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琴浦町立古布庄小学校

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琴浦町立古布庄小学校
過去の名称 矢下学校
長房学校
古長尋常小学校
古長尋常高等小学校
古布庄尋常高等小学校
古布庄国民学校
古布庄村立古布庄小学校
東伯町立古布庄小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 琴浦町
設立年月日 1873年6月28日
創立記念日 6月28日
閉校年月日 2014年3月31日
共学・別学 男女共学
分校 法万分校(1968年廃止)
三本杉分校(1985年廃止)
学期 3学期制
所在地 689-2332
鳥取県東伯郡琴浦町古長217番地
北緯35度25分38.9秒 東経133度39分57.8秒 / 北緯35.427472度 東経133.666056度 / 35.427472; 133.666056座標: 北緯35度25分38.9秒 東経133度39分57.8秒 / 北緯35.427472度 東経133.666056度 / 35.427472; 133.666056
外部リンク 公式サイト
プロジェクト:学校/小学校テンプレート
テンプレートを表示
三本杉分校跡
(現・三本杉ふるさと分校)

琴浦町立古布庄小学校(ことうらちょうりつ こうのしょうしょうがっこう)は、かつて鳥取県東伯郡琴浦町古長にあった公立小学校

概要

2014年4月に東伯小学校と統合し、2014年3月末を以って閉校された。

統合後の校名は聖郷(せいごう)小学校となり、現在の東伯小校舎を利用して開校した[1]

沿革

  • 1873年(明治6年)6月28日 - 矢下村円応寺本堂を借り受け開校し矢下学校と称する[2]
  • 1874年(明治7年)
    • 6月 - 三本杉支校を開設。
    • 10月20日 - 長房村に移転し、長房学校と改称。杉地村に杉地支校を開設。
  • 1881年(明治14年)3月1日 - 矢下村に矢下学校を置く。
  • 1882年(明治15年)4月1日 - 三本杉・杉地・矢下の3校をそれぞれ分校と改称。
  • 1887年(明治20年)4月 - 古長尋常小学校と改称、同時に古長簡易小学校を併置。矢下分校を廃止。
  • 1893年(明治26年) - 三本杉分校独立し三本杉尋常小学校と改称。
  • 1894年(明治27年) - 法万分校独立し法万尋常小学校と改称。
  • 1907年(明治40年)4月18日 - 高等科併置し、古長尋常高等小学校と改称。
  • 1916年(大正5年)10月27日 - 古布庄尋常高等小学校と改称。
  • 1922年(大正11年)6月30日 - 3校統合し、三本杉・法万の両校はそれぞれ分教場となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により古布庄国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により古布庄村立古布庄小学校と改称。
    • 4月29日 - 小学校の一部を校舎として古布庄中学校が開校。
  • 1950年(昭和25年)11月30日 - 古布庄中学校が聖郷中学校として統合し、古布庄教場となる。
  • 1951年(昭和26年)11月15日 - 聖郷中学校古布庄教場を廃止。
  • 1954年(昭和29年)2月1日 - 町村合併により東伯町発足に伴い東伯町立古布庄小学校と改称。
  • 1968年(昭和43年)3月31日 - 法万分校を廃止。
  • 1985年(昭和60年)3月31日 - 三本杉分校を廃止。
  • 2004年(平成16年)9月1日 - 東伯町と赤碕町が合併し、琴浦町発足に伴い琴浦町立古布庄小学校と改称。
  • 2014年(平成26年)3月31日 - 閉校。東伯小学校と統合、聖郷小学校が開校。

通学区域

  • 野井倉、中津原、三本杉、別宮、古長、矢下、八反田、宮場、法万(上法万)[3]

進学先中学校

交通アクセス

参考文献

  • 『東伯町誌』(東伯町役場・昭和43年発行)鳥取県立図書館郷土資料2012年10月20日閲覧

関連項目

脚注

  1. ^ 琴浦町小学校統合準備委員会”. 琴浦町. 2013年9月7日閲覧。
  2. ^ 『東伯町誌』及び公式サイト
  3. ^ Gacom教育情報サイト

外部リンク

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