ジョージ・マイケル
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ジョージ・マイケル George Michael | |
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『フェイス』World Tour (1988年) | |
基本情報 | |
出生名 |
ヨルゴス・キリアコス・パナイオトゥー 希: Γεώργιος Κυριάκος Παναγιώτου 希: Georgios Kyriacos Panayiotou |
生誕 | 1963年6月25日 |
出身地 | イングランド ロンドン イースト・フィンチリー |
死没 |
2016年12月25日(53歳没) イングランド オックスフォードシャー州ゴーリング=オン=テムズ |
ジャンル |
ポップ ポスト・ディスコ ブルー・アイド・ソウル R&B アダルト・コンテンポラリー ジャズ |
職業 | ミュージシャン、シンガーソングライター、プロデューサー |
担当楽器 | ボーカル、ギター、ベースギター、ピアノ、キーボード、ドラムス、パーカッション、ホルン |
活動期間 | 1979年 - 2016年 |
レーベル | コロムビア、SME |
共同作業者 | エグゼクティブ、ワム!、バンド・エイド、アレサ・フランクリン、エルトン・ジョン、メアリー・J. ブライジ、ムティア・ブエナ、ホイットニー・ヒューストン |
公式サイト | www.georgemichael.com |
ジョージ・マイケル(英: George Michael、1963年6月25日 - 2016年12月25日[1][2])は、イギリス出身のシンガーソングライター。本名:ヨルゴス・キリアコス・パナイオトゥー(希: Γεώργιος Κυριάκος Παναγιώτου)。
ポップデュオ「ワム!」での活動で「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「ケアレス・ウィスパー」「ラスト・クリスマス」などの世界的ヒット曲を作詞作曲し、ソロシンガーとしてもアルバム『FAITH』が1988年度グラミー賞を受賞するなど成功をおさめた[3]。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第74位[4]
略歴
出生
1950年代にイングランドに移住したギリシャ系キプロス人の父ジャック・パナイオトゥーと、ユダヤ人の血を引くイングランド人の母レズリー・アンゴールド・ハリソンとの間の子として、1963年ロンドン郊外のフィンチレー、チャーチ・レーン73番地に産まれる[5][6] 。子供の頃から内気で、自分の中で「ジョージ・マイケル」という架空のヒーローを想像し続け、後に自分がデビューしてから、もう一人の架空の自分であるとして、「ジョージ・マイケル」を名乗るようになる。
ワム!結成前後
1975年、ブッシー・ミーズ・スクールに入学し、アンドリュー・リッジリーと出会う。1979年、エグゼクティブ結成(メンバーは、ジョージ・マイケル、アンドリュー・リッジリーの他、アンドリューの兄のポール・リッジリー、デヴィッド・オースティン、アンドリュー・リーヴァーの5人)。複数のレコード会社に持ち込むが相手にされず、後に解散する。1981年、アンドリュー・リッジリーと「ワム!」を結成、『Wham! Rap』 にてデビューし、数々のヒットを飛ばしたが、才能のあるジョージはソロでやっていくことを強く希望するようになり、解散が決定する。1986年6月28日、ウェンブリー・アリーナにてワム!解散コンサート。以後、ソロ活動を開始する。
ソロシンガーとして
ワム!時代の中期から無精髭を生やすようになり(初めて生やしたのは1984年末だが、1985年前半はワム!のワールドツアーをしていた関係上、髭は剃り落していた)、ソロ以降はこれがトレードマークとなった。
1986年、アレサ・フランクリンのアルバム『Aretha』に参加して「I Knew You Were Waiting (For Me)」をデュエット。この曲は1987年にシングル・カットされて全英・全米チャートの両方で1位を獲得する。
1987年、1stアルバム 『フェイス』 発売。記録続きの大ヒットとなる。この時に作った数々の記録として、Faithツアー(1988年)が、アメリカでのその年のヒット商品に選出。“一番セクシーなお尻”(男性部門・1988年)に選出。Billboard アルバム部門年間チャート1位(1988年)。シングル部門年間チャート1位(『Faith』 1988年)。白人アーティストとして初のブラックアルバムレギュラーチャート1位(1988年)。1988年、2月19日の東京・日本武道館公演からFaithワールド・ツアーがスタート。
1990年、2ndアルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』発売。しかし、前作ほどのヒットにはならず。ジョージ・マイケル個人としてはアルバムの出来に満足していたが、前作ほど所属レーベルがプロモーションに力を入れなかったこともあり売れ行きは鈍く、しかもレーベル会社のソニー・ミュージック(SME)は商業的に前作を下回った為に酷評をする(酷評したのは当時のSMEの社長、トミー・モトーラという)。これに怒ったジョージ・マイケルは、「ソニー(SME)はアーティストをアーティストとして扱わない。こんな会社ではクリエイティヴな仕事は出来ない」と、SMEを相手に契約無効を訴える裁判を起こす。本来2枚組になる予定だった『LISTEN WITHOUT PREJUDICE』は、2枚目の制作が間に合わず、先行して1枚をvol.1として発売。「Crazyman Dance」、「Happy」など収録予定だったアルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 2』を出す予定だったが、この泥沼化した裁判により、発売が無くなってしまう。後に「Happy」は、エイズ・チャリティ・アルバム『Red Hot + Dance』に収録して発表。「Crazyman Dance」は、上記『Red Hot+Dance』に提供した新曲「Too Funky」のシングルのカップリングとして発表した。また、このアルバム発売後、ワールドツアー「COVER TO COVER TOUR」を日本より行う。タイトルの示すとおり、ツアーの選曲内容は、半分以上が他のアーティストが歌ったカバー曲で選曲されており、オリジナル曲もワム!時代の曲を織り交ぜたりと、ソロデビュー後の曲は殆ど歌われなかった。カバーの選曲がツアーで廻ったアメリカやヨーロッパでは有名な曲ばかりだったが、日本ではそれらの曲を殆ど知らない客が多かった為、評論家からは酷評された。このツアー以降、本人は「ツアーは行わない」と発言し、長年ツアーを行っていなかったが、2006年9月よりヨーロッパツアーを開始。
私生活
1998年に公衆わいせつの現行犯で逮捕された。"OUTSIDE"のプロモーションビデオでは、この事件のことを自らパロディにしている。のちにテレビ番組でゲイであることをカミングアウト。2006年2月26日未明、ロンドンの中心部に停まっている車の運転席で、もうろうとしているところを通行人に警察に通報され、車内からクラスCの薬物(大麻など)が見つかり、運転が不適であるとの理由から逮捕された。2010年には7月に大麻を吸引して車を運転したとして9月14日にロンドン治安判事裁判所より禁固8週間の実刑判決が下され、刑務所に収監された[7]。
2016年12月25日午後、イングランド南部オックスフォードシャー州の自宅で死去。53歳没[1][2]。
作品
スタジオ・アルバム
- フェイス (1987年)英1位・米1位
- LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1 (1990年)英1位・米2位
- オールダー (1996年)英1位・米6位
- ペイシェンス (2004年)英1位・米12位
コンピレーション、ライヴアルバム
- ファイヴ・ライヴ〜愛にすべてを (1993年、ライヴ・アルバム) 英1位・米46位
- レディース・アンド・ジェントルマン…ザ・ベスト・オブ・ジョージ・マイケル (1998年、ベストアルバム)英1位・米24位
- ソングス・フロム・ザ・ラスト・センチュリー (1999年、カバーアルバム)
- Twenty Five(2006年、ベストアルバム)
- シンフォニカ[注釈 1] (2014年) 英1位・米60位
シングル
- Careless Whisper(1984年)英1位・米1位
- A Different Corner(1986年)英1位・米7位
- I Knew You Were Waiting (For Me)(1987年、with アレサ・フランクリン)英1位・米1位
- I Want Your Sex(1987年)英3位・米2位
- Faith(1987年)英2位・米1位
- Father Figure(1988年)英11位・米1位
- One More Try(1988年)英8位・米1位
- Monkey(1988年)英13位・米1位
- Kissing a Fool(1988年)英18位・米5位
- Praying for Time(1990年)英6位・米1位
- Waiting for That Day(1990年)英23位・米27位
- Mother's Pride(1990年)米46位
- Freedom! '90(1990年)英28位・米8位
- Heal the Pain(1991年)英31位
- Cowboys and Angels(1991年)英45位
- Don't Let the Sun Go Down on Me(1991年、with エルトン・ジョン)英1位・米1位
- Too Funky(1992年)英4位・米10位
- Somebody to Love(1993年、with クイーン)英1位・米30位
- Killer(1993年)米69位
- Jesus to a Child(1996年)英1位・米7位
- Fastlove(1996年)英1位・米8位
- Spinning the Wheel(1996年)英2位
- Older(1997年)英3位
- Star People '97(1997年)英2位
- You Have Been Loved(1997年)英2位
- Outside(1998年)英2位
- As(1999年、with メアリー・J・ブライジ)英4位
- If I Told You That(1999年、with ホイットニー・ヒューストン)英9位
- Freeek!(2002年)英7位
- Shoot the Dog(2002年)英12位
- Amazing(2004年)英4位
- Flawless (Go to the City)(2004年)英8位
- Round Here(2004年)英32位
- John and Elvis Are Dead(2005年)
- An Easier Affair(2005年)
- This Is Not Real Love(2006年)
- Heal the Pain (2008年、with ポール・マッカートニー)
- December Song (I Dreamed of Christmas) (2009年) 英14位
- True Faith (2011年) 英27位
- You and I (2011年)
- White Light (2012年) 英15位
- Let Her Down Easy (2014年) 英53位
ジョージには「ソロシンガーとして'80年代における全米No.1シングル数」(ワム!時代含む)8曲という記録があり、これはマイケル・ジャクソンの9曲に次いで2位である(フィル・コリンズと同順位)。
日本公演
脚注
注釈
- ^ 英語版
出典
- ^ a b “Ex-Wham! singer George Michael dies”. BBC. (2016年12月)
- ^ a b “ジョージ・マイケルさん死去 53歳、元「ワム!」”. 朝日新聞. (2016年12月26日8時23分) 2016年12月26日閲覧。
- ^ 「元ワム! ジョージ・マイケルさん死去 クリスマスの悲報 悼む声」(朝日新聞 2016年12月27日号・30面)
- ^ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
- ^ "George Michael: the superstar who doesn't take life too seriously". The Guardian. Retrieved 8 May 2014
- ^ Bruce Dessau (1989). "George Michael: the making of a superstar". p. 8. Sidgwick & Jackson
- ^ “元「ワム」のジョージ・マイケル、刑務所へ”. 読売新聞. (2010年9月15日). オリジナルの2010年9月16日時点におけるアーカイブ。 2010年9月15日閲覧。
関連項目
- 弁護士イーライのふしぎな日常 - 本人役で出演