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ノート:坂口尚

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これはこのページの過去の版です。Ginga2station (会話 | 投稿記録) による 2013年6月6日 (木) 08:31個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (作品リストについての復活の要望)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

単行本リスト

列記されていた作品名が単行本のタイトルであった為、作品リストを単行本リストとしました。 把握できている範囲で、出版されている単行本を年代順に列記しました。 --さとぴー1963 2007年10月11日 (木) 10:50 (UTC)[返信]

作品リストについての復活の要望

本記事にあった作品リストの復活を希望します。平成25年4月20日 (土) 09:39に自分が作品リストを追加したのですが、さとぴー1963さんに「坂口尚氏の小部屋の坂口尚作品年表をチクマ秀版社に提供したデータからの転載。しかも正確さに欠けている。」との理由で平成25年5月24日 (金) 02:56に削除されてしまいました。

さとぴー1963さんは坂口尚氏の小部屋の管理人とのことですが、ノートで議論なしに項目を全削除するのは乱暴なことと思います。

一応、その後利用者‐会話:さとぴー1963利用者‐会話:Dr jimmy利用者‐会話:山田晴通で意見を聞き、やはりここで議論が必要であるとの判断になりました。

皆さん、意見お願いいたします。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月26日 (日) 03:16 (UTC)[返信]

漫画家の項目に作品リストは必須と思われます。実物を調べていけば真実は一つしかなく、誰が調べても同じ結果になるでしょう。さとぴー1963氏の主張をそのまま受け入れれば、今後別の方が実物を調べてリストを作ったとしても、全て、さとぴー1963氏の著作権侵害ということになります。坂口尚という作家の真実を、さとぴー1963氏がその死後五十年後(下手したら22世紀)に至るまで一人で独占しても良いのでしょうか。どの雑誌に坂口尚の作品があるかないかは、誰でも確認できる単なる事実であって、著作権保護の対象ではありません。たとえ確認にどれほどの手間がかかろうともです。もし、表現法に著作権があるというなら、体裁、表現を変えて、事実だけ書き写せば良いでしょう。もちろん引用元としての表示は付けてです。坂口尚という作家の真実が、特定人に独占されたり、わかりにくくなったりするのは、ファンとして悲しく、寂しいことではありませんか。--Ginga2station会話2013年6月2日 (日) 05:06 (UTC)[返信]

例えば、「灯」雑誌メビウス掲載作品は1982年に含めるべきか1983年に含めるべきかといった問題があり、リスト作成者が事情を把握した上で独自に判断しリスト化していますので、独自性があるはずです。
また、返信しましたが、Wikipediaに年表が掲載されたとしても不正確なリストしか残らないのではないかとの考えからWikipediaへの転載はやめてほしいと考えています。
雑誌や、書籍が発表の媒体であれば誰かが手を加える事はありませんし、自分のサイトなら、意見があがったとしても、最終判断は自分で行う事が可能ですが、Wikipediaは誰でも編集に参加する事が可能です。
また、このノートにおける議論の過程で「国会図書館や、古書店で初出誌を確認する作業を行ない、ぜひご自身の手でリストを作成してください。 そのような確認作業をご自身で行いリストを作成する事をやめさせる権利は私にはありません」とすでに申し上げている通り、転載では無いリストを誰かが作成する事をやめさせる権利は私にはありません。
「誰が調べても同じ結果」になるかどうかは、何度も見解を述べていますが「誰が調べても同じ結果」にはならないという見解に現在も変わりありません。
他人が労力をかけて収集したデータの無断使用は民法709条の「不法行為」になるという見解もこのノートで出されていますので、そのあたりについてもご考慮いただく事はできませんでしょうか。
--さとぴー1963会話2013年6月2日 (日) 08:30 (UTC)[返信]

「事実だけ書き写せば良いでしょう。もちろん引用元としての表示は付けてです」について。 「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない」とあり、内容のほぼすべてを書き写す行為は「著作権法」における「紹介、参照、論評その他の目的で著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録すること」には該当しない筈です。 また、「坂口尚という作家の真実が」と書かれていますが、坂口尚に睡眠時間を削ってまで脚注をつけているのですが…。しかも、本文も、かなりの部分をひとりで書いてますし…。 --さとぴー1963会話2013年6月2日 (日) 09:09 (UTC)[返信]

さとぴー1963さん、あなたの主張(個人の趣味)は、「私(たち)が作成したリストは、私(たち)のものだ。他人には私(たち)の希望する方法以外では利用されたくない」程度で充分理解できます。それではそれを尊重することにしましょう。ですが、坂口尚の作品は、あなたのためだけに存在するのではありません。日本人の、人類の宝です。私は、それらを後世の人たちにも広く知っていただきたい。そのために、作品リストは手がかりになるものであり、作者本人の項目には必須です。ですが、さとぴー1963さんはそうしたお考えが皆無のようです。

坂口尚作品という人類の宝の普及を妨害しないでください。

もし坂口尚先生が健在でいらして、あなたの行動を知ったらどう思われるだろうか、と思うと非常に残念です。 よって提案です。さとぴー1963さんが関与していないリストを元にリストを復活させる。不十分、不正確な部分が残るのはやむを得ません。なお、私自身は坂口尚作品を全て実家に残してきてしまっております。今すぐの作業には協力できません。申し訳ありません。さとぴー1963さんが再三言及している一部の作品群については、私自身調査し、リストを作成し公表したいと思っています。--Ginga2station会話2013年6月3日 (月) 23:16 (UTC)[返信]

当初、(会話)において、「年表が必要なのであれば、(坂口尚氏の小部屋の)坂口尚作品年表にリンクしていただくだけでいいのではありませんか?」と意見を述べましたがその点についての見解もお聞きしたいと思います。
これが却下されたのは、「個人運営のサイトにリンクするべきではない」という主張があったからです。
しかし、著者の出版物に情報提供したサイトへのリンクは年表の出典として認められるものという見解がKs aka 98さんより出されました。
少なくとも、Ks aka 98さんの提案の通りになるのであれば、私のほうで作成した「年表」なのに「誰が作成したのかわからないまま転載」という問題は解消します。
この点についてはいかがですか?
あくまでも出典として使う場合はという意見でしたが。
出典として使うとは「作品年表」を掲載しその「出典」とした場合はという事です。
また、こちらで作成した作品年表について、もしかすると、まだご覧になっていないのでは?という気も致します。
議論の始まりは「坂口尚氏の小部屋の坂口尚作品年表の転載」という事からはじまっており、一度目を通した上で、それも判断材料として頂けるとありがたいのですが。
他でも述べましたが、なぜ「Wikipedia」に「年表」が無いと、「坂口尚作品という人類の宝の普及を妨害」になるのかです。
坂口尚作品年表は坂口尚氏の小部屋というホームページで現在も公開中で、誰でも閲覧可能な状態にしてありますし、出版社にもリストを提供しています。(無償でです)
誰でも編集できるWikipediaより、一人で管理できる状態で年表を作成したほうがより正確な「年表」が作成できると考えています。
したがって、リストが必要なら、坂口尚からリンクするだけでも十分だと考えています。
また、このノートですでに述べているとおり「坂口尚氏の小部屋をたたんでネット上から年表を消すとか、公式サイトが別途たちあがったとか、そんな時には、自分の作った年表を使ってもらって構わないと思って」います。
「坂口尚短編集」の1巻3巻4巻5巻、「月光シャワー SF 作品集」「 3月の風は3ノット」の出版編集に関わっており、これまで雑誌を探さなければ読むことができなかった単行本未収録作品を可能な限り収録しましたので、多くの方にとって謎であった、「坂口尚」作品について明らかにしてきたひとりだと自分で言うのもなんですが思っております。せめてその点だけはご理解いただけませんでしょうか。
「坂口尚作品年表」は、これらの単行本に「未収録作品」を収録する際の手がかりとなったものであり、ご指摘のあったような(個人の趣味)だけの問題ではありません。もちろん趣味の領域も含まれているでしょうが、坂口尚作品を出版する際の手がかりとなったものです。
坂口尚作品の登場人物は、少し変わった人たちと世間で言われる人々ではありませんでしたか?一休なんて、考えようによっては、はた迷惑な人物だと思いますが、私もまた必要であれば、多少風狂であっても、意見を述べる人でありたいと考えています。
可能であれば、「作品年表の件」の最後のほうの議論にも目を通して頂けませんか?
仮に「リスト」が掲載された場合の管理は結局は私がおこなう事になるような気がするのですが…そうではなく、誰かが編集、書き換えをした場合でもそれに対して責任をもって対処して頂けると解釈していいのでしょうか?
--さとぴー1963会話2013年6月4日 (火) 02:11 (UTC)[返信]
このノートでの議論の最中にも坂口尚に脚注を80箇所以上付け更新してきたという事も付け加えさせてください。私もまた坂口尚という作家の評価が高まる事を望んでいる一人である事に変わりありません。「私」なんて書くと「VERSION」での私と私たちの話や一休の私についての話もからんできそうですが…。そのあたり難しいですね。
--さとぴー1963会話2013年6月4日 (火) 02:37 (UTC)[返信]

私はそんなに難しいことは考えておりません。極めて単純な話です。他の漫画家の項目には、精粗はあるもののたいてい作品リストが掲載されています。なぜ坂口尚の項目にそれがないのでしょう。

あなたが常駐しているからです。

私はあなたの個人の趣味・主義・主張について、それを変更せよというつもりは毛頭ありません。とりあえず、礼儀上、あなたが柔軟な方かどうか確かめる記述をしてみましたが、残念ながら、柔軟ではなかったようです。「仮に「リスト」が掲載された場合の管理は結局は私がおこなう事になるような気がするのですが」なぜそうなるのでしょうか。私にはまったく理解できません。ここはあなたの個人的ページではありません。間違っていたら、別にあなたでなくても、気がついた方が訂正すれば良いだけのことです。あなたが大切にされているリストは私も拝見しました。労作であることは一目でわかります。ですが、Wikipediaの坂口尚の一部の項目について、自分のコントロール下に置かないと納得できないという主張は、社会的に容認されないでしょう。よって、はっきりと申し上げますが、私の提案は、あなたを一切排除した項目にしよう、ということになります。こんなことを申し上げねばならないことは、坂口尚先生に対しても、大変残念でなりません。--Ginga2station会話2013年6月4日 (火) 08:31 (UTC)[返信]

人格批判のようなものが入ってきますと議論の「内容」がどうなのかではなくなってくるように思いますがいかがですか?
それでは議論そのものが成立しえなくなります。
こちらとしては、言ってもいない事に対する批判、例えば「今後別の方が実物を調べてリストを作ったとしても、全て、さとぴー1963氏の著作権侵害ということになります。」という主張は私のほうからは一度も申し上げた事がありませんし、別な言い方をしますと、ほぼ言いがかりに近い内容で主張されているように感じられてなりません。ファンとの事でそのようなすれ違いとなる事が残念でなりませんが。
しかし、やはりWikipediaでリストが必要なら既に作成されているリストにリンクすれば良いのでは無いかという考えに変わりはありません。
「「仮に「リスト」が掲載された場合の管理は結局は私がおこなう事になるような気がするのですが」なぜそうなるのでしょうか。私にはまったく理解できません。」について。
これは、「そうではなく、誰かが編集、書き換えをした場合でもそれに対して責任をもって対処して頂けると解釈していいのでしょうか?」という質問となっています。リストを公表したあと、Wikipediaでは誰でも書き換え可能なので、結果的に誤った記述が書き込まれる可能性があるけれど、それを誰がチェックするのですか?誰かが責任を持ってやりますよと表明してくださるのであれば、こちらで作業する事はないでしょうが…という事です。
つまり、内容の正確さがだんだん書き換えられる可能性があるのに、そこに初出誌も含めた年表を掲載すると、不正確な情報になるからやめたほうがいいと考えているけれど、仮に載せた場合は、そのメンテナンスが必要になると思っているという事です。
単行本リストでも、正しい情報が書き換えられてしまい、私のほうで修正したという事もあります。
意味合いとしてはそういう事なのですが?いかがですか?
「Wikipediaの坂口尚の一部の項目について、自分のコントロール下に置かないと納得できないという主張は、社会的に容認されないでしょう。」通るか通らないかは別として、何らかの編集方針に賛成か、反対かといった意見を述べるためにノートという議論の場が存在している訳ですから、そこで意見を述べても問題は無いはずです。作品年表は私でなくても構わないから誰かが一人で管理したほうが正確なものが出来上がると考えていますし、Wikipediaにおいては、倉田わたる全著作リストへのリンクが示されているだけで、あとは単行本未収録作品のみの吾妻ひでおのような例もありえる筈だと思います。
--さとぴー1963会話2013年6月4日 (火) 09:07 (UTC)[返信]
コメント以前にも「雑誌の現物をソースにしてテューリンゲンの白い鷹さんが坂口尚作品年表を作成されるのではあればまったく問題ないと思います」とおっしゃってましたから、さとぴー1963さんが関与していないリストを元にリストを復活させることに、さとぴー1963さんは反対されてないと思いますよ。排除する必要はありませんし、ウィキペディアは戦場ではありませんから、Ginga2stationは表現を選んでいただけますか。--Ks aka 98会話2013年6月4日 (火) 09:13 (UTC)[返信]

「表現をえらんでいただきたい」との件、承知しました。なお、私がリスト作成しておりますので、「作品年表の件」を御覧ください。完成にはまだほど遠い状況ですが、よろしくお願いいたします。 さとぴー1963さん、「作品年表は私でなくても構わないから誰かが一人で管理したほうが正確なものが出来上がると考えています」Wikipediaの精神はそのようなものではないと考えます。--Ginga2station会話2013年6月5日 (水) 08:30 (UTC)[返信]

従って、作品年表のようなものを取り扱う場として、Wikipediaは適切では無いと考えているという事です。
正確さを期す事にこだわるのであれば、別な場所でやったほうがいいでしょうという事です。
しかし、下でも述べましたが、「年表」を掲載しても良いという見解もだしましたのでよろしければご覧ください。
--さとぴー1963会話2013年6月5日 (水) 09:32 (UTC)[返信]

「正確さを期す事にこだわるのであれば、別な場所でやったほうがいいでしょうという事です」Wikipediaの精神をご存知ないようです。正確かどうかは、利用者が判断することであり、特定の誰かが利用者に対して保障することはありません。さとぴー1963さんが、長年ファンとして蓄積してこられたデータへの自負から、そのようにおっしゃることも理解できないことはありません。しかしながら、Wikipediaという場においては「仮に「リスト」が掲載された場合の管理は結局は私がおこなう事になるような気がするのですが」などということは考えられないことなのです。それは良い悪いではなく、最初からそういう約束の場だということです。ですから、他の多くの漫画家の項目にはごく普通に作品リストがあり、それで何らの問題なく運用されています。まず他の項目を御覧ください。そして、この場がどういうところなのか、ということを理解していただけないでしょうか。私の文章に、私の苛立ちをお感じになられるとしたら、それは、このWikipediaという場を無視した主張をなさっているのではありませんか、ということがあります。--Ginga2station会話2013年6月6日 (木) 08:31 (UTC)[返信]

作品年表の件

坂口尚氏本人が作成した作品年表が存在していましたが、脱稿日と、掲載月の混在した不正確なものでした。また初出誌の情報が不足していましたので、雑誌を古書店で探し、雑誌形式のタイガーマスクや、巨人の星に短編作品が掲載されていた事などを足を使って確認してきました。 本によって初出の表記が異なっている為、雑誌の現物を集めて確認してきました。 ただ、転記するだけでできあがったものではありません。

そのような作業を経て、約10年かけて作成した作品年表をチクマ秀版社の特典冊子や月光シャワーに収録しました。 テューリンゲンの白い鷹さんが掲載したリストには、私が入力ミスした内容もそのまま掲載されていましたし、ぱふ1980年11月号と電飾の夜23:59発のリストの他は、チクマ秀版社の未発表作品集ならびに、すろををぷッ―坂口尚作品集、月光シャワーSF作品集に掲載されたものしか存在していないと思いますが、それらはファンサイト坂口尚氏の小部屋が執筆したものです。 遡れば、出典はファンサイト坂口尚氏の小部屋の坂口尚作品年表です。月光シャワーSF作品集の巻末をみていただければご確認頂けると思いますが、編集協力坂口尚氏の小部屋とクレジットされています。

坂口尚氏の小部屋で作成した年表は、ファンサイトが独自に調査して作成したもので、別な方が作成していれば、11月発売の1月号を前の年に入れるか、次の年に入れるかなどの編集方針によって、年表の記載方法が変わってくるでしょうし、絆(SFマンガ大全集 PART.4 別冊奇想天外NO.9)のように、別冊奇想天外NO.9なのか、SFマンガ大全集 PART.4なのかといった問題も出てくるのでは無いかと思います。

心情を書いても仕方が無いのかもしれませんが、時間をかけて作成してきた年表ですので、私としては、転載して欲しくありません。 吾妻ひでお著作リストに関しては、倉田わたるさんのサイトへのリンクが存在しているようですが、そのようなリンクすら認められないのであれば、誰が作成したのかすらわからない状態で転載されてしまう事になります。

引用は、出典の明記が必要で主と従の関係が逆転してはならいない筈です。 「本書の無断転載・複写・複製は著作権上禁じられています」と巻末に記載されている本の内容の一部を執筆した本人がその部分を転載するのはやめてくださいとお願いしているのですから、理解しては頂けないでしょうか。--さとぴー1963会話2013年5月26日 (日) 04:47 (UTC)[返信]

自分が坂口尚の記事の編集に初めて加わったのは平成25年3月22日 (金) 12:26からであり、それ以前のやり取りについては詳しくは知りませんが、一つ気になることとして、何故、坂口尚のファンサイトへのリンクが削除されたときに、消したユーザーのノート、又は本項目であるノート:坂口尚に問題を提起しなかったのかということです。
ファンサイトへのリンク自体は禁止ではありませんから、貴殿には反論の余地は十分あったのです。
ウィキペディア内で議論せず、ファンサイト内などで愚痴を言っても意味が無いでありましょう。
話し合いというものは同じ土俵に立って進めるものであり、言いたいことがあるならはっきり、そのユーザーに対して問いかけるべきであったと思います。
またウィキペディアの編集人が皆同じような意見しか持っていないという偏見を持つこともあまり好ましいとは思いません。
編集人においても10人いれば10人それぞれ違った考えがあるのです。
なお自分が作品リストを作った理由は、ぱふ1980年11月号に掲載された短編『おるごおおる』の記事を近い内に考えていたからであり、現時点では坂口尚の記事に『おるごおおる』のリンク先が存在しなかった為、短編ごとのリストの必要性を感じたということがあったからであります。
掲載誌の初出情報を載せないということに関しては了承しますが、作品名のリストは残すべきではないかと思います。(でなければ本のタイトルになっている短編作品以外は作ってもリンクが無いということにってしまいます。)
どうかご理解の程、宜しくお願いします。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月26日 (日) 05:50 (UTC)[返信]


坂口尚氏の小部屋へのリンクはDr jimmyさんによって、2度削除されました。元々は私が設置した外部リンクではありませんでしたが、今となっては、外部リンクの選び方に記載のある、「自分が運営にかかわっているサイトへのリンク行為」となるため、私のほうではどうする事もできないと判断いたしました。しかし、今回のように、自分が関わっているサイトへのリンクは設置できないけれど掲載されている内容が、一度出版物を通しているとはいえ、自分のサイトから転載されたものとなると、リンクが無いのは変な話なのではないかとそう考えたという事です。--さとぴー1963会話2013年5月26日 (日) 06:48 (UTC)[返信]

宣伝目的でもないし、自分は運営に関わっていないので、問題ないと判断し、ファンサイトへのリンクの復活させました。 これで話をスムーズに進められたら良いと思います。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月26日 (日) 07:10 (UTC)[返信]

宣伝目的でなく、自分が運営にかかわって無ければ問題がないというわけではありません。「一般的にリンクしてよい」に該当せず、「掲載すべきでない外部リンク」に該当するサイトへリンクすることはできません。--Dr.Jimmy会話2013年5月26日 (日) 07:20 (UTC)[返信]
(追記)テューリンゲンの白い鷹さんの求めに応じて、私と山田晴通さんが回答しておりますが、双方ともおおよそ、リストを復帰した上で正確に改善すべき、という方向性を示しています。そういったコメントを無視して、問題の根本的な解決にならない、小手先のごまかしのような手法を用いて解決をはかろうということに、非常に大きな違和感を覚えます。--Dr.Jimmy会話2013年5月26日 (日) 07:33 (UTC)[返信]

さとぴー1963さんは恐らく他の漫画家の記事において、例えば吾妻ひでおの外部リンク(全著作リスト(倉田わたる氏)不条理日記元ネタ一覧萩尾望都 の記事にある外部リンク萩尾望都作品目録(Cafe Blue)、萩尾望都研究室少女漫画ラボラトリー【図書の家】)はリンクが認められているのに、何故坂口尚の記事ではリンクがはれないのかという疑問を持っていることと思われます。自分自身、外部リンクについてのルールは漠然としておりません。その辺りも議論する余地はありそうです。

なお作品リストについての個人的見解としてはタイトルの羅列のみで初出に関しては載せないという方針でも構いません。それならば記載方法も問題無い筈です。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月26日 (日) 08:12 (UTC)[返信]

それぞれのノートで議論があったかどうかは確認していませんが、おそらく、リンクが認められているのではなく、誰も削除していないだけなのではないでしょうか。他にルール違反が行われている記事があるからといって、自分もルール違反をしてよいという主張は絶対に認められません。--Dr.Jimmy会話2013年5月26日 (日) 08:26 (UTC)[返信]

了解しました。では本題に戻って作品年表に絞って話を進めていきたいと思います。 自分の見解は上に示した通りです。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月26日 (日) 08:39 (UTC)[返信]

「ファンサイトへのリンク自体は禁止ではありませんから、貴殿には反論の余地は十分あったのです。」についてはご覧の通りです。結局のところ、情報を誰が作ったのかを明記しないまま出版物に掲載されたものだから転載していいという見解なのですか?それは引用の範囲内に該当するものなのですか?リストに著作権は無いという見解なのですか?--さとぴー1963会話2013年5月26日 (日) 09:25 (UTC)[返信]

以前の山田晴通さんとのやり取りで「一般的に、誰が書いても同じようなものにならざるを得ない記述は「作者の思想を表現したもの」ではなく、著作権侵害の前提となる著作性が成立しないという考えがあります。」とあるのでリスト自体には著作権は無いと見て良いでしょう。 また彼は「一般論は以上として、この記事の件について特に述べておくと、利用者‐会話:さとぴー1963さんは当該リストの除去の際、要約欄に「漫画作品リスト削除。坂口尚氏の小部屋の坂口尚作品年表をチクマ秀版社に提供したデータからの転載。しかも正確さに欠けている。」と記されています。利用者‐会話:さとぴー1963さんのお立場からすると、坂口の著作権を侵すのではないかという危惧とともに、このリストが「正確さに欠けている」のが問題なのでしょう。山田個人としては、本来であればリストを丸ごと記事から除去するのではなく、加筆などによって「正確」なものに改善していただくべきところであろうかと思います。」と発言しており、問題は無いと思われます。

また自分の提案である作品名だけの羅列の場合だと

    • ひょうたん屋のライスカレー
    • 風車
    • 白魔
    • わたぐも
    • 高田君の時計
    • 銀河飛行

といった感じになり、「誰が書いても同じようなものにならざるを得ない記述」になるでしょう。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月26日 (日) 10:06 (UTC)[返信]

だから、なぜそういう小手先のごまかしで解決をはかろうとするのか。全く理解できません。単なる作品名の羅列だけでは、それこそ何の役にも立たない、雑多な情報の無差別的羅列にしか過ぎません。作品リストを載せるなら、ちゃんとしたものを載せればいいではないですか。テューリンゲンの白い鷹さんも、転載ではなく、複数の出典をソースとして、自分でまとめたものだと、正々堂々と主張すればよろしいのです。さとぴー氏が元ネタを提供したと言っても、一般に出版された書籍等を、参考にして他者がデータをまとめることまで口出しできる訳がありません。作品リストを載せるなら、きちんとしたものを載せればよろしい。正確さに欠けるなら直していけばよろしい。以上です。--Dr.Jimmy会話2013年5月26日 (日) 10:28 (UTC)[返信]

それでは議論はここで終わりということで

  • ぱふ』1980年11月号(「特集 坂口尚」)P102-P104の作品リスト+年譜
  • 『電飾の夜23:59発』 (1983年) 東京三世社(マイコミックス)-巻末作品リスト(P184-p185)
  • 『月光シャワー-SF作品集- 』(2005年) チクマ秀版社-巻末作品リスト(P356-P357)

を参考に作成された作品リストを戻しても良いでしょうか。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月26日 (日) 11:05 (UTC)[返信]

議論には数名しか参加しておらず、議論が始まってからの日数もそれほど経過していません。
独自に調べるのであれば問題ないでしょうが、『月光シャワー-SF作品集- 』(2005年) チクマ秀版社-巻末作品リスト(P356-P357)の作成者は私で、転載して欲しくありませんと言っているのですから、もう少し意見が集まってからにして頂けないでしょうか?
チクマ秀版社のリストに頼らず独自にソースを発見されたという事であれば、それを出典とされる分には、こちらからは何も主張できる事はありませんが、実際には存在しないタイトルまで転記されていた為、坂口尚氏の小部屋の作品年表からの転載であり不本意ですと言っているのです。
--さとぴー1963会話2013年5月26日 (日) 11:24 (UTC)[返信]
テューリンゲンの白い鷹さんは「転載ではない」と言っています。たとえ元々はさとぴー1963さんが作成したものであったとしても、一度出版されたものを、参考にして新たなリストを作成することをやめさせる権利は、さとぴー1963さんにはありません。--Dr.Jimmy会話2013年5月26日 (日) 12:29 (UTC)[返信]

「編集人においても10人いれば10人それぞれ違った考えがあるのです。」という提起がテューリンゲンの白い鷹さんからありましたが、現在この件の議論に参加しているのは、記述された年表を削除した私とその復活を希望されているテューリンゲンの白い鷹さん、そのほかはDr.Jimmyさんだけです。 他の方の意見も、ぜひお伺いしたいのですが。 --さとぴー1963会話2013年5月26日 (日) 12:55 (UTC)[返信]

一応、山田晴通さんも、会話ページにて、間接的にご意見を述べられています。より多くの方の意見を聞くことの重要性は十分承知しており、それについては何ら異論はありませんが、既に参加している人の主張・反論に対して、きちんと反論なり説明なりをすることの方が大切だと思いますよ。--Dr.Jimmy会話2013年5月27日 (月) 04:09 (UTC)[返信]

追記させて頂きますと、「一般的に、誰が書いても同じようなものにならざるを得ない記述は「作者の思想を表現したもの」ではなく、著作権侵害の前提となる著作性が成立しないという考えがあります。」に関していえば、例えば、単行本の巻末の初出表記を拾い集めてそれを出典として採用したらどういうリストができあがるかです。この単行本にはこう書いてある、しかし、この単行本ではという問題につきあたるのではないかと思います。「石の花」の連載終了は、講談社漫画文庫「石の花」を出典とした場合、「コミックトム」1986年8月号となります。しかし、チクマ秀版社の年表では「コミックトム」1986年9月号となっています。「坂口尚短編集」の初出一覧は、編集者に内容を確認させて下さいとお願いをしましたが、大丈夫だからと言われ、存在しない雑誌名が記載されてしまい、この件では1刷と2刷で初出の表記が異なっています。 誰が作っても同じ結果になるものでは無いと考えます。 未発表作品の初出をどの年に含めるのか?といった問題も出てくる筈です。 「絆(SFマンガ大全集 PART.4 別冊奇想天外NO.9)のように、別冊奇想天外NO.9なのか、SFマンガ大全集 PART.4なのかといった問題も出てくるのでは無いか」と書きましたが、このあたりもリストによってどちらを採用するのか編纂者によって解釈が異なっています。--さとぴー1963会話

それは簡単な話で、もし間違った記載がなされていても初出の雑誌が確認出来れば、その雑誌そのものを出典にすればよろしいのです。貴殿は恐らく現物の雑誌を持っているのではないですか。それなら修正はすぐできると思いますよ。
また持っていなくとも初出情報が気になるのであれば国立国会図書館等を用いて、確認し修正することが可能であります。「リストによってどちらを採用するのか編纂者によって解釈が異な」り、貴方がどうしても正確な情報を載せないと気が済まないというなら初出の雑誌を確認するのがベストです。
ただ、現時点では間違った記述がなされていても、手元の資料がそうなっているのなら、載せることは可能であり、誰も問題としないのなら間違った表記のまま放置されることもあるということです。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月27日 (月) 11:20 (UTC)[返信]

検証可能性には、ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」ですとあります。 つまり雑誌の現物がなければ、検証可能なものがあれば間違っていても良いという事なんでしょうね。 雑誌の現物をソースにしてテューリンゲンの白い鷹さんが坂口尚作品年表を作成されるのではあればまったく問題ないと思います。 したがって、編纂者なりの考え方の入ったチクマ秀版社の作品リストを書き写さないでくださいというお願いとなっています。 「それは簡単な話で、もし間違った記載がなされていても初出の雑誌が確認出来れば、その雑誌そのものを出典にすればよろしいのです。貴殿は恐らく現物の雑誌を持っているのではないですか。それなら修正はすぐできると思いますよ。」と書かれていますが、そのために、10年の歳月が必要だった年表なので誰が作ったのかわからない状態のまま書き写さないでくださいとお願いしているのです。 倉田わたるさんの場合は、全著作リストにリンクがあるので、出典がどこなのかがわかるのに?という事も含めて、問題だと思っているという事です。

話としては簡単でも雑誌を収集、あるいは図書館で確認する事が簡単なのかどうか、掲載誌にもよりますがかなりの労力が必要であるという事をご理解いただけないでしょうか。

また、雑誌の初出誌を確認すれば良いについては、私が持っていると記載すれば、書き換える事ができる訳で、どうやって検証するのか。その場合は、脚注に初出誌について詳しく記載するのか?年表に記載されている作品の数だけ脚注を付けるのか?という通常はまずやらないような検証作業が必要になりはしませんか? 雑誌メビウスは、現物を確認してみたところ、既存のリストには奥付の日付が掲載れており、表紙には別な月が記載されていました。 どちらをリストとしてまとめるべきかを編纂者が判断する必要がありましたので、このようなケースでは編集著作権が発生しているものと考えますがいかがでしょうか。--さとぴー1963会話2013年5月27日 (月) 13:21 (UTC)[返信]

言いそびれましたが実は倉田わたるさんも貴方と同じように出版社に情報提供は行っているのですよ。『文藝別冊 吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』 河出書房新社、2011年。ISBN 978-4309977492にリスト完全版が載っております。
また雑誌を初出とする場合は今までの例を見る限り別冊少年チャンピオン#脚注の『別冊少年チャンピオン』2012年7月号、686頁(表4)、や水城せとな#出典「もっと!」2012年Eleganceイブ増刊夏号(秋田書店)p263水城せとな1万字インタビューよりといった方法が取られます。
最後に貴殿のおっしゃる「通常はまずやらないような検証作業」を行っている記事もありますので参考までに紹介しておきます。萩尾望都#脚注の「『週刊マーガレット』1976年8月15日号からの引用や『ユリイカ』(青土社)1981年7月臨時増刊号からの引用等を参照のこと。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月27日 (月) 13:44 (UTC)[返信]

追記)吾妻ひでお#単行本リストの項目は『文藝別冊 吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』 河出書房新社、2011年。の作品リストに大部分が被っている訳で「本書の無断転載・複写・複製は著作権上禁じられています」と巻末に記載されているものに違反していることになります。しかしノート:吾妻ひでおにおいて一度も問題にされておりません。また萩尾望都#著作も参考文献に『『文藝別冊〔総特集〕萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母』(河出書房新社 2010年)文藝別冊〔総特集〕萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母』(河出書房新社 2010年)が挙がっており、リストを引用している可能性大です。しかし、こちらのノート:萩尾望都においてもそのような議論は一度たりとも行われたことがないのです。他にも大御所漫画家の記事には完全版リスト付きのものが多いですが問題になっているとは思いません。参考として赤塚不二夫#作品リスト寺田ヒロオ#主な作品等をご覧ください。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月27日 (月) 14:14 (UTC)[返信]

何度も言いますが、「他にもあるから」というのは、根拠にはなりません。--Dr.Jimmy会話2013年5月27日 (月) 14:21 (UTC)[返信]

リストの件ですが各単行本には、たいてい巻末に掲載誌情報が書いてあります。未収録作品は別にしても単行本に収録されている短編等であれば、記載することは可能なことと思います。まあ単行本未収録作品は載せないという形にはなるかもしれませんが…。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月27日 (月) 14:29 (UTC)[返信]

わかりにくかったかもしれませんので、補足しておきますと、他の記事で掲載しているから、この記事でも掲載してもいいのではないか、というのは、根拠にはならない、ということです。--Dr.Jimmy会話2013年5月27日 (月) 14:33 (UTC)[返信]

倉田わたるさんの作成したリストが出版物に何度か掲載されているのは知っています。そして、吾妻ひでおのリストといえば倉田わたるさんが作ったものと吾妻ひでおさん本人の発言などからも広く知られている事と思います。 今回の件での一番の懸念は、Wikipediaのリストを見た人が元のデータは坂口尚氏の小部屋が作成したものだと思うだろうか?という事です。 つまり、坂口尚氏の小部屋のほうがWikipediaのコンテンツを勝手に利用していると思われかねないという事です。 「通常はまずやらないような検証作業」も辞さないという事であれば、国会図書館や、古書店で初出誌を確認する作業を行ない、ぜひご自身の手でリストを作成してください。 そのような確認作業をご自身で行いリストを作成する事をやめさせる権利は私にはありません。 著作権法は親告罪なので著作権者がべつに構わないと思えば問題ないという事なのではありませんか?著作権者が訴えれば親告罪として告訴される可能性もありうるという事だと思います。--さとぴー1963会話2013年5月27日 (月) 15:05 (UTC)[返信]

そこまで言うなら私はこの件から引きましょう。元々私のやりたかった作業は各短編を独立させた際のリンク先の作成でありました。 もともと議論もここまで長くなるものとは思いませんでしたし、さとぴー1963がご自身で何十年も調べた資料だということは理解しました。 もし、自分に時間が出来たら、「通常はまずやらないような検証作業」を行い、それからリスト作成をすることに致します。 これにて私としては身を引かせて頂きます。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月27日 (月) 15:38 (UTC)[返信]

リストの掲載を望んでいたテューリンゲンの白い鷹さんが主張を取り下げるなら、別にリストは掲載しなくても良いとは思いますが、一つだけ。さとぴー1963さんの主張する、自分が提供した情報を使うな、原書を確認して自分で一から作成しろ、などというのは、目に余る横暴にして、一次資料より二次資料を用いるべきというWikipediaの方針にも反します。自分が作ったリストであることを認めて欲しいというお気持ちは心情的にはわかりますが、それをWikipediaに持ち込むのはナンセンスであり、そのような主張は理に適っているとは到底思えません。勿論、書誌からの丸写しはダメです。しかし出典として上で挙げられている3つの書誌を参考にしてリストを作成することまで、制止する権利があるとは思えません。
次にテューリンゲンの白い鷹さん。私は貴殿からの説明、つまり3つの資料を「参考に作成した」(丸写しではない)ということを前提にお話ししています。これに間違いはありませんか? 本記事については山田晴通さんからWikipedia:削除依頼/坂口尚が提出されており、「作品リストが丸ごと転記されている」と書かれています。丸写しではなく、参考にして自分が作成したというのであれば、きちんと説明されることを要望します。--Dr.Jimmy会話2013年5月28日 (火) 07:00 (UTC)[返信]
三冊の文献を用いたのは確かです。その為、ところどころごちゃ混ぜになっていた部分がありました。
ですが私としてはもうリストの掲載を行うのは断念します。
話し合いが過熱して、膠着状態が続くのでは、ストレスになってしまいます。
もう終わったこととして、私はこの場から立ち去ることにします。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月28日 (火) 07:48 (UTC)[返信]
このページでの議論から離れられることについては特に何も言うことはありませんが、Wikipedia:削除依頼/坂口尚では、あなたが書いたリストが、「丸ごと転記なのか、そうでないのか」をきちんと説明する義務があると思います。もし「丸ごと転記」であれば、著作権侵害の可能性もあり、削除依頼に従って、あなたが行った編集を履歴からも削除をしなければなりません。あなたの意見によって、その後の削除依頼での議論の方向性も変わってくるかもしれません。自分で蒔いた種は、最後まで責任を持って対応してください。--Dr.Jimmy会話2013年5月28日 (火) 08:04 (UTC)[返信]
  • ぱふ』1980年11月号(「特集 坂口尚」)P102-P104の作品リスト+年譜
  • 『電飾の夜23:59発』 (1983年) 東京三世社(マイコミックス)-巻末作品リスト(P184-p185)
  • 『月光シャワー-SF作品集- 』(2005年) チクマ秀版社-巻末作品リスト(P356-P357)

の3つを参考にすれば良いという点について。

ぱふ』1980年11月号には、1969年から1980年までのリストしか掲載されていません。また、「ぱふ」では「青びょうたん」は1970年「COM」5月号となっています。 「電飾の夜23:59発」のリストでも「青びょうたん」1970年「COM」となっています。 しかし、1970年「COM」5月号が初出誌であるという情報は、坂口尚氏の小部屋のリストではそれを誤記として取り扱っています。

坂口尚氏の小部屋で作成した年表を元に執筆したチクマ秀版社のリストでは、「青びょうたん」は、「ぼくらマガジンコミックス タイガーマスク5」です。 現在削除申請がだされているリストの記述は、青びょうたん(『ぼくらマガジンコミックス』タイガーマスク5)です。

「電飾の夜23:59発」のリストには、初出誌が何月号だったのか、あるいは何号だったのかについての記載がありません。 また、年表は1969年から1983年までのものです。

チクマ秀版社のリストは1969年から1995年までの全作品をリスト化したものですが、それ以前に出版された書籍、雑誌に記載された作品年表とは異なった内容となっています。--さとぴー1963会話2013年5月28日 (火) 08:38 (UTC)[返信]

何をおっしゃりたいのかよくわかりません。3誌それぞれ、不足する情報や誤りがあれば、それを補ってリストを作成すればよろしいことで、何の問題もないと思いますが。「坂口尚氏の小部屋で作成した年表を元に執筆したチクマ秀版社のリスト」のデータは使うな、というのであれば、それは暴論です。--Dr.Jimmy会話2013年5月28日 (火) 09:26 (UTC)[返信]

すなわち、チクマ秀版社のリストを「丸ごと転記」しているに該当するという事です。 3つの出典を元にしたといいながらも、2つの出典のうち一つは1980年までしか記載が無く、もうひとつは1983年までです。 1983年までであれば、私の関与していない作品年表が存在している事になりますが、「帰ってきたウルトラマン(『小学五年生』1971年4月号 - 1971年6月号)原案:円谷プロダクション」なども含め、1984年以前の年表についても、チクマ秀版社の年表からのものであり、つまるところ、削除依頼が出ている漫画リストは、「丸ごと転記」されたリストだという事です。--さとぴー1963会話2013年5月28日 (火) 10:03 (UTC)[返信]

テューリンゲンの白い鷹氏は3誌を参考にしたと言っていましたが、そうではなくチクマ秀版社のリストのみを、丸ごとコピーした、ということでしょうか。それでしたら、前提が覆りますので、転載は不可、ということになります。が、私は、「チクマ秀版社のリスト」を持っていませんので、実際にどの程度丸写しなのか、判断のしようが無く、またどちらの言うことを信用してよいのかもわかりません。テューリンゲンの白い鷹さん、責任を持って説明を願います。
念のため申しておきますが、今回の件に限らず、1誌の丸写しはNGだが、複数の出典を参考にしてリストを作成することを妨げることはできません。これだけは確認しておきます。--Dr.Jimmy会話2013年5月28日 (火) 10:18 (UTC)[返信]
例えば自分の書いたもの→** SERIES 霧の中(『COM』1969年9月号 - 1970年2月号)※デビュー作
「チクマ秀版社のリスト」→
1969
SERIES 霧の中[連載]
1おさらばしろ!
2反転
3しわ
4神との賭

のようになっています。

また、『12色物語』等、何年かにわたり掲載されたものは1980年、1981年と各話毎詳しく、別々に掲載されておりますが自分の作成したものでは、** シリーズ 12色物語(『コミックトム』1980年5月号 - 1982年5月号)という形になり、一纏めになっております。(各話のタイトルも省略)
他にトム・ソーヤの冒険の原作者表記はチクマ秀版社のリストには無く、自分の描いたものは表記あり** トム・ソーヤーの冒険(描き下ろし)原作:マーク・トウェイン、抵抗の詩もチクマ秀版社のリストには原案がありませんが自分の物には KRVAVA BAJKA 抵抗の詩(『まんが王』1970年8月号 - 1970年9月号)原案:ユーゴスラビア映画『抵抗の詩』という記載がありました。
よって丸ごとコピーには当たらないと思います。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月28日 (火) 10:55 (UTC)[返信]
じゃあ、なぜ利用者‐会話:さとぴー1963#今回の件では、丸写しを認めるような謝罪をするの? 一体、どちらが本当なのですか? 責任をもって、きちんと説明してください。--Dr.Jimmy会話2013年5月28日 (火) 10:58 (UTC)[返信]
今手元にて確認した限りでは丸写しではないと判断します。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月28日 (火) 11:12 (UTC)[返信]

こんにちは。ええと。「丸ごと転記」の意味が、それぞれに食い違っているように思えるのですが、それも実はあまり関係ないような。

リストの場合で、削除依頼の差分にあるような要素を扱っているのだとすると、編集著作権は生じていないけれど、チクマ秀版社-巻末作品リストなりファンサイトさんなりに(丸写しではなくとも)強く依拠しているのであれば、フリーライドってことで不法行為は成り立つかもです。

で、ここでさとぴー1963さんから問題視されているのは、著作権侵害ではなく、剽窃になってしまっているということですよね。「漫画作品リスト」の情報源として、『ぱふ』の「特集 坂口尚」、『電飾の夜23:59発』、『月光シャワー-SF作品集- 』を挙げるということにすれば、さとぴー1963さんも、矛を収めて頂けると思うのですが、いかがでしょうか。そうすれば、誰が作ったのかわからない状態のまま書き写すという事態を回避できます。ウィキペディアの側から見ても、検証可能性を満たすために、リストを掲載するのであれば、これらを示すことは必要です。

Wikipedia:外部リンクの選び方が適用される外部リンクとは、記事の内容を補うために記事本文で引用される情報源へのリンクのことではなく、リンクしようとしているウェブサイトやページがいまだ記事本文中で出典として挙げられていない場合は、外部リンクとしてではなく、記事の出典として引用することを考えることが求められています。外部リンクとしてではなく、情報源として「坂口尚氏の小部屋」へのリンクを示すことは可能ですし、個人的には「一般的にリンクしてよい」の3.や「考慮に値する」外部リンクとして排除するべきとも思いません。初出誌の写真などがあり、もともとの情報源を駆使して書かれているものだということがわかりますから、上記3点の情報源に加えて示すことは可能だと思います。--Ks aka 98会話2013年5月28日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

「どの程度丸写しなのか」ですが、私の関与していない残り2つの出典では、1980年までしか初出誌を確認する事ができない筈です。「電飾の夜23:59発」のリストは1983年以後の情報がなく、初出誌の記述は雑誌名の号数を省略したものです。
Ks aka 98さんが指摘されているように、フリーライド、タダ乗りされた上、坂口尚氏の小部屋のほうがWikipediaから情報を転載していると誤認されかねないという懸念を持っています。
従って、削除依頼の出ている過去の版の削除を望みます。
「1誌の丸写しはNGだが、複数の出典を参考にしてリストを作成」であれば問題ないとの事ですが、少なくとも、1983年以後は「1誌の丸写し」であり、それ以前の作品についても、坂口尚氏の小部屋が作成し、チクマ秀版社のリストのみが採用している初出誌の名称が使われています。「COMコミックス」か「COMコミック」か等。
こちらとしましては「丸ごと転記」という見解となります。--さとぴー1963会話2013年5月28日 (火) 14:07 (UTC)[返信]
転載かどうかの議論は、これ以降はここではなくWikipedia:削除依頼/坂口尚でお願いします。作品リストについては、掲載を希望していたテューリンゲンの白い鷹さんが、既に取り下げているため、これ以上議論する必要はないでしょう。--Dr.Jimmy会話2013年5月28日 (火) 14:15 (UTC)[返信]
さとぴー1963さん、返答ありがとうございます。
削除依頼の出ている過去の版の削除をし、情報源として、『ぱふ』の「特集 坂口尚」、『電飾の夜23:59発』、『月光シャワー-SF作品集- 』および「坂口尚氏の小部屋」を挙げて、「漫画作品リスト」を掲載するということについてはいかがでしょうか。
ぼくは、さとぴー1963さんの危惧を取り払うことができれば、記事として掲載したほうがよいと考えています。正確さに欠けているとされていた部分については、資料などを参照しつつ、さとぴー1963さん、テューリンゲンの白い鷹さんで加筆や修正をしていただければ幸いです。
「どの程度丸写しなのか」のほうは、いったん脇におかせてください。「1誌の丸写しはNGだが、複数の出典を参考にしてリストを作成」であれば問題ないとも限らない、ということは承知しています。転載かどうか、著作権侵害かどうかということを云々するよりも、さとぴー1963さんが納得した上で、記事を発展させるのが好ましいと考えます。--Ks aka 98会話2013年5月28日 (火) 14:29 (UTC)[返信]
Ks aka 98さんの方法にファンブログ管理人のさとぴー1963さんが了承するのでしたら、その案に自分も乗っかって記事発展のお手伝いをしたいと思います。--テューリンゲンの白い鷹会話2013年5月28日 (火) 15:03 (UTC)[返信]
テューリンゲンの白い鷹さん、意見を替えすぎです。一日のうちに二転三転にその都度振り回されるのは正直言ってもう懲り懲り。
作品リストを掲載することに賛成も反対もいたしませんが、掲載するのであれば、出典(情報源)としては『ぱふ』『電飾の夜23:59発』『月光シャワー-SF作品集- 』の3つで十分でしょう。掲載の妥当性に疑義のある個人サイトを掲載するのは反対。『月光シャワー』には坂口尚氏の小部屋とクレジットされているので十分でしょう。--Dr.Jimmy会話2013年5月28日 (火) 15:17 (UTC)[返信]

作品年表の初出誌をどのように表記するのかが編纂者によって異なっていたり、リストによっては雑誌の現物と違っていたりといった問題があります。 出典元の他の2誌の表記を採用するのか、チクマ秀版社の表記を採用するのかといった問題もそうですが、それを検証するにはリスト間で食い違っている内容のどちらが正しいのかを初出誌を出典として、脚注を付けなければならなくなり、さらに誰でも編集できるWikipediaにおいては、手元のリストではこうだからといった加筆がいつ行われるかわからず、坂口尚で年表が書き換えられた場合、毎回自分のリストと照合する作業が必要になるのでは?という懸念があります。 リストの量からして、それを常に確認するのは、印刷物にすれば2ページに収まる量とはいえ、結構大変な作業です。 今回、掲載されたリストを確認する際にもそれなりの時間が必要となりました。

また、坂口尚氏の小部屋が坂口尚作品の出版に関わっていた時期はともかく、現在はアクセス数が衰退の一途で、坂口尚作品年表ぐらいは時間をかけて作成したものなので、ファンサイトで参照していただきたいという事です。 また出典元として、ファンサイトへリンクするという提案がありましたが、これまでの議論で幾度となく、それは認められないという意見が出ており、それを認めてもらうためには、これまで以上に時間をさいてここで議論をする事となると思います。そのような議論をへてファンサイトへのリンクが一度設置されても過去の事例のように削除される可能性のほうが高いのではないかと考えます。--さとぴー1963会話2013年5月28日 (火) 15:47 (UTC)[返信]

自分が元ネタを提供したのだから使用しないでほしいとか、使用するなら代わりに自分の運営するサイトにリンクを貼ってほしいとか、そのような要求は単なるエゴにしか私には思えません。そのような暴論を認めて悪しき前例を作るべきではありません。--Dr.Jimmy会話2013年5月29日 (水) 01:27 (UTC)[返信]
情報を用いた場合にその情報源を示すことはウィキペディアでも、いわゆる学術論文の世界でも当然に求められることであって、エゴではありませんよ。それは暴言です。--Ks aka 98会話2013年5月29日 (水) 05:04 (UTC)[返信]
情報源を示すことを求めることは結構ですが、それだけではなく自分に運営する個人サイトへ誘導しようとか、過去に公表したデータを使わせないとか、そういうことを含めてエゴだと言っています。出典の一つである『月光シャワー-SF作品集- 』には坂口尚氏の小部屋とクレジットされているとのことなので、情報源は示されることになりますが、まあそれだと出典実物を見ないとわからないので、本記事の出典の記載に「『月光シャワー-SF作品集- 』(2005年) チクマ秀版社-巻末作品リスト(編集協力:坂口尚氏の小部屋)」と加えるのが、落とし所でしょうか。--Dr.Jimmy会話2013年5月29日 (水) 12:35 (UTC)[返信]
ただ単に自分に運営する個人サイトへ誘導しようされているのではないですし、過去に公表したデータとはいえ権利侵害や剽窃の形で使うことを認めなければならないなんてことはありませんよ。--Ks aka 98会話2013年5月29日 (水) 14:14 (UTC)[返信]
これまでにも言ってきたつもりですが、「権利侵害にならない範囲で」使うことを前提としています。剽窃に該当するのかどうかについては判断できかねますし、転載にあたるかどうかはWikipedia:削除依頼/坂口尚での議論に委ねます。「権利侵害や剽窃」ではない形でデータを使ってリストを作成するようなことはできないのでしょうか。それが無理ならリストの掲載は諦めるよりほかないでしょう。--Dr.Jimmy会話2013年5月30日 (木) 05:51 (UTC)[返信]
Dr.Jimmyさん宛てです。
そもそも、「「漫画作品リスト」の情報源として、『ぱふ』の「特集 坂口尚」、『電飾の夜23:59発』、『月光シャワー-SF作品集- 』を挙げるということにすれば、さとぴー1963さんも、矛を収めて頂けると思うのですが、いかがでしょうか」、また、「削除依頼の出ている過去の版の削除をし、情報源として、『ぱふ』の「特集 坂口尚」、『電飾の夜23:59発』、『月光シャワー-SF作品集- 』および「坂口尚氏の小部屋」を挙げて、「漫画作品リスト」を掲載するということについてはいかがでしょうか」、というぼくの問いかけに対する、5月28日 (火) 15:47 (UTC)のさとぴー1963さんのコメントには、自分が元ネタを提供したのだから使用しないでほしいとか、使用するなら代わりに自分の運営するサイトにリンクを貼ってほしいとか、そのような要求は書かれていません。書かれているのは、結構大変な作業が懸念される、「坂口尚作品年表ぐらいは時間をかけて作成したものなので、ファンサイトで参照していただきたい」、「出典元として、ファンサイトへリンクするという提案がありましたが、これまでの議論で幾度となく、それは認められないという意見が出ており、それを認めてもらうためには、これまで以上に時間をさいてここで議論をする事となると思います。そのような議論をへてファンサイトへのリンクが一度設置されても過去の事例のように削除される可能性のほうが高いのではないかと考え」る、の3点です。
テューリンゲンの白い鷹さんの投稿では、チクマ秀版社が情報源であることも書かれていなかった[1]。この版は、剽窃であり、チクマ秀版社のリストにも協力している原作成者が文句を言うのは当然です。既存のリストなどに強く依拠しているにもかかわらず、情報源を示すことなしに成果冒用すれば権利侵害なり剽窃なりになりますよ。チクマ秀版社に依拠し、「坂口尚氏の小部屋」には依拠していないなら、チクマ秀版社が情報源であることを示せばそれで足ります。「坂口尚氏の小部屋」を参考にしたなら、情報源として示さなければなりません。誰が作成したのかすらわからない状態で転載されてしまう事になるのを避け、作成者が誰かわかるようには、リンクでもいい。さとぴー1963さんは「作品年表の件」として、「そのようなリンクすら認められない」5月26日 (日) 04:47 (UTC)と書いています。
「これまでの議論で幾度となく、それは認められないという意見が出ており」とありましたが、「外部リンクの選び方」を根拠とした除去は、作品年表を掲載し、その出典となる外部サイトとして用いられている場合には通用しません。Wikipedia:外部リンクの選び方が適用される外部リンクとは、記事の内容を補うために記事本文で引用される情報源へのリンクのことではなく、リンクしようとしているウェブサイトやページがいまだ記事本文中で出典として挙げられていない場合は、外部リンクとしてではなく、記事の出典として引用することを考えることが求められています。
また、自費出版請負的な出版社でもなく[2]、著者も関わった書籍に、情報を提供し、掲載され、「編集協力坂口尚氏の小部屋とクレジットされ」ているのですよね。リストを書籍に掲載するかどうか、その内容についての信頼性については、出版社という第三者による評価を通しています。ぼくは、信頼性を疑う必要があるとは思いませんし、ウィキペディアの方針やガイドラインからこの判断を覆すものはないと思います。
テューリンゲンの白い鷹さんが、断じて「坂口尚氏の小部屋」を参考にしていないのだからリンクを貼るつもりがないと主張されるとか、『月光シャワー-SF作品集- 』にはクレジットがあるが、編集者らの寄与が大きいなどの理由で「坂口尚氏の小部屋」は、読者の利便性を考えても、『月光シャワー-SF作品集- 』の代替物にはなりえないとおっしゃるのならば、話は別ですが、情報源としてリンクする分には妥当性に疑義を挟む余地はありません。版元もなくなっているのですし、情報も更新されているのですから、読者にとって有益な参照先です。--Ks aka 98会話2013年6月2日 (日) 12:16 (UTC)[返信]
5月28日 (火) 15:47 (UTC)のコメントには直接書いていなかったとしても、それまで、及びその後のさとぴー1963さんの発言を鑑みれば、それほどの違いはないと思います。
テューリンゲンの白い鷹さんの投稿に出典が書かれていないのは確かで、それについては削除依頼の方で審議していただく話で、チクマ秀版社他を出典として挙げる云々は、リストを復活させるならばの話です。Ks aka 98さんのご説明のおかげで、まあ「坂口尚氏の小部屋」を出典として使用することまでであれば、理解できるところもあります。でもさとぴー1963さんはそこではないような気もしなくはありません。
Ks aka 98さんが、さとぴー1963さんと、テューリンゲンの白い鷹さん(と私? Ginga2stationさんもかな)の間に立って、中立的な立場で議論に参加していただいていますので、私としては少し状況を注視させていただいているところです。Ks aka 98さんがいれば、変な方向にはいかないだろうと思っていますが、もしどうしても発言する必要性を感じたら、その時はまた意見を表明させていただきたいと思います。--Dr.Jimmy会話2013年6月5日 (水) 06:37 (UTC)[返信]
今でも「坂口尚作品年表ぐらはファンサイトで見て欲しい」「私ではなくてもいいから誰か一人が管理しないと、作品年表の正確さを期する事は難しい」と考えています。しかし、「坂口尚作品という人類の宝の普及を妨害しないでください」という意見もあがっており、その点も考えなければならなくなりました。
出典を「坂口尚氏の小部屋」とするところまで認めて頂けるのであれば、「より正確なリストを見たい人は坂口尚氏の小部屋で」とする事ができ、「誰でも編集できるWikipediaでは正確なリストが残らない」についても出典である「坂口尚氏の小部屋」を参照する事で修正可能となります。
出典「坂口尚氏の小部屋」となっていれば、「初出誌ではこうだ」という細かな議論を省略し、「坂口尚氏の小部屋」を元に訂正する事が可能となります。もちろん、「坂口尚氏の小部屋」のほうが誤っている場合は議論が必要となるでしょうけれど。
この際「作品年表ぐらいはファンサイトで見て欲しい」については妥協します。
出典を「坂口尚氏の小部屋」としていただけるのであれば、「全作品年表」を私のほうで記述しても構いません。
しかし、出典として「坂口尚氏の小部屋」へのリンクが入っている状態であればという事です。
作品年表の誤記訂正は「坂口尚氏の小部屋」で今後も続ける事となるでしょう。そちらの責任は私が負うとして、あとは、こちらの編集に参加されている方々が、年表に誤りがあれば訂正するという事になるでしょう。しかし、事故で死んだりしてなければ、坂口尚に掲載された年表についても可能な限りチェックさせて頂きたいと思っています。管理が大変になるのではないかという懸念を持っている事に変わりはないのですが。
できればこの件は長くなっているので章?を分割してお話させて頂けたらと思っています。
--さとぴー1963会話2013年6月5日 (水) 08:43 (UTC)[返信]
状況を注視する、と言っておきながら、直接さとぴー1963さんから返信があったので、一言だけ。端的に言って、さとぴー1963さんの考え方、やろうとしていることというのは、Wikipediaの方針とは相いれないと思います。--Dr.Jimmy会話2013年6月5日 (水) 11:01 (UTC)[返信]
出典を「坂口尚氏の小部屋」として頂ければ、「私」が正確だと思っているリストはそっちを見てもらえばいいし、「ぱふ」「電飾の夜23:59発」「月光シャワー SF作品集」の3つのソースで食い違いのある部分も、「初出誌を持っているけど確認したらこうだった」という議論を経過しなくても「出典ではこう」という修正が可能なのではないか?という事なのですが。「ぱふ」を出典とした場合、「青びょうたん」は「COM」になってしまうんですよ。実際には「タイガーマスク」の雑誌形式の単行本に収録されています。「出典ではこう」と主張できれば訂正しやすい。そうでなければ、一次ソースではという議論が必要になるかもしれません。
Wikipediaでは、掲載された場合、「年表」の編集を誰でも行う事ができますが、結果的に、内容が「出典」と異なったものとなった場合、どちらが正しいのかを「出典」ではというところにたちかえって訂正できないかという事です。
より正確な年表は「出典」をみてくださいという事と、(実際には単に「出典」と記述して頂くだけで十分です)「私」が作業する場合は、「出典」に記述がある事を根拠に編集してもいいんですよね?という事なのですが。それが担保されるなら「年表」をこちらで掲載しますよという事です。もちろん、Wikipediaの性質上、「年表」を書き換えないでという権利はありませんが…。
--さとぴー1963会話2013年6月5日 (水) 22:23 (UTC)[返信]

Ks aka 98さんによる「削除依頼の出ている過去の版の削除をし、情報源として、『ぱふ』の「特集 坂口尚」、『電飾の夜23:59発』、『月光シャワー-SF作品集- 』および「坂口尚氏の小部屋」を挙げて、「漫画作品リスト」を掲載するということについてはいかがでしょうか。」 「情報源として「坂口尚氏の小部屋」へのリンクを示すことは可能」という提案に対する返信です。 さらに、「坂口尚で年表が書き換えられた場合、毎回自分のリストと照合する作業が必要になるのでは?という懸念があります。」と書いたとおり、Wikipediaに作品年表を掲載したとしても、3つの出典による食い違いの他、初出誌以外にも、短編作品が再録されている事等から、それをもって誤記と考え、リストを訂正する方もでてくるかもしれないし、単行本の巻末の初出誌一覧を出典としてリストを訂正する方が出てくるかもしれません。そのような場合、初出誌ではという議論をその都度行うか、初出誌について詳細に記述する事となり、大変な作業となるので、載せるべきではないと考えているという事です。 さらに、Wikipediaでは誰でもリストの内容を書き換える事が可能なので、より大変な作業になるという事です。 坂口尚氏の小部屋の坂口尚作品年表の「小春日和」の初出は誤記で、「妖精たちと漫画族」が初出誌であるという意見がだされた事もあります。 手元にある雑誌と年表に記載されている雑誌のタイトルや雑誌の月数表記が異なっているという理由からです。 しかし、「漫画族オリジナル」のほうが雑誌に記載されている月数から推測して、先に発表されたものであり、したがって初出誌は「漫画族オリジナル」なのではないか、という議論をへて、おそらく「漫画族オリジナル」が初出誌だろうという判断を下す事となりました。 つまり、「「どの程度丸写しなのか」のほうは、いったん脇にお」いたとしても、年表は掲載しないほうが良いと考えているという事です。--さとぴー1963会話2013年5月29日 (水) 04:10 (UTC)[返信]

Dr.Jimmy氏およびテューリンゲンの白い鷹氏へ。他人が労力をかけて収集したデータの無断使用は民法709条の「不法行為」になります。不法行為を正当化するような妙なゴネかたしてないで、さとぴー1963氏の許諾を得られる道を探ったらいかがですか。--106.190.79.174 2013年5月29日 (水) 17:16 (UTC)[返信]

初出誌について記載した「作品年表」を掲載した場合、いわゆる収集家の方々がそれを元にオークションなどで高額な雑誌を買う事もありえる事などから坂口尚氏の小部屋の年表には、「このリストも完全ではありません」と記載しています。
単行本の巻末の初出誌一覧、今回使用されたとされている3つの出典の、作品年表はそれぞれ内容が異なっています。「イルペンドーロー 振子」(イルペンド・ロウ表記の出典あり)は「ぱふ」のリストには掲載されていません。本当にそれは坂口尚の作品なのかといった議論も、単行本未収録作品の場合は必要となるでしょう。
この本ではこうだが、この本ではこうだと断りをつける事も必要になってくるのではないかと思いますが、そうなると、結局は、「雑多な情報」となり、どの情報を信じて初出誌を確認したらいいのかという問題が発生します。
単行本の初出誌一覧はあてになりません。少なくとも、「坂口尚短編集」では、1刷と2刷で初出誌一覧の記述が書き換えられています。「石の花」の連載終了は1986年8月号と講談社漫画文庫には記載されています。チクマ秀版社のリストならびに光文社では1986年9月号です。しかし、単行本巻末の初出誌一覧を二次ソースとして記述する事もWikipediaにおいては可能です。
単行本の場合は、著者名の表記がありますので、発表年の誤りがあったとしても、情報を信じて買ったが坂口の作品が掲載されていなかったという問題はまず起きませんが、雑誌の場合は、苦労して現物にたどりついたのに、坂口の作品が掲載されていなかったとなる可能性があります。
誰でも年表を二次ソースを出典として書き換え可能ですし、あるいは悪意をもった第三者がこっそり存在しない作品について記載する事も可能な訳ですから、その場合、年表の内容を誰がどのように正しいと判断して編集していくのかといった問題も発生します。
複数存在している年表と単行本巻末の初出誌一覧がすべて一致している上、調べてみたら雑誌の現物もその通りだったという事なら、問題が起きる可能性は少ないかもしれません。しかし、坂口尚作品に関してそうではありません。
Wikipediaには年表を掲載しないほうが良いと考えているのはそのような理由からです。
「無断使用は民法709条の「不法行為」」については、今回のようなケースにおいても損害賠償請求が可能なのかどうなのか調べてみます。「さとぴー1963氏の許諾を得られる道」に関しては、リストを掲載する事で収集家の方々が不利益を被る可能性が高いのでやめたほうが良いと考えています。許諾を私が出すとか出さないとか、私に権利があるとか無いとか、そのような議論をわきにおいたとしても、作品年表は掲載しないほうが良いと考えているという事です。--さとぴー1963会話2013年5月30日 (木) 05:38 (UTC)[返信]

さとぴー1963さん、正直に厳しいことを申し上げます。「リストを掲載する事で収集家の方々が不利益を被る可能性が高いので」事実を隠したほうがいい、というのはあまりに乱暴な話です。Wikipediaで見た情報で、「収集家」がどう判断し、どう行動しようとも、それは全て「収集家」の自己責任。あなたが心配する必要のない話です。それが心配なら、なぜあなたはリストを作成し、(どの範囲か正確にはわかりませんが)他人に提供したのでしょう? 私は雑誌「月刊短波」に掲載されていた作品でファンになった一人ですが、坂口尚の真実が、あなたによって隠され、確認に難渋させられていることを、とても残念に思います。--Ginga2station会話2013年6月2日 (日) 05:29 (UTC)[返信]

「「リストを掲載する事で収集家の方々が不利益を被る可能性が高いので」事実を隠したほうがいい」について。
「単行本の初出誌一覧はあてになりません。(中略)しかし、単行本巻末の初出誌一覧を二次ソースとして記述する事もWikipediaにおいては可能です」と書きましたがそれは、検証可能性において、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」とあり、つまり「事実」でなくても、出典があれば「年表」に記述可能であり、さらに、私は出典を持っていると主張すれば誰でも年表を書き換える事ができるのに、どうやって「年表」が正しいと誰が判断するのですか?という事です。
「収集家」について言及しましたが、「事実」ではない不正確な情報を掲載した「年表」となる事への危惧として読み取って頂く事はできませんか?
「年表」を一度記載しても、その後書き換えられる可能性がありますが、それを誰がチェックするのか。さらにチェックした人の判断が正しいと誰が判断するのかという事です。
つまり、一人では無く多くの人が参加するWikipediaに「年表」が掲載された場合、誰でも書き換え可能であり、「検証可能」であれば「事実」でなくてもWikipediaのルール上では「年表」を書きかえる事が可能だという事です。
「坂口尚の真実が、あなたによって隠され、確認に難渋」について。
「年表」を作成し、誰でも閲覧できるように掲載しており、事実をひろめてきました。その他、ファンサイトの運営だけでなく、坂口尚作品の出版、編集、また、坂口尚の項目の執筆にも関わってまいりました。
これまで存在していなかった「年表」を作成し、現在もインターネットに接続すれば誰でも見られるようにしている訳ですから、隠している訳でもありません。
googleで「坂口尚作品年表」と入力するだけで「作品年表」にたどり着く事ができる筈です。
元々の作成者が誰なのか不明のまま掲載するのはやめてくださいという事からはじまった一連の議論にも長くなりますが、目を通して頂けませんか。よろしくお願い致します。
こちらとしましては、「坂口尚作品年表」を坂口尚の単行本や冊子に収録しただけでなく、ネット上でも公開しているので、苦労して作成した「年表」ぐらいはファンサイトでみてもらいたいと考えています。
また、繰り返しになりますが、Wikipediaでは二次ソースを元に編集可能な事から「事実」とは異なる「年表」ができあがると考えています。
もしかして、その誤っている部分のチェックを不本意ながら転載された私が行うのですか?
坂口尚氏の小部屋の「作品年表」は、私が手を入れない限り書き換えられる事はありませんが…。
「「月刊短波」に掲載されていた作品でファン」とありましたが、その情報を私は知りません。しかし現物をお持ちなのでしたら、存在するのでしょうね。Wikipediaで私が知らない作品が記載された場合は、それが存在しない事を証明する事も存在する事を証明する事も困難で、毎回議論が必要になるので大変な作業になると主張してきたのは、このような事があるからです。
既存の「年表」と既存の「初出誌一覧」が一致していれば、出典がいくつあっても、「年表」が混乱する事は無いが、坂口尚作品の場合はそうでは無いという事です。「月光シャワー SF作品集」の年表にもあきらかな間違いがあります。「掲載誌休刊のため連載中断」という表記は間違いです。こちらから提出した「年表」の表記はあくまでも「連載中断」であり、掲載誌は休刊していません。校正に立ち会えなかった為に起こった表記ミスです。しかし、Wikipediaでは二次ソースを出典として「掲載誌休刊」と記述する事も可能です。
坂口尚氏の小部屋に掲載している「坂口尚作品年表」は掲載している「年表」通りに初出誌が発見された事を確認、あるいは誤記訂正しながら作成したものですが、同じ方式で検証を行う事は、Wikipediaでは二次ソースが出典となりうる以上無理です。--さとぴー1963会話2013年6月2日 (日) 07:42 (UTC)[返信]
さとぴー1963さん宛てです。
ファンサイトで参照してほしい、ということであれば、無理には申しません。また、「Wikipediaには年表を掲載しないほうが良い」という判断も、尊重します。
5月28日 (火) 15:47 (UTC)のさとぴー1963さんのコメントは、
  • 結構大変な作業が懸念される、
  • 作品年表ぐらいはファンサイトで参照してほしい
  • 出典元として、ファンサイトへリンクするには、削除への懸念がある
の3点だと理解しました。これらについてのコメントをします。
今後も同様にリストが作成され、投稿される可能性があります。今回、テューリンゲンの白い鷹さんは、さとぴー1963さんの判断を尊重されると既に表明されていますが、別の誰かは、より強硬に掲載を主張するかもしれません。そうすると、再度、労力をかけた議論が必要になってしまいます。ぼくとしては、そういう形での議論の繰り返しを避けたいなと思っています。今の段階で、さとぴー1963さんの危惧に対して、いくつかのコメントまたは解説のようなものを書くことにしました。
まず、作品リストの著作物性については、地裁で否定されている判決例があります[3][4]。ところが、その後、2000年代後半には、著作物性が認められなくとも不法行為が成立するという判決がいくつか出てきましたから、削除の方針上、法的問題として削除するかどうかは、微妙なところになります。さとぴー1963さんがここで主張されている依拠性の強さや、作成の労力、削除依頼に出ている版についての情報源の非表示といったところは、不法行為のほうの判断要素になります。引用など、著作権法をベースにした主張は、ここではあまり関係ない感じです。Dr.Jimmyさんやテューリンゲンの白い鷹さんは作成者の権利を軽視しすぎている面があり、一方で、さとぴー1963さんのほうは実際よりも強く主張できると思っていらっしゃるように感じました。
正しく情報源を示した上でだと、『月光シャワー-SF作品集- 』や「坂口尚氏の小部屋」の情報を使って、リストとしての表現などをそのままコピペではないような形で、内容については同一となる年表や作品リストを作成していた場合は、削除したり、リストなどを取り除いたりすることは難しくなります。
リンクの除去については、繰返しになりますが、「外部リンクの選び方」を根拠とした除去は、作品年表を掲載し、その出典となる外部サイトとして用いられている場合には通用しません。Wikipedia:外部リンクの選び方が適用される外部リンクとは、記事の内容を補うために記事本文で引用される情報源へのリンクのことではなく、リンクしようとしているウェブサイトやページがいまだ記事本文中で出典として挙げられていない場合は、外部リンクとしてではなく、記事の出典として引用することを考えることが求められています。また、自費出版請負的な出版社でもなく[5]、著者も関わった書籍に、情報を提供し、掲載されているのですよね。リストを書籍に掲載するかどうか、その内容についての信頼性については、出版社という第三者による評価を通しています。ぼくは、信頼性を疑う必要があるとは思いませんし、ウィキペディアの方針やガイドラインからこの判断を覆すものはないと思います。
一方の、さとぴー1963さんの責任や労力のほうですが、作品年表の表記や、その後の作業については、さとぴー1963さんが関与したいということであれば、議論に参加できますし、テューリンゲンの白い鷹さんほか、今後の編集者全体で修正し、決めるべきは決め、個々に執筆者としての責任を負うという形になります。
図書館の書誌情報なんかでも、同じ現物からでも、表紙からタイトルを取るのか、奥付からタイトルを取るのかで、データベースに採録する書誌情報としてのタイトルが異なることがあります(たとえば国会図書館は『月光シャワー : SF作品集』、復刊ドットコムは『坂口尚SF作品集「月光シャワー」』、amazonは『月光シャワー―SF作品集 (Legend archives―Comics) 』、amazonにある書影を見ると『月光シャワー―SF作品集―』)。
そうした表現の類や、どういう情報を選んで掲載するか、たとえば明らかな誤植のようなものをどう扱うかといったことは、百科事典であるウィキペディアという媒体の性質によって定まります。他の作家、他の分野との兼ね合いもあります。何年にどういう雑誌が初出で、どういうタイトルなのかといった情報・事実について、参考にしたのが、出典として示される文献やサイトとなる。
元となる文献やサイトではどうなっているのか、また、表記の扱いとは別に、間違いが無いのかを確認するためにも、そうした出典は示されなければならないといことは、実際に初出誌を参照しながら資料を作成されてきた、さとぴー1963さんもご承知だと思います。国会図書館の書誌情報[6]を根拠に『月光シャワー―SF作品集―』の刊行年を(2005年ではなく)平成17年と書くこともある。ぼくが「2007年」と書いたなら、その間違いはぼくのせいであって、国会図書館のせいではない。実は刊行が2004年だったのなら、そこの間違いの責任の一端は国会図書館にもあり、その情報を使った者には、検証の不足についての責任がある、という感じ。再構成されるリストや年表の食い違いは、どの作家、どの分野の作品でも生じますし、避けられる間違いも、主観的に決めなければならず、編者によって異なることは避けられないものもあるということは、承知しています。
さとぴー1963さんが、ウィキペディアの編集に関与しないなら、さとぴー1963さんは「坂口尚氏の小部屋」の間違いについての責任を負い、ウィキペディアの間違いは責任を負う必要がない。論文の類であれ、商業出版であれ、情報の流通や発展のために、正しく引用(citation)して既存の成果物を用いる場合は、そのような考え方に基づくと、ぼくは理解しています。収集家や熱心なファンの間でのこだわりはわかるのですが、百科事典の情報としては、その微妙な違いや厳密さを追及する方向には向かわず、拘る人は、情報源を参照し、あるいは初出誌を確認してもらう。さとぴー1963さんが追わなければならないと思っている責任、かけなければならないと思っている労力のなかには、負う必要、かける必要がないものも相当あると思われます。
そういったことが、ファンが自分で運営するサイトと、商業出版や百科事典であるウィキペディアの、大きな違いの一つです。年表や作品リストはウィキペディアにも載っているけど、細かい表記の異同などについては、掲載されていない。作家の概要を知るための要素としての年表やリストというものを超えて、古書収集にあたって、初出時の正確な表記などが必要な読者は、百科事典から離れて『月光シャワー』や「坂口尚氏の小部屋」を参照するべきで、そのためには参照先の情報を示さなければならない。これが他の項目なら、百科事典として概論が書かれていて、より詳しいことは専門書や原著論文を参照させるのが普通。小説や音楽や漫画だと、そうした先行研究がないことも多いですから、実証的に調査しているファンや収集家がいらっしゃって、そのサイト自体でも情報源を示しながら成果を公表しているのなら、それらを情報源として扱い、サイト名やリンクを情報源として示し、より深い情報はそのサイトを参照してもらう。そういう形でのすみわけが、好ましいと考えています。
なお、ウィキペディアでも、一次情報・一次資料を使っての修正は可能ですよ。それほど杓子定規に文書を捉える必要はないです。--Ks aka 98会話2013年6月2日 (日) 12:38 (UTC)[返信]
丁寧にご提案してくださり、また判例などもご紹介頂き、どうもありがとうございます。
  • 結構大変な作業が懸念される、
  • 作品年表ぐらいはファンサイトで参照してほしい
  • 出典元として、ファンサイトへリンクするには、削除への懸念がある
ご指摘のとおり、この3つですね。
「著者も関わった書籍に、情報を提供し、掲載されているのですよね」について。
出版社の編集者の方の尽力で出版された本なのは確かですが、収録作品の選択、掲載順まで決める作業を行いましたので、実質的な編集作業まで行なっています(無報酬で)。しかし、そんな枝葉の話はともかく、著者自身の出版物に掲載された文献のさらに情報元のサイトの年表へなら、出典としてリンクできる筈だという事なのですね。
著作権法に関して。書籍に掲載された情報2ページを転記してWikipediaに掲載する行為は著作権法に反するものだと考えていました。
書籍に載っている情報を使う場合は少なくとも出典の明記が必要で、かつ引用は必要最低限でなければならないと考えました。
作品年表の一部であれば、「引用」や「参考文献」の形式で使って頂いて構わないのでしょうが、今回の場合は1969年から1995年までの全作品年表です。
吾妻ひでおの項目を見てみましたが、全作品年表ではなく、掲載されているのは、「単行本未収録作品」のみで、あとは、外部リンクとして、「全著作リスト(倉田わたる氏)」となっています。
著作権法では保護されない内容なのかどうかも、もう少し調べさせてください。
不法行為についても調べておく必要がありそうですね。
「初出時の正確な表記などが必要な読者は、百科事典から離れて『月光シャワー』や「坂口尚氏の小部屋」を参照するべきで、そのためには参照先の情報を示さなければならない。」についてですが、「月光シャワー」に掲載した年表の誤記をさらに訂正していますので、こちらで把握している限りでは「坂口尚氏の小部屋」の「坂口尚作品年表」が一番正確だと考えています。しかし、何度も書いていますが、初出誌と思われる現物が手元にあっても、それをどのように取り扱うのか判断に困るものも存在しています。
「一次情報・一次資料を使っての修正」ですが、例えば、「ライトブルーペイジ」のカバー見返しについて、要出典タグが付けられましたが「ライトブルーペイジ」そのものが出典ですとここで書かなければなりませんでした。
作品年表のWikipediaへの掲載には反対ですが、結果的に掲載されてしまった場合は、訂正作業が必要になるだろうと思っています。何度も書きましたが誰かが年表を書き換えた場合、いつもチェックする必要があるとしたら、作業量が多くなり管理しきれなくなるという懸念があります。
単行本リストですら、台湾の「石之花」の出版社を(東立出版社有限公司, 台湾)としていたら、 (台灣東販)に書き換えられた事があります。
坂口氏のご家族は、変な表紙でねぇと言ってましたが、あとから出版されたのが、「台灣東販」からでた本で、その前に「東立出版」が出版していたケースでした。
提案の内容もわからなくは無いのですが、坂口尚氏の小部屋をたたんでネット上から年表を消すとか、公式サイトが別途たちあがったとか、そんな時には、自分の作った年表を使ってもらって構わないと思っているのですが、現段階ではWikipediaには掲載したくないと考えています。
Wikipediaではほとんど坂口尚の項目だけ書いてきましたし、年表が必要だと思ったなら、自分で掲載していたという事もありますね。
「労力のなかには、負う必要、かける必要がないものも相当あると思われます」というご提案ですが、そうかもしれないと思う部分もあります。しかし、性格的に無理でしょう。それに坂口尚の項目は、1978年当時坂口尚さんの担当編集者だった方から書いてくれと言われて、なんで私がと思いながらも執筆していますので。金銭の授受があった訳ではなく、ただ頼まれたというだけですけれど。
頼まれたからといって出典に無い事を書く訳には行きませんので、客観的に記述するべきという指摘のあった部分は、除去してきましたし、脚注もつけており、事実の羅列になるように努めているつもりですが…。
ご提案頂いた内容のすべてを理解するには、もう少し時間がかかりそうです。
こちらで調べ直さなければならない事もいろいろとありそうですね。--さとぴー1963会話2013年6月2日 (日) 14:48 (UTC)[返信]
ちょっとだけフォローしときますね。
「一次情報・一次資料を使っての修正」というのは、まさに、「ライトブルーペイジ」そのものが出典だ、と書くことです。二次情報・二次資料は、一次資料の扱いについては「ウィキペディアの編集者」よりも信頼できるであろう何者かが、編集者なり査読者なりの目を経て、刊行されているから、信頼性が高まります。古文書とか、判決文を扱うときなんかだと、こう書いてある!と言われても、それはこのように解するのが正しい、と、歴史学者や法学者の意見が言っているのなら、まあ、そっちのほうが正しいだろう、と。しかし、単純な、読んだまま、見たままの事実とか、どう書いてあるかというレベルについては、一次資料のほうが正しく、二次資料には誤植などの可能性はあるわけです。そういう場合は、一次資料の書誌情報を示して、修正する。
著作権侵害が成立しない場合の不法行為について、包括的に書かれているものだと、山根崇邦「著作権侵害が認められない場合における一般不法行為の成否 : 通勤大学法律コース事件」2007年[7]、今西頼太「著作権非侵害行為と一般不法行為」2009年[8]あたりがあります。リンク先からPDFをダウンロードできます。ただ、ここでの話題に一番近いのは、判決例としてリンクした松本清張の例だったりはします。
性格的に無理なのはうすうす感づきましたし、それはそれで、しょうがないことだと思います(笑)。そういうこだわりによって、記事が発展したのですから、その点では感謝します。また、作成者の意図として、掲載したくないとおっしゃるのであれば、ぼくは、現時点では、その意志を尊重します。今後、また掲載するとかしないとかで揉めたときには、こんなことを書いてた人がいたと思っていただければ。--Ks aka 98会話2013年6月2日 (日) 15:59 (UTC)[返信]
ぜひ、再度、作品年表の掲載の件で議論が再発した時の参考にさせて頂きます。
「もし間違った記載がなされていても初出の雑誌が確認出来れば、その雑誌そのものを出典にすればよろしいのです。貴殿は恐らく現物の雑誌を持っているのではないですか。それなら修正はすぐできると思いますよ」という意見も議論の過程でだされましたが、今のところ、その作業なら私がやりますという方がいらっしゃらない。
それに、雑誌との照合作業を再度行う事がどれほどの作業量なのか理解されていないと感じられました。脚注を80箇所以上付けるにあたり、出典となる雑誌、書籍を書棚から探し出し、再読しといった作業だけでも現物が手元にあっても20時間ほどかかりました。
「年表」が掲載された場合、誰もが編集できるWikipediaでは内容が不正確になるという懸念について。いまのところ、全体を見渡して「年表」を管理してもいいですよという方が名乗りでていない。そうなると細部のチェックまで私が行う事となるでしょう。
苦労して作成した年表かもしれないけれど、転載しないでくれという権利はあなたには無いという主張はあっても、転載された後の年表の誤記訂正作業は自分が責任を持って行いますという方が議論に参加していない。
つまり、坂口尚の本文の大半を執筆している上、転載された「年表」も元々は私が作ったものであり、転載された後の訂正作業も私が行う事になるとすると…という問題でもあったと思っています。
「「坂口尚氏の小部屋」は、読者の利便性を考えても、『月光シャワー-SF作品集- 』の代替物にはなりえないとおっしゃるのならば、話は別ですが、情報源としてリンクする分には妥当性に疑義を挟む余地はありません」という見解がKs aka 98さんより出されましたが、「坂口尚氏の小部屋」が「年表」の出典と明記されるのであれば、「坂口尚氏の小部屋の表記が正しい」という前提で「年表」をチェックする事が可能となりますので、「年表」の管理が容易になるかもしれませんね。
あくまでも「年表」を掲載するべきでは無いという意見に変わりはなく、「掲載されてしまった」場合の話ですけれど。--さとぴー1963会話2013年6月3日 (月) 09:16 (UTC)[返信]

とりあえず、作品リストの作成をはじめました。まだ作業開始直後なので項目数は少なく、ソートもしてありませんが、もちろん、Wikipediaへの転載は自由とさせていただきます。私自身ではWikipediaに転載できませんので、有志の方よろしくお願いいたします。なお、全ての項目に典拠が明記してあります。著作権を主張される方のリストは一切引用しておりません。しばらくの間暫定公開ですから、ファイル名は今後変わっていきます。その都度変更されますから、しばらくの間はここにてファイル名をお知らせします。--Ginga2station会話2013年6月5日 (水) 08:21 (UTC)[返信]

ファイル名は、"http://homepage1.nifty.com/Uranus/.sakaguchi/sakaguchi_20130605.csv"です。--Ginga2station会話2013年6月5日 (水) 08:25 (UTC)[返信]

私の知人がTwitterで発言した内容も「引用」されてますね。その方は私の情報は自由に使ってもらって構いませんという方ですが。
坂口尚氏の小部屋の作品年表でもお世話になった方です。
すがやみつるさんの「探偵ブラカン」についての記事ですが、すがやみつるさんは当初タイトルを忘れていて、そのため、その記事からも「坂口尚氏の小部屋」の探偵ブラカンにリンクが貼られています。
著名人のブログはともかく、あとは個人サイトですか?坂口尚氏の小部屋へのリンクが適当かどうかでずっと意見がだされていた訳で、個人サイトからの情報を集めて、それをもって出典とできるのでしょうか?
--さとぴー1963会話2013年6月5日 (水) 09:27 (UTC)[返信]

要出典範囲の貼付などについて

利用者‐会話:山田晴通#坂口尚の作品リストについて」へのさとぴー1963さんのコメント受けて、複数の問題から、既に解決したと思われるものを除去し、要出典範囲の貼付などの編集を行ないました。また、ひとつだけですが、こちらで見つけた典拠を追記しました。

少々うるさく感じられるかもしれませんが、とりあえず要出典範囲とした箇所すべてに適切な出典が付けられるか、当該記述が除去されるまでは、独自研究の疑いは拭えないと思います。

おそらく、「ぱふ」など、既に言及されている典拠に関連する記述があるものも多いと思いますので、資料を手元にお持ちの方は、改善にご協力ください。よろしく御願いいたします。--山田晴通会話2013年5月26日 (日) 13:00 (UTC)[返信]

短時間の間に典拠が多数提示されましたことを歓迎します。
注記のスタイルについては、改善の余地がまだまだありますが、とりあえず、句点との関係を句点を後置する形で統一しました。
また、新たに2か所に要検証範囲を貼付しました。
  1. 坂口尚#作品について」にある、「『12色物語』の一編であっても違和感の無い短編作品も数多い。」という記述は、少なくとも予備知識がない人間にとっては意味不明です。何か語句が脱落しているのではないでしょうか?
  2. 坂口尚#他の作家との関係」にある、「原案手塚治虫のアニメラマ『クレオパトラ』のコミカライズを坂口尚が担当」という記述にみえる「コミカライズ」は、こちらに見えるように「コミック化」といった意味かと思いますが、百科事典の記述としてふさわしい一般的な表現でしょうか。典拠の記述の表現そのままであれば、括弧書きにすることも考えられますが、用語として適切か、念のためご検討いただき、必要に応じて他のわかりやすい表現に改めることをご検討ください。山田は、最初に読んだときには、「喜劇化」「戯画的パロディ化」といったニュアンスかと誤解していました。
引き続き、よろしくお願いいたします。--山田晴通会話2013年5月26日 (日) 21:53 (UTC)[返信]

『12色物語』の一編であっても違和感の無い短編作品も数多い。については、「12色物語」は読み切り短編作品が12話という構成であり、「谺」のような作品は、「12色物語」の12話に収まりきらなかった、読み切り短編と考えていました。 しかし、この件についての検証可能な資料が見つからないようであれば取り下げます。

「クレオパトラ」ですが、COM増刊号「クレオパトラ」の手塚治虫による口上に「コミック版」「まんが化」とありましたので、「まんが化」としました。 --さとぴー1963会話2013年5月27日 (月) 04:22 (UTC)[返信]


  • さべあのま

『ライトブルーペイジ』(奇想天外社)のカバー見返しに坂口が推薦文を寄せた。 (カバーは図書館での確認ができない場合があり出典として必ずしも適切ではありません。より的確な典拠が必要です。)

は、一次ソースの単行本のカバーが出典そのものであり、図書館で確認できないかもしれないからという事をもって独自研究となる事については、異論があります。古書店においてもこの当時の単行本はカバー付きで並んでいる事のほうが多いからです。 また、カバーを情報元としてはならないという事になりますと、カバーイラストをある漫画家が書いたという情報についても、すべて出典が必要という事になりはしないでしょうか。 定価はカバーに表示してありますというケースがほとんどですので、この場合もカバーにしか表示の無い定価の情報の出典を別途用意しなければならなくなります。

しかし、数行しかない推薦文をもって、坂口尚とさべあのまとの接点があったとするのは情報不足という事なのであれば、確かにそうかもしれません。脚注を追加し、さべあのまさん自身の発言へ脚注からリンクしましたので、それをもって出典とさせて頂く事はできないものでしょうか?

  • 幸村誠

「Beth」創刊号のインタビュー記事で目標は坂口尚と答えている。 書誌記載が不十分。 とされた部分は、

幸村誠

GROWING REEDで「どういうものが質のいいものだっていう風に思われて作品を作られてるんですか?」の問に「漫画には全く別の切り口があるんだということを初めて思い知らせてくれたのが坂口尚先生ですね」と答えた。 ^ GROWING REED 2012年1月22日「僕が幸村誠さんを好きな理由」J-WAVE

としました。

脚注の数も78となりました。 再度、全体を再度見渡した上で、可能であれば、独自研究タグを除去して頂きたいと考えています。 お手数をおかけしますが、ご検討のほどよろしくお願い申し上げます。 --さとぴー1963会話2013年5月31日 (金) 06:02 (UTC)[返信]

独自出典タグの除去ありがとうございました。自分で取り外す事も可能だとは知りませんでした。

--さとぴー1963会話2013年5月31日 (金) 13:05 (UTC)[返信]

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