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芦田寿美

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あしだ すみ

芦田 寿美
生誕 長谷寿美
1895年
日本の旗 日本
死没 不明
日本の旗 日本
配偶者 芦田均(夫)
子供 下河辺美世(長女)
遠藤ルリ(次女)
芦田治太郎(長男)
芦田富(次男)
長谷見次(父)
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芦田 寿美(あしだ すみ[1]1895年明治28年) - ?)は、日本の第47内閣総理大臣である芦田均の妻(内閣総理大臣夫人)。

経歴

1895年明治28年)、輸入織物商だった長谷見次の次女として生まれる[2]。後の夫となる芦田均が学生だった頃に見初め、均がロシアから帰任した1918年大正7年)に結婚した。均との間には2男2女を儲けた[2]

1948年昭和23年)3月10日から同年10月15日までの約7か月間は、芦田均が内閣総理大臣に就任し、寿美も首相夫人となった。

脚注

  1. ^ 壽美、スミ子とも表記される。
  2. ^ a b 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017, 「第三章 芦田均」の項
先代
片山菊江
内閣総理大臣夫人
1948年3月10日 - 1948年10月15日
次代
吉田喜代
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