嘉陽
嘉陽(かよう)は沖縄県内、沖縄本島の北部東海岸に位置する名護市久志支所管内の町名。郵便番号は905-2262。南は太平洋に臨み、東、北、西は標高80m内外の丘陵地帯である。嘉陽川とその支流である複数の川が流れ、豊かな自然に囲まれている。[1]
遺跡・記念物
嘉陽貝塚
嘉陽貝塚は、嘉陽川の河口に形成された砂丘上に位置しており、集落内では沖縄貝塚時代後期の土器、グスク時代の土器・類須恵器・中国製の青磁・染付・南蛮陶器などが採集される。時代は沖縄諸島の呼称で沖縄貝塚時代からグスク時代(平安後期から鎌倉時代)と考えられている。この場所は南側に開いた平野の入口にあたり、正面南側は太平洋を望み、背後にはこの砂丘の後背湿地だったと考えられる。現在では水田として利用されている。
嘉陽原遺跡
嘉陽原遺跡は上城のある丘陵の西側平地に立地しており、グスク時代中期から近世にかけての遺跡であると考えられている。斜面下を通る道路が二又に分かれる下側に当たり、現在サトウキビ畑になっている。そのそばに水田のへの水路が通っている。畑は嘉陽層の礫が混ざる土である。グスク土器や沖縄製陶器が採集される。
嘉陽層の褶曲
天仁屋川河口からバン崎にかけての海岸には、今から約4000万年前の新生代古三紀始新世という時期に付加された嘉陽層と呼ばれる地層が分布している。嘉陽層は、当時の海溝付近の深海に堆積したタービダイトが、プレートの沈み込みに伴い次々と陸側に付け加わった付加体の地層を主体とする。嘉陽層の中には、地層の様々な堆積構造、海底地滑りによる地層、沈み込むプレートの圧力により形成された逆断層などの地層の褶曲現象が典型的に発達する。また、砂岩層の堆積作用を示す様々な構造、堆積した深海底の環境を示す生痕化石、さらにプレートの沈み込みにより付加した堆積物から形成された日本列島の成り立ちを示す様々な現象が保存されており、極めて重要であるため平成24年9月19日に、国指定天然記念物に指定された。
祭礼・行事
- 旧暦一月一日 ハチウガーミ(初拝み):井戸や流れ川、集落内外にある拝所を巡拝する。女性のみで執り行われる行事である。
- 新暦一月三日 ハチジュリ(初揃い。初常会):新年のあいさつに全世帯主が集う。
- 旧暦三月三日 サングヮチャー(三月):昔の青年団入団日に潮干狩りをすることで、海で死亡した人々の御願をする。
- 旧暦四月吉日 アブシバレー:芭蕉の茎を組み合わせて作る虫船に、畑から集めた虫を乗せて南の海の方向へ流す。
- 旧暦五月十五日 グングヮチウマチー(五月御祭り):本家に集まり、神棚にご馳走を供える。
- 旧暦六月二十七日 綱引き
- 旧暦七月十六日 豊年祭
- 旧暦八月十五日 臼太鼓
- 旧暦九月九日 菊酒:各地の拝所を巡拝する。
- 旧暦九月二十日 パチカミジナディ(二十日水撫で):住民が総出で標高七十メートルほどのウエグスク(上城)に登り、清めた水と米を用いて健康や家庭円満の祈願をする。
- 新暦十二月二十五日 キリシタン(切支丹):新生児の健康を祈願する行事。該当者の家は 重箱を持ち寄り、ヌンドゥルチで祈願する。
- 旧暦十二月八日 ウニムーチー(鬼餅):新年を迎えるにあたり、各家でサンニンガーサ(月桃の葉)に包んだ餅を仏前に供え、悪魔や病魔を追い払う[2]。
観光
ウエグスク(上城)
ウエグスク(上城・嘉陽上グスク)は、「聖火宿泊碑」(1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックの 聖火が宿泊したことを記念して建立された石碑)から300メートル北へ向かうと左手に位置する。標高約70メートルの丘陵地の頂上には御嶽がある。ウエグスクからは嘉陽集落が俯瞰でき、山頂にはトノと呼ばれる広場にウエグスクの拝所(イビ)と水のカミの拝所が鎮座されており、特に神聖な場所として人々に認識され木々の伐採も禁止されていた。クガツミズナディ(九月水撫で)という旧暦の9月20日にウエグスクで行われる嘉陽集落最大の祭りごとは、農耕生活を過ごす中で五穀豊穣をウエグスクの信仰に求めたものだという[3]。
聖火宿泊碑
嘉陽は、1964年(昭和39年)10月東京で開催されたオリンピックの聖火の宿泊地である。同年8月にギリシャのオリンピアで採火式が開催され、聖火は各国をリレー形式で縦断したのち、9月に沖縄に繋がれた。8日には久志の嘉陽で聖火が宿泊した。本土と分断されていた時代、聖火リレーは人々の注目を集めた。[4]1963年(昭和38年)年四月嘉陽小中学校(現在は美ら島自然学校)PTA総会において、仲村民雄(当時久志村役所勤務)から、「聖火が嘉陽に宿泊するのを機会に、PTAの記念事業として聖火宿泊碑や五輪の池などをつくったらどうか」との提案が出され[5]、会員の賛同を得て建立が決定した。以降、この碑を基点に「嘉陽聖火宿泊記念マラソン」が毎年行われている。
- 聖火のあとさきの詩碑
聖火宿泊碑から国道331号線を挟んで向かい側に位置する。1965年(昭和40年)、聖火宿泊の感慨を綴った宮城敏男の詩を刻んだ碑が建立された。[6]
嘉陽ビーチ
- 遊泳料 : 無料
- 砂質 : サラサラ、ザラザラ
- 駐車場 : 無/空き地あり
- 遊泳期間 : 通年
那覇空港から沖縄自動車道経由で90分の場所にある沖縄県名護市の海岸。手つかずの砂浜やどこまでも続く海岸線、透き通った青い海が広がっている。そのため、テレビ番組の撮影にも利用されることがある。広くて人の少ない浜なので比較的使いやすく、旅行中の休憩場所としても利用できる。また、嘉陽区はペンションや民宿の多い地域であり、それらの高層階から見る嘉陽ビーチの景色は評判が高い。[7]
地理
沖縄本島北部の東海岸に位置している。海岸線は安部崎から天仁屋番崎までなだらかな曲線を描いている。大潮の干潮時には、それぞれの崎をほぼ真っ直ぐに結ぶ幅4〜50メートルのリーフが姿を現わす。[8]
面積や人口などの基本データ
- 面積:5.87平方km
- 人口:78人(男41人*女37人)
- 世帯数:46世帯
- 区加入世帯数:38世帯(加入率83%)
隣接している自治体[10]
交通
那覇空港から県道231号線に向かい、安次嶺(交差点)から国道331号線へと進入。高速宜野座ICまで進み、高速宜野座ICを国道329号線方面に向かって進む。その後、宜野座料金所を進み(有料区間)、右折して二見バイパス/国道331号線に入る。そのまま国道331号線を進み、11km先を左折、20mを左折すると嘉陽区事務所へ到着[11] 。
参考文献
- 嘉陽誌編集委員会『嘉陽誌』 沖縄県名護市嘉陽区事務所 1999年
- 岸本建男『5000年の記憶』 名護市役所発行 2000年
- 黒田茂夫『沖縄県道路地図』 昭文社 2014年
- 富山義則『沖縄 ビーチ大全 505』 株式会社マガジンハウス 2014年
- 名護市教育委員会 文化課『名護市の文化財』 2014年
- 名護市教育委員会文化財文化課文化財係『名護市のグスクハンドブック』 2010年
- 名護市史編さん委員会『名護市史本編・わがまち・わがむら』名護市役所 1988年
- 名護市史編さん委員会 名護市長 比嘉鉄也『名護市史・本編11 わがまち・わがむら』 1988年
- 名護市史編さん室『名護市史・本編9 民族Ⅲ 民族地図』 名護市役所 2003年
- 名護市碑文記編集委員会『名護市碑文記(増補版)』 名護市教育委員会 2001年
- 名護市役所『名護市 55区 区長名簿』 2017年
- 名護市役所『名護市史本編・8 芸能 資料編』2012年(平成24)5月15日
- 西田裕一『日本分県大地図(二訂版)』 株式会社平凡社 2016年二訂版発行
- 比嘉鉄也『名護市史・本編11 わがまち・わがむら』名護市役所 1998年
- 分布調査報告(名護市教育委員会)『名護市の遺跡(2)』 1982年
脚注
- ^ 嘉陽誌編集委員会『嘉陽誌』 沖縄県名護市嘉陽区事務所 1999年 1頁
- ^ 『名護市史本編・8 芸能 資料編』 名護市役所、2012年5月15日、757頁〜758頁
- ^ 名護市教育委員会文化財文化課文化財係『名護市のグスクハンドブック』 沖縄高速印刷株式会社印刷 2010年 P24-25
- ^ 比嘉鉄也『名護市史・本編11 わがまち・わがむら』名護市役所 1998年 P723
- ^ 名護碑文記編集委員会『名護碑文記(増補版)』 名護市教育委員会 2001年3月31日(増補版発行) P249
- ^ 名護碑文記編集委員会『名護碑文記(増補版)』 名護市教育委員会 2001年3月31日(増補版発行) P250〜P255
- ^ 富山義則『沖縄ビーチ大全 505』 株式会社マガジンハウス 2014年4月18日 P20
- ^ 嘉陽誌編集委員会『嘉陽誌』 沖縄県名護市嘉陽区事務所 1999年 P1
- ^ 名護市役所『名護市 55区 区長名簿』 2017年 P28
- ^ 名護市役所『名護市 55区 区長名簿』 2017年 P26〜30
- ^ Google マップ(2018年9月閲覧)