コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

芝 (東京都港区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。芝区民 (会話 | 投稿記録) による 2007年12月22日 (土) 16:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(しば)は、東京都港区にある地名。現在の住居表示では一丁目から五丁目まである。当地域の人口は、10,804人(2007年11月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。狭義には現在の住居表示の町名(芝一~五丁目)を指す。また、広義には旧東京市芝区の範囲全域を指す。かつての芝区の範囲とは、現在の港区の範囲のうち、赤坂青山麻布六本木を除くすべての地域のことである。本稿ではおもに現行の芝について述べる。

概要

港区の東部に位置し、町域内にJR山手線京浜東北線田町駅都営地下鉄浅草線三田線三田駅があり、交通の要所となっている。田町駅・三田駅周辺を中心として商業地・飲食店街・ビジネス街として栄えており、大通りの裏には古くからの住宅街も混在している。最近では再開発にともない、NECスーパータワーNEC本社)・セレスティンホテル中央三井信託銀行本社などの大型ビルが増えている。

歴史

  • 戦国時代までに、荏原郡柴村として成立する。柴村は後に豊島郡の所属となる。
  • 江戸時代初期、柴村は急速に発展し、柴町・芝町とも呼ばれるようになる。またこの頃から、柴村の周辺地域も「芝」と呼ばれるようになる。
  • 寛文2年(1662年)、豊島郡柴村が町奉行支配となり、本芝7ヶ町が成立する(本芝一~四丁目・本芝入横町・本芝下タ町・本芝材木町)。また同時に荏原郡金杉町・荏原郡上高輪村も町奉行支配となり、金杉11ヶ町(芝金杉通一~四丁目など)・芝田町などが成立する。
  • 明治元年(1868年)、東京府成立にともない、当地域は東京府の所属となる。
  • 明治2年(1869年)、芝金杉地区に町域統廃合が行われ、芝金杉一~四丁目・芝金杉川口町などが成立する。
  • 明治11年(1878年)、芝区の成立に伴い、当地域は東京府芝区の所属となる。
  • 明治22年(1889年)、東京市成立にともない、当地域は東京市芝区の所属となる。
  • 明治44年(1911年)、町名より「芝」の冠称が省かれる。
  • 昭和22年(1947年)、芝区が麻布区赤坂区と合併して新たに港区が成立する。それにともない町名に再び「芝」の冠称がつく。
  • 昭和39年(1964年1月1日住居表示の実施に伴い、本芝地区・芝金杉地区・芝三田四国町などを併せて現在の芝一~五丁目が成立する。

住居表示実施前後の町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
芝一丁目 1964年1月1日 芝金杉一~四丁目、芝金杉浜町、芝金杉川口町
芝二丁目 芝金杉一~四丁目、芝金杉河岸、芝新堀町、芝新堀河岸、芝西応寺町、芝三田四国町
芝三丁目 芝新堀町、芝新堀河岸、芝松本町、芝三田四国町
芝四丁目 本芝一~四丁目、本芝入横町、本芝下町、本芝材木町、芝三田四国町
芝五丁目 本芝四丁目、本芝入横町、芝田町一~三丁目、芝三田四国町、芝三田同朋町、芝通新町、芝横新町

芝区

芝区は現在の港区の前身となった3つの区(芝区・赤坂区・麻布区)のひとつである。明治11年(1878年11月2日郡区町村編成法によって発足した。その範囲は、現在の港区の範囲のうち、赤坂青山麻布六本木を除くすべての地域にほぼ一致する。

芝区の沿革

  • 明治11年(1878年11月2日郡区町村編成法によって発足し、東京府の所属となる。芝区成立時の人口は58,861人、戸数は14,757戸。
  • 明治22年(1888年5月1日、東京府に市制・町村制が施行され、東京市が発足。芝区は東京市に所属し、東京市芝区となる。
  • 昭和4年(1929年)、芝区役所が芝公園6号地(現在の港区役所所在地)に移転する。
  • 昭和18年(1943年7月1日東京都制施行により、東京府と東京市は廃止され東京都が発足。芝区は東京都芝区となる。この頃の芝区の人口は191,445人(昭和15年)。
  • 昭和20年(1945年)、数回にわたる東京大空襲により、区内の68,000人以上が罹災する。
  • 昭和22年(1947年3月15日:芝区・麻布区・赤坂区の3区が合併して新たに港区が発足し、芝区は消滅する。同時に旧芝区の町名にすべて「芝」の冠称がつけられる(本芝地区を除く)。

地区内の施設・名所

芝二丁目
芝三丁目
芝四丁目
芝五丁目

関連項目

ギャラリー

');