鷲宮神社
鷲宮神社 | |
---|---|
所在地 | 埼玉県北葛飾郡鷲宮町鷲宮1丁目6番1号 |
位置 | 北緯36度6分0秒 東経139度39分18秒 / 北緯36.10000度 東経139.65500度 |
主祭神 |
天穂日命 武夷鳥命 大己貴命 |
社格等 | 准勅祭社・県社・別表神社 |
創建 | 伝・紀元前148から紀元前29年 |
例祭 | 3月28日 |
鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)とは埼玉県北葛飾郡鷲宮町にある神社である。関東最古の大社(関東地方で最古という意味ではない)[1]とされる。天穂日命とその子の武夷鳥命、および大己貴命を祭神とする。
歴史
社伝によれば神代の昔、天穂日命が東国を経営するために武蔵国に到着し、天穂日命のお供の出雲族27人の部族と地元の部族が当地の鎮守として大己貴命を祀ったのに始まると伝える。その後、日本武尊の東国平定の際、別宮を建てて天穂日命と御子神の武夷鳥命を祀ったというが、延喜式神名帳や国史での記載はない。
また、別名を土師の宮(はにしのみや)ともいはれ、史実では、崇神天皇の時代に創建とされ、河内国から東国へ移住した土師氏が下総国浅草から利根川を上って当地に移住した際に先祖を祀ったのが起源ではないかとされる。
中世以降には関東の総社・関東鎮護の神社として東国の武家の崇敬を受けた。建長3年(1251年)、北条時頼が当社に奉幣祈願したことが『東鑑』にあるほか藤原秀郷・新田義貞・古河公方・関東管領の歴代上杉氏などが幣帛の奉納、神領の寄進、社殿の造営などを行っている。天正19年(1591年)、徳川家康が社領400石を寄進し、歴代の将軍も朱印状を発行して社領を安堵した(朱印地)。
江戸時代初期より明治時代初期まで神社所領は大内氏が治めた(所領約1000石)。江戸時代初期、徳川家光の日光東照宮参拝の際、利根川渡河の警備に参加した大内氏は家光が利根川に落水した際これを助けた。この功により本来ならば領地を加増されるところであったが、関ヶ原から間もない時期でその余裕もなかったためかその代わりに江戸城内での1万石の格式を与えられた。そのため江戸城への登城時は大名が通される部屋に通され、また大内氏の用人は江戸城内では「家老」待遇となったと伝えられる。
明治元年(1868年)、明治新政府により準勅祭社(東京十二社)の一社に指定された。
文化財
「土師一流十二座神楽」は関東神楽の源流とされ、国指定の重要無形民俗文化財に指定されている。ほかに太刀、銅鏡、古文書などの国・県指定文化財がある。