坂田勝郎
坂田 勝郎(さかた かつろう、1904年(明治37年)10月1日 - 1990年(平成2年)1月16日)は、毎日放送元社長・会長、毎日新聞社元社長。
来歴・人物
宮崎県延岡市出身。旧制第五高等学校を経て、京都大学卒業後、1932年(昭和7年)に大阪毎日新聞社へ入社。1943年(昭和18年)の東京日日新聞社との合併で新会社となった毎日新聞社に転籍。バンコク特派員、広島支局長、郷里である宮崎支局長、宮崎放送取締役を務め、毎日新聞社社長に就任した。
MBS移籍、社長就任
1965年(昭和40年)、毎日新聞大阪本社時代からの先輩だった毎日放送第2代社長高橋信三の要請で副社長として毎日放送に移る。その後、MBS初代会長本田親男と高橋、坂田の3トップでNET系列時代のMBSを支えた。
1977年(昭和52年)6月、8期16年務めた高橋の社長退任を受け、MBS第3代代表取締役社長に就く。しかし、高橋は自身の後継者として毎日新聞から大阪テレビ放送を経てMBSに移った腹心の斎藤守慶(後にMBS第5代社長)を考えていた。ところが斎藤は当時49歳と若く、社長を任せるには時期尚早と判断。高橋は斎藤が適当な年齢になるまでのつなぎ的な役割を坂田に期待した。
1980年(昭和55年)1月19日、高橋が会長在職のまま死去する。MBSは初代社長杉道助が事実上の会長的役割だった時代を別とすれば史上初となる会長空席になる。
坂田はワントップでMBSを率いる体制となり、既に76歳となっていた老体に重く負担がのしかかる。そんな中、同年4月改編でMBSテレビは在阪テレビ局史上初となる完全ローカルのドキュメンタリー定番枠『映像』をスタートさせる。このときのスタッフの中に、後にMBS第6代社長となる柳瀬璋がいた。
立ち上げに際しては『NNNドキュメント』(日本テレビ)を参考にしながらも、「報道を通じた関西の文化発展」という狙いは、没後に設けられる坂田記念ジャーナリズム賞の趣旨そのものだった。『映像』は2011年(平成23年)までに坂田賞第1部門賞4回、特別賞1回を受賞するハイクオリティを維持し、現在も『NNNドキュメント』と同じ日曜深夜の時間で継続中である。
坂田は『映像'80』第1回を見届け、若い世代への後継を急ぐことにした。同年6月の株主総会終了後の取締役会で大阪テレビ経理部長などを務めた専務取締役高木一見を後任の第4代社長に指名、代表取締役会長に就任した。
会長退任
1985年(昭和60年)、高木は斎藤への橋渡し的な任務を終え、代表取締役会長に就く。81歳になった坂田は会長を退任、相談役名誉会長となった。1990年肺炎のため85歳で死去。
坂田記念財団とジャーナリズム賞
1994年(平成6年)、毎日新聞社は坂田の遺志を生かし、「報道を通じ関西の文化発展を目指す」という目的で財団法人「坂田記念ジャーナリズム振興財団」を設立。坂田記念ジャーナリズム賞を創設して以後、毎年贈賞している。