もんじゃ焼き
もんじゃ焼き(もんじゃやき)は、小麦粉を主体とした材料を鉄板で調理する日本の料理。「もんじゃ」とも呼ばれる。関東地方で多く食べられ東京が有名だが、各地でも食べられている。
香川県の同名の別料理については、後述「讃岐のもんじゃ焼き」参照。
概要
お好み焼きの原型となった料理で、もともとは主に間食(おやつ)として食べられていた。小麦粉を溶かす水の量がお好み焼きに比べてはるかに多く、汁にソースなどの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうのが特徴である。汁の水分が多いので、鉄板に接する外部は食感がパリッとしている一方、中はトロッとしている。東京の下町と埼玉県南部・東部、群馬県東部と栃木県南部で好んで食べられている。
一般的な呼称は「もんじゃ」と略されることが多く、「ぼったら」「ぼった」と呼ぶ地域もある[1]。
歴史
起源は、江戸中期の江戸で作られた仏事用菓子「麩の焼き」であるといわれている。その後、麩の焼きを起源として江戸末期から明治にかけ、味噌の代わりに餡を巻いて作る「助惣焼」が生まれる。この食べ物は東京・大阪で大流行し、明治時代には「もんじゃ焼き」「どんどん焼き」が生まれた。1819年刊『北斎漫画』に、「文字焼き屋」の挿絵があり、この時代既に江戸にもんじゃ焼きに類するものがあったことが分かっている。焼くときにタネで文字を書いて遊んだことから「文字焼き」と呼ばれ、「もんじ焼き」これが「もんじゃ焼き」となったとの説が有力である。東京都台東区浅草近辺が発祥地とされる事が多いようである。過去に盛んであった隅田川の物流、近代開通した地域の大動脈である東武伊勢崎線、旧奥州街道である国道4号などの集積地であるこの付近を基点に、関東の他の地域に伝播したと言われている。(異説もあり。群馬地方のもんじゃ参照。)もんじゃを元に、関西でお好み焼きやたこ焼きが生まれた(もんじゃやお好み焼きのルーツ系統図)。
駄菓子屋ともんじゃ焼き
近年では数を減らし続けている東京・下町の駄菓子屋には、昭和初期から昭和40年代ころまでは大抵、もんじゃ焼きの鉄板があった。昭和20年代は物資が欠乏していたため、単にうどん粉を水で溶き、味付けしただけのものが多かったが、昭和30年代も中頃をすぎると、キャベツはもちろん、切りイカなど具の種類も増えていった。お金に余裕がある時は、駄菓子屋で売っている、餡子玉や干したイカ等を上に乗せて食べていたが、何と言っても、もっともポピュラーなトッピングの材料は、ラメックなどのラーメン菓子であった。元々が駄菓子屋で売られた食べ物であるから、具材に生物が使われたものは無かった。このように、もんじゃ焼きはかつて、下町を中心とした子供達に親しまれていたが、近年は食文化の変遷から子供達の食べ物としてのもんじゃ焼きが遠のいてしまった。近年、東京下町の伝統的な食べ物として全国的に認知されるようになった反面、その客層が観光客やサラリーマンなどに代わり、酒のお供として食されるようになった。駄菓子屋自体が激減している昨今ではあるが、相変わらず現存する駄菓子屋もんじゃもあり、1杯あたり80円〜300円といった昔ながらの価格で提供されている。店によりけりではあるが、価格差は量の違いであり、種類は上記昭和30年代のタイプの1種類というのが基本である。
東京のもんじゃ
東京は下町地区に多く、今でも一般的に食べられる。古い店があるのは江東区・台東区・北区・足立区・荒川区等で、足立区の西新井には出没!アド街ック天国でも紹介された駄菓子屋もんじゃが2店現存する。駄菓子屋もんじゃには不可欠とも言われるラメックだが、厳密にはかなり類似したベビーラーメンという(ベビースターの過去名と同等だがそれとは異なると思われる)小売としては販売していない業務用のそれを用いて、当然ソースもユニオンソースを使用し、当時と変わらぬ味を提供している。ただし、観光地として有名なのは、もっぱら月島と浅草である。
山の手地区においても、繁華街では、もんじゃ焼きの店は確認できる。ただし、もんじゃ焼きはそもそも山の手の食文化ではないため、同じ東京都内でもこれらの地域への浸透は低い。店舗も近年オープンした日の浅いものが多いようである。
月島
東京都中央区月島の「西仲通り商店街」は主に観光客によって「もんじゃ焼きの街」の「もんじゃストリート」と呼ばれ観光客で賑わう。今はもんじゃ店が75店ほどあるが、歴史のある店は数店であり、他の店は1980年代後半の「もんじゃブーム」で他の商店からもんじゃ屋にくら替えしたケースが多い。もんじゃ焼きの店舗でも、お好み焼きをも供するのが一般的である。「いちごみるくもんじゃ」など新しいもんじゃが発売されている。
群馬地方のもんじゃ
東京地方と群馬地方のものは若干内容が異なる。群馬ではキャベツは小麦粉を溶いたタネの中に具をすべて混ぜて焼き、具で土手は作らない。また、具の量も非常に少なく、そもそも土手にできるほどは入っていない。ただし、専用のヘラは、東京も群馬も同じものを使用する。味付けは、タネの中に直接、ソースまたは醤油を入れる。伊勢崎市では、隠し味としてかき氷に使われるイチゴシロップを入れ甘辛くすることが多いようである。カレー粉を入れた「辛」もある。東京の浅草を基点とする東武伊勢崎線により、途中埼玉に伝播しつつ、浅草から群馬に伝わったとも言われている[誰?]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。[2]
埼玉県のもんじゃ
久喜市にはもんじゃ焼きはあるが、行田市にはない[3]。 1970年代、川越では駄菓子屋に鉄板のテーブルがあり、もんじゃ焼きは子供たちのおやつであった。
作り方
材料
近年の一般的なレシピ。
を基本として、
を好みにより加える。その他、汁にカレー粉を混ぜ込んだ『カレーもんじゃ』など、味付けをアレンジする人もいる。
ヘラ
通称「はがし」と呼ばれている「へら」は、幅20mm〜30mm、長さ10cm〜15cm(お好み焼き用のヘラは同じ形だがかなり大きい)のステンレス製。かつては東京・合羽橋の道具街などでしか購入できなかったが、最近では100円ショップなどで購入することができる。
ただし、ホットプレートで調理する場合は、ステンレスのヘラを使うとテフロンなどのコーティングを剥がしてしまうことがあるため、竹製や木製のスプーンなどを代用すると良い。
讃岐のもんじゃ焼き
香川県の讃岐にも「もんじゃ焼き」と呼ばれているものが存在する。戦後の香川県にはかけうどんに野菜と小麦粉を入れて焼く風習があり、他の地方のもんじゃ焼きとは異なり「讃岐のもんじゃ焼き」と呼ばれている。
- 特徴 - 讃岐うどんのダシが基本となる為、いりこと昆布ダシとうどんが入っている。
- 作り方・食べ方 - 基本的に関東地方と同じ作り方で、具材でどてをつくり、その後ダシを入れてよく混ぜ合わせ、水分を蒸発させる。焦がさずにとろっとした状態で食べる。
関連商品
- ユニオンソース - この銘柄の商品を使用するもんじゃ屋が比較的多い。
- ベビースターもんじゃ焼き - おやつカンパニーの地域限定商品。袋麺の様なパッケージに、発泡スチロールのトレイと食品が入っており、湯または水で練って食べる。
- ベビースターもんじゃ焼きせんべい - おやつカンパニーの地域限定商品。そのまま食べる菓子。
- ラメック - 東京の下町ではラーメン菓子の代名詞ともなっているトッピングの定番。すでに製造されていないが、群馬の駄菓子メーカーより、小売対象ではない業務用として極めて類似したベビーラーメン(ベビースターの旧名称とは異なる)がそのままの味で下町の一部問屋で扱われており、一部のもんじゃ屋でそれが用いられている。
脚注
- ^ 埼玉県川口市や草加市と、ごく一部足立区では「ぼった」「ぼってら」千葉県浦安市近辺の一部地域では昔から「ぼったら」と呼ぶ。浦安の「ぼったら」は、もんじゃ焼きとはやや異なり、固めでもちもちなのが特徴である。
- ^ 群馬県では、「発祥地は群馬であり特産品のうどんを作った際の余りのうどん粉を水で溶いて焼いたのが起源」としている。
- ^ 「行田にはフライと呼ぶ料理がある為」と言う説がある