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屠殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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屠殺業者とその召使
ヨースト・アンマンによるリトグラフ(16世紀)

屠殺(とさつ)ないし屠畜(とちく)とは、家畜等の動物を殺すことである。「屠」は「ほふる」の意であるが、近年の日本では、「屠」の文字が常用漢字ではないことから、と殺と畜と表記されることも多い。一般的には食肉皮革等を得るためだが、口蹄疫などの伝染病に感染した家畜を殺処分する場合にもこの語が使用される。

なお、この「屠殺」という言葉は、差別用語と見なされる場合がある。しかし「屠畜」以外に日本語に特に該当する言い換え語が無く、食肉加工業の中に曖昧化されて含まれる傾向が見られる。

類義語には〆る(しめる:一般的にに用いる表現)やおとす、または潰す(つぶす:一般的にに用いる表現)がある。

概要

屠殺は、人間が家畜を飼うようになって以降、肉を食べたりその皮革を利用するために行われてきた。それ以前には、野生動物を捕獲する際に致命傷を与えるなどして殺害していたが、これは「捕殺(ほさつ)」とも呼ばれ、動物を捕らえるために殺す・その肉体を確保するために殺す行為(→捕食)であることから、屠殺とは区別される。

中世の農業歳時記に描かれた豚を屠殺する農民夫婦

屠殺は、社会の発展と都市構造の発生・発展に伴い、次第に分業化と一元化されるようになってきた。古くは各家庭もしくは酪農家で家畜の生命を絶つ行為が一般的に成されていた物が、肉屋などの専門業種による屠殺へと変化し、更にはと畜場や食肉工場といった専門施設における集中処理へと変化し、世間一般の目には触れないようになっていった。

方法は各国の歴史文化などにより異なる。古くはイスラムなどで行われるナイフで頚動脈を切る、斧で首を切りつける方法であった。また特殊な例ではモンゴルなどで行われる心臓付近にナイフで傷をつけ、手を差し込んで心臓の血管をちぎるというものがある。以前は日本でも人手でとがったハンマーで頭部を強打する方法や棒を射出する銃で狙撃する方法がとられていたが、動物の苦痛を減らすため電気ショック法や二酸化炭素などに変わった。

これらは主に、動物の生命を絶ち食肉に加工する上で発生する血液食品廃材といった副生成物(産業廃棄物)の処理や、あるいは食糧生産や環境に対する衛生面での配慮、加えて「殺害する」という面での倫理的な不快感といった事情にも絡んでの分業化・一元化であるが、特に宗教などの食のタブーといった理由から、特定の処置が食料生産に求められる地域では、一種の宗教的な施設であるという側面も持つ(→カシュルートシェヒーターなど)。

日本における屠畜の歴史

1867年(慶応3年)5月、外国人に牛肉を供給していた中川屋嘉兵衛が、江戸荏原郡白金村に屠牛場を設立したが、これが日本における近代的屠場の最初であろうという。明治以降、屠場を設立する者の数は増え、日露戦争の時には全国で約1500を算えた。しかしその設備の不完全、また衛生上、保安上改善を要する点が多く、1906年(明治39年)に屠場法が制定された。

日本国内における牛馬の屠殺は、その歴史的な経緯から不浄な行いというイメージも付きまとい、そこには食用家畜を単なる消費という、他の肉食文化では日常の延長に存在した行為として位置づけられず、専ら被差別階級の人々が行ってきたことという解釈がなされることが多い。

しかし、その日本でも更に歴史を紐解けば、いわゆる生贄なども含め儀礼における祝いをあらわす「(ほうり)」という語句と、「屠る(ほふる)」ないし「屠り(ほふり)」という語句は語源が同じであり、もともとは犠牲を供して穢れ祓い清める役割の人物が行っていた。つまり神職及びそれに近い役割の人々が行っていたと思われる。その後の食肉に必ず伴う屠畜についても、彦根藩が元禄3年(1690年)に「薬喰い」(冬場に保温・保健の目的で獣肉を食すること)として牛肉を販売、更には藩主自ら毎年のように将軍家への献上品として「牛肉味噌漬」を贈っていたなどの歴史もあり、時代背景や地域条件による差別、被差別で一概に語られるべきものではない。

日本では仏教の伝来にも伴い平安中期から獣肉などに携わることを穢れ(信仰上の禁忌・タブー)とする見方が広がり、1922年(大正11年)の水平社宣言に至るまで印象が一人歩きしている。

屠殺の思想

屠殺では、その行為によって動物が苦しまないようにとの配慮が成されている場合も多い。近年では動物虐待に対する忌避感もあるが、そもそも過度に暴れさせるような屠殺は、動物に不要且つ過剰な苦痛を与えるだけでなく、従事者にとって危険であり作業効率も悪い。このため多くの社会では、より速やかに且つ苦しませずに動物を絶命させる方法が研究されてきた。

現代では先進国を中心に、炭酸ガス麻酔、あるいは頭部への打撃や感電による失神の後に首の動脈を切断することによる失血死、あるいは失神後に脳組織を物理的に損傷させることで生命活動を停止させる方法が取られている。しかし宗教的な理由にも絡み、古くからの伝統的な屠殺方法を取っている事の多いイスラム圏などでは、後肢に綱を掛け頭部を下にして吊るしたら、間を入れずに動脈を切断し、ある程度は空中で暴れさせて、急速に失血死させる方法を取っている。

なお失血死という方法は、肉に血液が残る量が最小限に抑えられ、肉の劣化や腐敗を遅らせる効果もあっての事で、特にこれは冷蔵庫が普及する以前は、鮮度の低下で廃棄される肉を最小限に抑えるための技術でもあった。この技術が発達した背景には食中毒の予防と同時に、犠牲となる生命に敬意を払い、無駄を最小限とするための倫理的な思想も見出される。

肉食という行為は、動物の生命を奪う事で自らの生命を永らえさせるものである。このため犠牲となる動物に感謝を捧げる思想も見られ、その感謝の意味で苦しませる事への忌避も見られる。その延長で動物の苦痛に対しても言及している文化もあり、例えばユダヤ教では「一回の切断で致命傷を与える(何度も切り付けない)」ために、屠殺に使う刃物(ナイフ)は「良く研磨されているもの」と定めている。これは「よく切れる刃物で切り傷を負った場合は、一時的な麻痺により負傷直後は余り痛みを感じない(後に治る過程での痛みはある)が、切れ味の悪い刃物で怪我をすると、切った直後から酷く痛む」という人間自身の経験によるものであると考えられる。

多くの文明社会では、畜肉に対する感謝を表す人間の活動が大なり小なり見られ、感謝祭慰霊などといった宗教行事にも関連している。

屠殺と社会問題

屠殺は旧来、家畜を飼っている各家庭では日常的かつ普遍的に行われていたが、これが次第に世間一般から隔離されるにつれて穢れのように扱われ、差別を被った事例もある。日本でも明治時代よりの社会変化で食肉産業が発達したが、その当時の被差別部落などの絡みもあり、家畜の屠殺や解体に従事する者が差別を被るといった社会問題が発生し、現在においても散見される。しかしながら現代社会にとって必要不可欠な屠殺という業務を倫理的、社会的問題においてクリアーする代替的手段が存在しないためタブー視された状態が放置されている。マスコミ報道や社会学的研究においてもこの題材を正面から扱ったものは殆どみられない。

ファイル:カリカチュアされた牛.jpg
カリカチュアされた家畜の例
ユーモラスに牛が野球のユニフォームを身に着けている。
(2010年栃木県内で撮影)

近年では食肉はスーパーマーケットコンビニエンスストアファーストフードレストランといった所で調理前の精肉や加工された食肉製品、あるいは調理済みのものが普遍的に見られる。しかしそれらが、動物の生命を奪う事によって生産されているという事実が社会から隔絶されているため、何の違和感も無く肉を食べていても屠殺は残酷だと考える人も多く、屠殺の映像にショックを受けて菜食主義になる者も見られる。この弊害に関して、近年の日本では一部教育機関で「自分たちの命の糧(=食料)が何処から来ているのか」を知る教育、つまり食育として、敢えてと畜場を見学させる所も出ている。食肉業界のCMにおいては、家畜を愛嬌のあるマスコットとしてイメージしたり、カリカチュアすることによって、食肉の市場への供給には屠殺というステップが介在する現実を消費者にイメージさせない様々な印象操作が試みられている。

しかし動物愛護団体ないし環境ロビイストの中には、よりショッキングに見えるよう恣意的に編集された映像を作成・流布していると見なされる団体もあり[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、この辺りがより、屠殺に従事している一部の労働者への差別に発展する危険性も含んでいるようである。これらの団体は、そのエキセントリックな活動から、一部のインターネットコミュニティ上で、揶揄の対象となるケースすら散見される[要出典]。そしてまたこれらの業務に従事している人々の心情に焦点を当てた報道は皆無といってよい。

競走馬と屠殺

食用・加工用の家畜ではなく、競走馬など他の目的で飼育されていた動物が、結果的に屠殺される場合もある。

競走馬が成績低迷や高齢などを理由に競走生活を引退した後は、繁殖馬、乗馬クラブや学校馬術部等での乗用、動物園などの観光用、研究用などに転用、あるいは功労馬として余生を送る馬も存在するが、その割合は少数であり、大半の競走馬は屠殺されているのが実情である(参考→乗馬#乗馬への転身という意味)。功労馬でなくても牧場で余生を送る様に計らう馬主も存在し、余生を送ることが出来るか否かの判断は、経済的合理判断と共に多分に馬主のパーソナリティや牧場所有の有無などに負うところが多い。

屠殺後の用途として、馬肉に回される場合もある。日本では馬肉は「桜肉」と呼ばれ、古くから栄養豊富な食肉として、また「ニューコンミート」(→コンビーフ)のような代用食として親しまれている。ただし、江戸時代には生きた牛馬の屠殺は幕府の禁制の対象であり、自然死や事故死のものが「薬」にされた。食肉も禁制であったため、「薬」と称された。他の用途としては家畜飼料ウマの項を参照のこと。

日本で桜肉として流通しているのはペルシュロンブルトンベルジャンの混血種である日本輓系種を屠殺したものがほとんどである。これらは当初から食肉を目的に生産されるものと、ばんえい競走の競走馬を目的に生産されたものの、能力検定に不合格となったり馬主としての買い手が見つからないなどの理由で食肉に回されるものがある。またばんえい競走の競走馬でありながら、腸閉塞等の不慮の事故で斃死した馬は、そのまま桜肉として加工して厩舎関係者に配り、食する形で供養するという習慣が現在でもあるが、この習慣はサラブレッドなどの軽種馬の競馬の関係者の間ではみられない。

屠殺以外の殺処分においては、たとえ重度の負傷をした場合でも食用・加工用を前提としない薬物による安楽死処分が一般的である。殺処分の方法を選ぶ必要はあるものの、屠殺により馬資源を活用する方が本来は合理的ではあるのだが、競馬場内で重傷を負った馬を屠殺場へ移動させるというのは感情的な反発も強い。また1973年10月に動物愛護法が制定され苦痛を伴う殺処分が法律により禁止された。そのため日本では同年6月のハマノパレードの一件以降、負傷馬への安楽死が導入されている。

なお足を傷めることは競走馬全般において問題ではあるが、ことサラブレッドの場合は「早く走ること」に特化して品種改良が続けられた結果、その足はきわめて繊細なものであり、負傷に弱い。足を傷めると負傷がまでもを冒し、更に残った問題の無い足に負担が余計に掛かって関節炎などを併発、結果的に悶え苦しみ最悪の場合には衰弱死するか痛みでショック死する場合もある。このため予後不良と診断された競走馬は動物愛護の見地から安楽死されることがある(→蹄葉炎)。ただ、近年においては治療手段もかなり確立されてきているため、優秀馬においては手厚く治療が続けられる場合もある模様。

ウマの屠殺に否定的なアメリカ合衆国では、エクセラーファーディナンドといった有名な競走馬が、それぞれ輸出先のスウェーデン日本で屠殺され、市場に流通するなどした。同事件は米国内で問題視され、米下院で馬の屠殺禁止法案が可決されている。その他にも中央競馬八大競走で優勝したにも関わらず、日本中央競馬会の施設に送られず、行方不明になった馬も存在した。

先に挙げた米国の例のほかにも、特に競馬の盛んなイギリスのような国家では馬の繁用が難しくなったときには人道的な安楽死が求められ、屠殺に強い拒否感・嫌悪感を示す。食のタブーなど社会的な事情にも絡んだこの問題だが、日本ではペットとしてみなされ、まず屠殺されることなど無いが、中国韓国などそれらを食べる文化を持つ地域では日常的に屠殺され、食肉市場に流通している状態と対比させると理解しやすい(→犬食文化)。こういった食文化の違いに端を発する動物の屠殺にまつわる文化摩擦は世界各地に多々存在する。

その他

  • 「屠」の文字が常用漢字では無いことに加え、差別用語にも見なされることから、本語はATOKMSIMEなどの日本語変換プログラムでは変換されない言葉となっている。
  • 北斗の拳連載時に主人公ケンシロウが極端に太った敵役に対して「ブタは屠殺場へ行け!」と言った部分がコミックス版以降、「屠殺場」という表現が「ブタ小屋」に変更された。そしてその回のタイトルで使用された「屠殺人」という言葉の表現の部分もまた変更になった。同様に北斗の拳の中に「南斗獄屠拳」という名の技が存在したがアニメ化の際に「屠」が別の文字に変更されている。
  • 梶原一騎の作品に実名で登場するアブドーラ・ザ・ブッチャーが登場する話は悪役レスラーのエピソードのため、黒人差別に加えて屠殺に関する罵倒セリフが非常に多く、復刊コミックでは大幅に差し替えられている。また、『ブッチャー』の名がそのまま『屠殺者』の意味でもある。
  • 中国では「虐殺」を「屠殺」と表記する。例えば、俗に言う「南京大虐殺」事件の中国語表記は「南京大屠殺」であるため、表記の混乱に注意が必要。

関連項目

参考書籍

外部リンク

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