広辞典』では上総国武射郡に配列[5]

安房国

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(三枝藩?)
横渚
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(花房藩)
長尾
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東条
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勝山
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北条
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館山
館山
関連地図
  • 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:7藩
    • 東条 - 花房 - 勝山 - 館山 - 長尾 - 北条 - 三枝守昌領
  • 『藩史大事典』目次:7藩
    • 花房藩 - 東条藩 - 勝山(加知山)藩 - 北条藩 - 館山藩 - 長尾藩 - 三枝守昌領
  • 『房総諸藩録』:7藩
    • 長尾藩 - 東条藩 - 花房藩 - 館山藩 - 北条藩 - 船形藩 - (加知山)勝山藩
  • 『藩と城下町の事典』:
    • 東条藩 - 花房藩 - 長尾藩 - 館山藩 - 北条藩 - 勝山藩(加知山藩)

長狭郡

東条藩
  • 元和6年(1620年) - 旗本西郷正員、加増により新封1万石[8][5]
  • 元禄5年(1692年) - 西郷寿員転出[8][5]
花房藩
花房藩』 - コトバンク

平郡

安房勝山藩(加知山藩)
勝山藩〈安房国〉』 - コトバンク
勝山藩(安房国)』 - コトバンク
勝山藩』 - コトバンク
加知山藩』 - コトバンク
  • 元和8年(1622年) - 内藤清政、常陸など4か国内から加入封3万石[8][5]
  • 元和9年(1623年) - 内藤清政除封[8][5]
  • 寛永3年(1626年) - 内藤正勝再封2万石[8][5]
  • 寛永7年(1630年) - 内藤重頼5000石に減封、長狭郡に移る[8]。廃藩[5]
  • 寛文8年(1668年) - 酒井忠国新封1万石[8][5](若狭小浜藩から分与[5]
  • 明治2年 - 「加知山藩」に改称[8][5]
船形藩
平岡道弘』 - コトバンク
△『藩史大事典』、『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」には記載がない。
△『房総諸藩録』目次に記載あり。

安房郡

館山藩
館山藩』 - コトバンク
  • 1590年 - 里見義康9万2000石[5](『角川新版日本史辞典』では9万石[8]
  • 慶長19年(1614年) - 里見忠義、伯耆倉吉に移封[8][5]
  • 天明元年(1781年) - 稲葉正明安房国内より入封、1万石[8](旗本から加増[5]
北条藩
北条藩』 - コトバンク
  • 寛永15年(1638年) - 屋代忠正新封[8][5]
  • 正徳2年(1712年) - 屋代忠位除封[8][5]
  • 享保10年(1725年) - 水野忠定、信濃国内より入封[8][5]
  • 文政10年(1827年) - 上総鶴牧へ移封[8][5]
長尾藩
長尾藩』 - コトバンク
  • 明治元年(1868年) - 本多正訥、駿河田中から入封[8][5]
  • 明治3年(1870年) - 北条に移る[5]

所在不明

安房三枝藩[要出典]
  • 『藩史大事典』では「三枝守昌」。
  • 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」では「三枝守昌領」で「所在不明」とある。
  • 『房総における近世陣屋』(千葉県教育振興財団)は安房郡山名の御蔵陣屋が藩庁と推定。
  • 『房総諸藩録』目次には記載がない。
  • 寛永15年(1638年) - 三枝守昌新封[8]
  • 寛永16年(1639年)- 分知により廃藩[8]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本史広辞典』, p. 巻末82.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 『角川新版日本史辞典』, p. 1301.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba 『角川新版日本史辞典』, p. 1302.
  4. ^ a b c d e f 『角川新版日本史辞典』, p. 1300.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da 『日本史広辞典』, p. 巻末83.
  6. ^ 秋元城跡”. きみつの観光情報. 2023年6月10日閲覧。
  7. ^ 小糸郷(中世)”. 角川日本地名辞典. 2023年6月10日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au 『角川新版日本史辞典』, p. 1303.

参考文献

  • 二木謙一監修、工藤寛正編『藩と城下町の事典』東京堂出版、2004年。 
  • 『角川新版日本史辞典』角川学芸出版、1996年。 
  • 『日本史広辞典』山川出版社、1997年。 

外部リンク

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