女性宮家
女性宮家(じょせいみやけ)とは皇統に属する女性皇族が当主の宮家のことである[1]。
背景
大日本帝国憲法下の旧皇室典範及び日本国憲法施行に伴って制定された現皇室典範では、天皇家の当主である天皇は男性のみ認めており、女性天皇は認められていない。また、皇室典範は女性皇族が皇族以外の男子と結婚した場合は皇族ではなくなることが規定されているなど男系皇族を前提としており、結果として将来において女系皇族及び女系天皇を誕生する余地を無くしている。これらのこと等から宮家創設は男性皇族に限られており[2]、女性皇族が宮家を創設した例はない。
ただし現行の仕組みでも宮家当主である男性皇族の薨去後に宮家の中にいる女性皇族が宮家の当主格になることは可能である[1]。1984年(昭和59年)に高円宮家を創設した憲仁親王が2002年(平成14年)に薨去した後に久子親王妃が高円宮の当主格となっていることなど、民間出身の女性皇族が宮家の当主格であった例はあるが、「皇統に属する女性皇族が当主の宮家」と定義する女性宮家に該当しないとされる[1]。
これまで皇室の歴史上、皇統に属する女性皇族が当主となった宮家は江戸時代に桂宮を継承した淑子内親王(仁孝天皇の第三皇女)の一例だけである。桂宮家は、当主が亡くなって継承者がいなくなった為、中継ぎとして前当主の異母姉であった淑子内親王が当主となった。結婚相手であった閑院宮愛仁親王が結婚前に死去してしまい独身であった淑子内親王は桂宮を継承した後も、結婚することはなく、淑子内親王の死去により桂宮は断絶した。
議論
継承問題
戦後に1947年(昭和22年)10月の伏見宮系統の皇族が大量に皇籍離脱し、皇室に残った直宮家において1965年(昭和40年)の秋篠宮文仁親王誕生から2006年(平成18年)に悠仁親王が誕生するまで41年間は皇室に男子が誕生しなかったことから、皇統を継承できる若い男性皇族が不足しているという皇位継承問題が発生している。一方、未婚皇族女性は8人いるが、そのうちの6人は成人を迎えて結婚が想定される年齢になっており(最年長は1981年(昭和56年生まれ)の彬子女王)、女性皇族が結婚をすれば継承権を持つ宮家自体の数も減少する為、単なる一時的な男子不足だけでなく長期的に皇位継承を不安定化させる可能性が指摘されている。それに対し皇室典範を改正して女性皇族を当主とする宮家を新たに設け、その配偶者およびその女性宮家から生まれた女系子孫に皇族としての身分を認める事で継承権を与える提案がなされた。
前述のように男系皇族を前提とした現在の制度でも「女性皇族が宮家の当主格になること」は可能である為、女系天皇制に比べて実現可能性が高いと見なされている。しかしながら女性宮家創設は実質的に「女系皇族」を認めることを前提とした制度であり、女系天皇制度の実施に向けた地ならしとして、男系皇族を前提とした現在の皇室制度の根本的な転換になると見なす意見も多い[3][4][5]。従って皇室の伝統を尊重する立場からは女系天皇制と同じく、現行法での継承問題については旧皇族の皇籍復帰が提案される傾向にある。
公務負担問題
皇族減少については、皇位継承問題のみならず日々の皇族による公務にも悪影響が出ている事が指摘されている。現皇族に皇族減少による公務の集中が続いており、こうした点からも女性宮家の創設を主張する意見が出されている[6][7]。
関連項目
脚注
- ^ a b c 質問なるほドリ:「女性宮家」って何?=回答・大久保和夫 毎日新聞 2011年11月26日
- ^ 朝日新聞出版発行「知恵蔵2011」
- ^ 柏朋会会報誌掲載の(三笠宮寛仁親王)殿下のご発言
- ^ 「悠仁天皇と皇室典範」中川八洋著 清流出版
- ^ 旧宮家の「皇籍復帰」を考えよ 日本政策研究センター
- ^ 宮内庁が皇族減少の懸念伝える 政府も検討(11/11/25)ANN
- ^ 皇室典範に関する有識者会議(第6回)議事次第