代替滑走路
代替滑走路(だいたいかっそうろ)とは、戦争など緊急事態が発生し敵機の襲来などで軍の空港が破壊されて使えなくなったときに、軍用機の離着陸に使用する高速道路や民間の滑走路である。臨時滑走路やハイウェイストリップとも呼ぶ。
概要
代替滑走路は沖縄県の下地島空港のように、普段は民間パイロットの練習用にしか使わない滑走路を軍が臨時徴用して使用するケースが一般的であるが、緊急時は高速道路などの滑走路としての利用価値のある構造物を滑走路として利用することがあり、あらかじめ臨時滑走路として指定しておき地上の構造物を簡単に移動できるものと、事態が起きてから滑走路として整備するものの2通りがある。前者のパターンとしては、韓国の水原市などで見られるように通常より幅が広く長い直線の道路[1]を建設して緊急時の滑走路に転用できるようにするものもある。
各国の運用
レバノン
レバノン内戦においては、同空軍のベイルート基地(ベイルート国際空港=現:ラフィク・ハリリ国際空港内に併設)及びラヤク基地(ベッカー高原)が反政府勢力の包囲下にあったため、首都ベイルート郊外の都市・ジュニエに基地機能を移転させ、空軍機を同市を縦貫する高速道路を改造した仮滑走路から発進させた(ただし内戦中において、同空軍の活動は低調であった)。
内戦終結によって空軍基地が正常化したため、この仮滑走路は廃止された。
スウェーデン
スウェーデンでは代替滑走路をvägbasと呼んでいる。スウェーデンは冷戦期に中立政策を取っていたため、敵に先制攻撃を受けて基地の滑走路が破壊されても高速道路を滑走路として戦闘機を運用できるようになっていた[2]。しかし冷戦の終結に加え、高速道路への離着陸対応が、運用するSAAB機の価格を押し上げる要因となってきたことから、2004年にこの運用方式を廃止している[3]。
ドイツ
冷戦時にNATOでは、アウトバーンにおける離着陸訓練を演習時に頻繁に行っていた。旧西ドイツの代替滑走路は緊急離着陸場(ドイツ語:Notlandeplatz、略称:NLP)を正式名称としている。緊急離着陸場の区間は、通常コンクリートで舗装され誘導路や駐機場を兼ねる部分も同様である。指定区間の最寄には移動式管制所や移動式レーダーなど必要な器材が保管され、冷戦時代は約24時間以内に稼働できるように準備されていた。また、付近の地形や構造物の高さなどに規制がかかり、周辺の電線路は地下に埋設され、多くの鉄塔は上空への注意喚起のため赤と白のペンキで塗装されている。
オーストリア
オーストリアでは、アルプス山脈地域にある高速道路を利用した固定翼機の離着陸訓練を1986年以降は実施していない。多数の簡易滑走区間が整備され、道路の線形は極端なくらいまっすぐに設計されており、複雑なアルプスの山岳地帯において上空からの認識を容易にしている。1999年の雪害では救助用ヘリコプターの離着陸に利用される。
ポーランド
ポーランドでは滑走路に転用が可能な道路をDOL(Drogowy odcinek lotniskowy)と呼び、定期的に軍による演習が行われてきた。しかしポーランドのNATO加盟に伴い、運用は縮小傾向にある[3][4]。
路線 | 区間 | 位置 | 滑走長 | 備考 |
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シュチェチン東部 | 北緯53度25分、東経14度48分 | m |
チェコ
路線 | 区間 | 位置 | 滑走長 | 備考 |
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E462号線 | ヴィシュコフ付近 | 北緯49度17分、東経17度1分 | 約3,000m |
北朝鮮
北朝鮮においては非常滑走路として利用される道路のほか、常設基地であっても滑走路が道路兼用で、格納庫を地下に設置、附属施設を民家に偽装するなどの手法により一般の道路に見せかけている場合があり[5]、両者は区別しづらいものとなっている。
韓国
韓国において代替滑走路は非常滑走路(韓国語: 비상활주로)と呼ばれ、高速道路や国道に幅40m、長さ2km程度の直線区間と、これに連結する駐機場を設けたものである。主に1970年代、朴正煕政権期に整備され、米韓合同演習などの際に道路の前後区間を封鎖して空軍機の接近訓練や再発進訓練が実施されていたが[6]、1990年代後半以降は訓練頻度が減少している。2005年には高速道路上に設定されていた非常滑走路5箇所の非常滑走路指定が解除されたほか、所属する航空基地の滑走路増設によって非常滑走路指定が解除された事例もある。このように非常滑走路の役割が低下する一方で、高度制限により周辺の開発が制約されることから、存置されている非常滑走路についても指定解除を求める動きが高まっていた。しかし2010年、韓国空軍は今後、非常滑走路訓練を定期的に実施する、と発表した。
路線 | 区間 | 位置 | 方向 | 滑走長 | 備考 |
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水原非常滑走路 | 京畿道水原市勧善区 | 16/34 | |||
羅州非常滑走路 | 全羅南道羅州市山浦面 | 北緯35度02分、東経126度48分 | 09/27 | ||
栄州非常滑走路 | 慶尚北道栄州市安定面 | 北緯36度50分、東経128度48分 | 12/30 | 2,578m | |
竹辺非常滑走路 | 慶尚北道蔚珍郡竹辺面 | 北緯37度03分、東経129度24分 | 17/35 | 約2,700m | |
南旨非常滑走路 | 慶尚南道昌寧郡南旨邑 | 01/19 |
中国
中国における代替滑走路は、瀋大高速道路に設定されたものが最初とされる。1997年の『解放軍報』には、以後の高速道路整備においては軍用機の離着陸を考慮した計画とし、道路網の発達とともに軍の行動範囲の拡大を図る方針が示されている[7]。
台湾
台湾において代替滑走路は「戰備跑道」と呼ばれ、中山高速公路などの道路上の一部区間が中国の軍事侵攻によって空港が破壊されたことを想定し、代替滑走路に指定されている。台湾空軍は1978年、中山高速公路の供用開始前の区間を使用して離着陸訓練を行った後、しばらく高速道路を使った訓練を行っていなかった。しかし、その後に導入された機種の高速道路における運用可否を試すため、2004年7月に仁徳戦備跑道でミラージュ2000による離着陸訓練を実施した[8]。2004年以降は2007年5月(花壇)、2011年4月(麻豆)[9]と定期的に高速道路を利用した訓練を実施している。2011年11月には屏東県の一般道での訓練も実施、この年は2回の訓練が実施される異例の事態となった[10]。
名称 | 路線 | 区間 |
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員林戦備跑道 | 中山高速公路 | 彰化県 |
民雄戦備跑道 | 中山高速公路 | 嘉義県 |
麻豆戦備跑道 | 中山高速公路 | 台南市 |
仁徳戦備跑道 | 中山高速公路 | 台南市 |
佳冬戦備跑道 | 省道台1線 | 屏東県 |
日本
日本では、航空自衛隊が北海道の計根別飛行場と八雲飛行場を代替飛行場として運用している。
ギャラリー
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マン 630トラックに搭載された移動式管制所
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脱着可能なガードレール
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緊急離着陸場の境目、中央分離帯は固定部と可動部にわかれている
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上空から見たエプロン地区
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普段は自動車用パーキングエリアとして利用されるが、有事の際には航空機の駐機場となる
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道路上にて離陸態勢をとるA-10攻撃機
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着陸後、誘導車両に追及するC-130輸送機
脚注
- ^ 一例として水原空軍基地付近の道路
- ^ 防衛庁『日本の防衛』1980年、87ページ。
- ^ a b 江畑謙介「今週の軍事情報 高速道路を滑走路に使う台湾、やめるスウェーデン」『世界週報』2004/8/31号(第85巻第32号・通巻4160号)、時事通信社、38-39ページ。ISSN 0911-0003
- ^ 「POLISKA WLiOP――Polish Air Force and Air Defense」『航空ファン』2002年11月号(第51巻第11号・通巻599号)、文林堂、45-47ページ。
- ^ 金元奉・光藤修編著『最新朝鮮半島軍事情報の全貌――北朝鮮軍・韓国軍・在韓米軍のパワーバランス』講談社、2000年、92-93ページ。ISBN 4-06-210279-X。
- ^ 『最新朝鮮半島軍事情報の全貌』215ページ。
- ^ 平松茂雄「対中ODA「軍民共用」の実態」『東亜』2000年10月号(第400号)、霞山会、12-13ページ。
- ^ 飯田和郎「台湾軍機、高速道で演習――中国に対抗――ミラージュ離着陸」『毎日新聞』第46153号、2004年7月21日東京本社朝刊、4版、5面。
- ^ 佐伯浩之「台湾の高速道で戦闘機が離着陸――国防部が訓練」『西日本新聞』第45805号、2011年4月13日朝刊、19版、5面。
- ^ 佐伯浩之「戦闘機の離着陸 一般道路で訓練――台湾、中国の攻撃想定」『西日本新聞』第46017号、2011年11月18日朝刊、19版、5面。