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上京会寧府

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上京会寧府(じょうけい-かいねい-ふ)は、金朝が設置した府。

金朝が成立すると間もなく上京路の下部の会寧県(現在の黒竜江省ハルビン市阿城区南白城)に会寧州が設置され金朝の都城と定められた。当時の管轄区域は松花江牡丹江長白山を結ぶ地域とされた。太宗の時代に会寧府と改められ、更に1138年天眷元年)に上京会寧府とされた。

1153年貞元元年)に燕京に遷都すると間もなく会寧府とされたが、1173年大定13年)に再び上京会寧府とされた。金末にモンゴル帝国が進入すると上京会寧府は廃止されている。

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