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行岡忠雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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行岡 忠雄(ゆきおか ただお、1901年(明治34年)2月18日 - 1974年(昭和49年)4月27日)は、日本の医師、柔道整復師。

日本初の柔道整復養成施設である大阪接骨学校(昭和7年)と、行岡外科病院(大阪接骨学校附属行岡外科病院)(昭和9年)を設立する。

大阪府柔道整復師会[1]会長

社団法人 大阪府医師会会長

大阪府保険医協会理事長

大阪市会議員(連続6期)などを歴任。

保健衛生功労者として藍綬褒章[2]

教育医療功績者として勲四等旭日小綬章叙勲[3]される。

大阪接骨学校(現:行岡医学技術専門学校・大阪行岡医療専門学校長柄校)の創設者。

医療は医師のみで行うものではなく、看護師・整復師・放射線技師などの技術者との連携・協同によって成り立つ。[4]

「柔道整復」に対する純粋な想いから大胆な発想と行動、その裏側には繊細な心配りのある漢。現在の行岡病院の成り立ちでは、骨折や脱臼の治療にはレントゲン検査が不可欠であると言う理由から接骨学校の附属病院としての役割を担うために建てられる。

 忠雄は「柔整業界の最大の課題は一致団結することだ!!君たちのように社会的に弱い立場の者が互いにいがみ合っていてどうするんだ!派閥や学閥などは作らずに一致団結しなさい!!」と述べている。

 現在の医療界を支える日本の「パラメディカル・スタッフの父」たる存在、その外科医であり柔道整復師であり経営者と言える。またその生涯を医療活動・医療技術者の教育・医療技術者の社会的地位の向上に注ぎこむ。(七十三歳 永眠)

西洋医学と東洋医学の長所を取り入れた教育で時代を担う医療人を輩出するという忠雄の主張は、当初は時機尚早という声もあったが、時代の変化と共に賛同者も増えつづけ、現在ではスタンダード化しているといっても過言ではない。常に将来の医療がどうあるべきかという視点に立って医療改革に尽力した人物。

 このような忠雄の意志を受け継いだ教育は、現在もパラメディカルに於いて引き継がれている。局所的な診療を中心とする西洋医学と、人間全体を診ることが必要とされる東洋医学のそれぞれの長所を取り入れ、技術的にも人間的にもより質の高い医療技術者が、医学の学術理論はもとより、実地技能の専門教育も併せて行われている。

参考資料

  1. ^ 公益社団法人 大阪府柔道整復師会【OJTA】|地域医療に貢献する柔道整復師の会”. www.osaka-jyusei.or.jp. 2019年3月8日閲覧。
  2. ^ 学校法人 行岡保健衛生学園 (2018(平成30)年3月). 『仁の人 行岡忠雄 ~医療界のため立ち上がった男の“一生の仕事”~』. 株式会社 シナノ パブリッシングプレス 
  3. ^ 学校法人 行岡保健衛生学園 (2018(平成30)年3月). 『仁の人 行岡忠雄 ~医療界のため立ち上がった男の“一生の仕事”~』. 株式会社 シナノ パブリッシングプレス 
  4. ^ 学校法人 行岡保健衛生学園 (2018(平成30)年3月). 『仁の人 行岡忠雄 ~医療界のため立ち上がった男の“一生の仕事”~』. 株式会社 シナノ パブリッシングプレス 
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