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国粋主義

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国粋主義(こくすいしゅぎ)とは、ある国家に固有の文化伝統を礼賛することで国家意識の発揚をはかる思想運動

日本における国粋主義

近代日本の民間運動としては、明治時代の半ばに鹿鳴館外交に象徴される欧化政策に対峙するものとして登場した。政教社民友社に代表される。政教社の三宅雪嶺志賀重昂らは「国粋保存主義」を掲げ、日本の伝統文化の優秀性を論じ、欧化一辺倒の社会風潮に反し、自文化を西欧文化と同等に相対化して見直そうとした。民友社の徳富蘇峰らは平民主義の立場から、貴族的な欧化主義に反発し、日本の文化に根ざした平民のレベルでの欧化を目指した。これらの運動の中で「西洋」に対する「東洋」という語が一般化した。

欧化政策の代表例として、西欧貴族文化を日本文化として取り入れようとした鹿鳴館時代がある。当時は、西洋中心主義の風潮から「日本語を捨てて英語化すべし」とか、白人至上主義の影響から「西洋人との混血を進め人種の改良をすべし」などという極端な主張もあった。明治期に起こった国粋主義はこのような風潮に反発し、日本の文化を西欧文化と対等に比較できるものとして捉えようと試みた。従って、その主導者たちは西欧文化に対する理解も相当に持っており、排外的な意味での自文化至上主義を唱えたわけではない。

国粋主義の原義に於いては、全体主義ファシズム排外主義など、いわば右翼国体論とは路線が異なる。しかし、日露戦争以後、対外膨張政策の精神的支柱だった皇国史観の高まりにより、自文化至上主義が形成されるようになった。政府の対外膨張の国策と連動し、国粋主義の西洋文化との相対化といった価値観は、他文化に対する優越性という価値観に変異し、ついには広義のファシズムと同一視されるに至るのである。

関連項目

脚注


参考文献

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