阿部四郎
阿部 四郎 Shiro Abe | |
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プロフィール | |
リングネーム | 阿部 四郎 |
本名 | 阿部 四郎 |
ニックネーム |
元祖悪徳レフェリー 極悪レフェリー |
誕生日 | 1940年7月28日 |
死亡日 | 2017年4月25日(76歳没) |
出身地 | 福島県 |
所属 |
全日本女子プロレス レフェリー |
阿部 四郎(あべ しろう、1940年7月28日 - 2017年4月25日)は、日本の実業家・プロレスのレフェリーである。
『悪徳レフェリー』および『極悪レフェリー』としてプロレス界に一時代を築き、バラエティー番組などにもゲスト出演していた。
経歴
福島県の出身。東村山市で芸能プロダクションである『大和プロモーション』を運営し、併せて江古田駅前でスナックを経営する。北島音楽事務所や、全日本女子プロレスの興行にプロモーターとして関わっていた。その際、北島三郎にはとても可愛がられていたという。
1970年代から全女のレフェリーを兼任し、全日本女子プロレスの試合を放送していたフジテレビの人気番組「オレたちひょうきん族」の1コーナーである「ひょうきんプロレスアワー」のごく初期にも、レフェリー兼リングアナウンサー役を務めている。
1980年代初頭、デビル雅美が率いたヒール軍団「ブラック・デビル」の末期に、阿部は突如としてデビル軍団側に肩入れをし始めており、不公正かつ贔屓なレフェリングをやり始めた。植田信治コミッショナーは凶器使用禁止令を下すと共に、阿部に対しても暫くの間出場停止と同時に減給処分を言い渡している。
その後、凶器使用禁止令を遵守しようとするデビル雅美と、今後の凶器使用に関してこだわりを持ち続けるダンプ松本・マスクド・ユウとの間で対立し、業を煮やしたデビルは『軍団解散』を宣言するに至った。その後デビルは山崎五紀を帯同し、ベビーフェイス寄りだったが一匹狼への道を歩んでいる。
デビルに謀反したダンプ松本とクレーンユウの2人が、新たなヒール軍団「極悪同盟」を結成。今度は「今まで下積みを強いられて来たダンプが可哀想だったからさ。今度はダンプに協力をするよ」と、阿部は極悪同盟側に加担する様になった。
以降は度重なるコミッショナーへの注意・警告を受けながらも、以下の通りに阿部は極悪同盟に対して加担を継続し続けた。
- 極悪同盟側が行う反則行為を、一切見ていなかったことにして黙認[1]。
- 寝技でサードロープにエスケープした選手の足を選手目線で寝転がり、ギブアップの意思を確認しながら足で蹴り、ロープから外してしまう。
- 極悪同盟側がフォールされた時は超低速度でカウントを行う。逆にフォールした時は、超高速度の可変速カウントを行いカウントを取る。
など、極悪同盟に対し徹底的に特別扱い・差別・贔屓をするという一つの名人芸・職人技とも言える極悪非道レフェリングぶりを展開し、更には極悪同盟とお揃いのコスチュームで一緒に現れる悪徳レフェリーとして、当時人気絶頂期にあったクラッシュギャルズを始めとするベビーフェイス勢を非常に苦しめ・痛め付けて来ており、多大なるダメージを負わせた。会場のファンからも度重なる奇声・罵声・号泣・怒号・悲鳴を大いに集めていた[2]。ダンプ松本は阿部に関して「阿部ちゃんは今でも私にとっては、大切な仲間の1人ですよね」と、自身のブログ内やインタビューなどで語っていた。
阿部の悪行で余りにも卑劣過ぎるレフェリングぶりを実況席から痛烈に批判し続けた[3]アナウンサーの志生野温夫とは旧知の仲であり、古い付き合い同士だった。
「めちゃ×2イケてるッ!」の「格闘女神MECHA」コーナーで、岡村隆史が「阿部四郎」に扮するレフェリーである『岡村四郎』のモデルにもなっている。また同コーナーでの極楽とんぼが扮する「極楽同盟」と現役女子プロレスラーとのタッグ対決では、本人が登場して当時と変わらぬ極楽同盟贔屓のレフェリングを披露していた。
晩年はIWAジャパンを主戦場としていた。日刊ゲンダイのインタビュー「あの人は今、こうしている」[4]では、レフェリーとしてギャラの支払いをほとんど受けていなかった点、松永兄弟に対して、巨額の売掛金があってそれを曖昧にされたまま結局未収になったのみならず、全日本女子に残された借金の保証人になっていたのもあり、2008年付けで東村山市にある自宅を差し押さえられてしまった事、などをインタビューで告白し痛烈に批判している。
ZERO1-MAXのメインレフェリーを務めた阿部信輔は実の息子で、父とは異なり公平で正統派なレフェリングスタイルである。
2009年7月9日、新宿FACEで行われた「NOSAWA-BON-BA-YE 5」の、クラッシュギャルズ25周年メモリアルマッチ・長与みのる&ライオネス高山VSダンプ菊&ブル坂井の試合をもってレフェリーを引退し、その後は芸能プロダクションと並行して立川駅前でスナックを経営していた。
また故郷・福島県でプロモーターをしていた関係で、レフェリー引退後も2012年1月8日のブル中野引退興行(TDCホール)、2014年3月22日の長与千種プロデュース興行(大田区総合体育館)に参加し、可変速カウントなど悪役贔屓のレフェリングを披露していた。
2014年5月31日放送の「めちゃイケ」では、9年ぶりに行われた『めちゃ日本女子プロレス』のメインイベントである新・極楽同盟の試合で、久々にレフェリーとして登場している。
同じ時期にWNCのソフト今井が阿部に弟子入りし、以降はREINAにおけるダンプや堀田祐美子らの試合で、師匠を彷彿とさせる悪徳レフェリーぶりを発揮している。
2017年4月25日午前、肺炎のため死去した[5]。76歳没。
注釈
- ^ タッグマッチでは、反則を指摘して激昂するコーナーのパートナーに執拗な注意をし、その間に「死角」となる対角線のコーナーで反則を継続させた。
- ^ 同時期である男子団体レフェリーのジョー樋口・ミスター高橋なども反則行為を見ていない振りをして観客をヒートさせる程度はやっていたが、露骨にヒール贔屓のレフェリングを展開したのは、男女通じて阿部が初めてだった。
- ^ 阿部の目に余る極悪贔屓のレフェリングぶりを指摘して「阿部四郎、何をしているか!」「阿部四郎のレフェリングはおかしい!」「阿部四郎のレフェリングに対して観客席からもブーイングが飛んでおります」など、放送席から叱責したこともあった。
- ^ 2005年と2010年の2回に渡って誌面へ登場してインタビューに応じている。
- ^ “「極悪レフェリー」阿部四郎さん死去 クラッシュギャルズ苦しめる”. デイリースポーツ. 神戸新聞社. (2017年4月25日) 2017年4月25日閲覧。
外部リンク
- レフェリー生活40年・阿部四郎が引退(デイリースポーツ、2009年7月10日)
- あの人は今こうしている 女子プロレスの名レフェリーだった阿部四郎さん(日刊ゲンダイ、2005年6月30日、ライブドアニュース転載、Web Archive)
- あの人は今こうしている 阿部四郎さん(日刊ゲンダイ、2010年8月12日)