芝 (東京都港区)
表示
このページの名前に関して「芝 (東京都港区)」への改名が提案されています。 議論はノート:赤坂 (東京都)を参照してください。エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。 |
芝(しば)は、東京都港区にある地名。現在の住居表示では一丁目から五丁目まである。当地域の人口は、10,804人(2007年11月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。狭義には現在の住居表示の町名(芝一~五丁目)を指す。また、広義には旧東京市芝区の範囲全域を指す。かつての芝区の範囲とは、現在の港区の範囲のうち、赤坂・青山・麻布・六本木を除くすべての地域のことである。本稿ではおもに現行の芝について述べる。
概要
港区の東部に位置し、町域内にJR山手線・京浜東北線の田町駅と都営地下鉄浅草線・三田線の三田駅があり、交通の要所となっている。田町駅・三田駅周辺を中心として商業地・飲食店街・ビジネス街として栄えており、大通りの裏には古くからの住宅街も混在している。最近では再開発にともない、NECスーパータワー(NEC本社)・セレスティンホテル・中央三井信託銀行本社などの大型ビルが増えている。
歴史
- 戦国時代までに、荏原郡柴村として成立する。柴村は後に豊島郡の所属となる。
- 江戸時代初期、柴村は急速に発展し、柴町・芝町とも呼ばれるようになる。またこの頃から、柴村の周辺地域も「芝」と呼ばれるようになる。
- 寛文2年(1662年)、豊島郡柴村が町奉行支配となり、本芝7ヶ町が成立する(本芝一~四丁目・本芝入横町・本芝下タ町・本芝材木町)。また同時に荏原郡金杉町・荏原郡上高輪村も町奉行支配となり、金杉11ヶ町(芝金杉通一~四丁目など)・芝田町などが成立する。
- 明治元年(1868年)、東京府成立にともない、当地域は東京府の所属となる。
- 明治2年(1869年)、芝金杉地区に町域統廃合が行われ、芝金杉一~四丁目・芝金杉川口町などが成立する。
- 明治11年(1878年)、芝区の成立に伴い、当地域は東京府芝区の所属となる。
- 明治22年(1889年)、東京市成立にともない、当地域は東京市芝区の所属となる。
- 明治44年(1911年)、町名より「芝」の冠称が省かれる。
- 昭和22年(1947年)、芝区が麻布区・赤坂区と合併して新たに港区が成立する。それにともない町名に再び「芝」の冠称がつく。
- 昭和39年(1964年)1月1日、住居表示の実施に伴い、本芝地区・芝金杉地区・芝三田四国町などを併せて現在の芝一~五丁目が成立する。
住居表示実施前後の町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
芝一丁目 | 1964年1月1日 | 芝金杉一~四丁目、芝金杉浜町、芝金杉川口町 |
芝二丁目 | 芝金杉一~四丁目、芝金杉河岸、芝新堀町、芝新堀河岸、芝西応寺町、芝三田四国町 | |
芝三丁目 | 芝新堀町、芝新堀河岸、芝松本町、芝三田四国町 | |
芝四丁目 | 本芝一~四丁目、本芝入横町、本芝下町、本芝材木町、芝三田四国町 | |
芝五丁目 | 本芝四丁目、本芝入横町、芝田町一~三丁目、芝三田四国町、芝三田同朋町、芝通新町、芝横新町 |
芝区
芝区は現在の港区の前身となった3つの区(芝区・赤坂区・麻布区)のひとつである。明治11年(1878年)11月2日、郡区町村編成法によって発足した。その範囲は、現在の港区の範囲のうち、赤坂・青山・麻布・六本木を除くすべての地域にほぼ一致する。
芝区の沿革
- 明治11年(1878年)11月2日、郡区町村編成法によって発足し、東京府の所属となる。芝区成立時の人口は58,861人、戸数は14,757戸。
- 明治22年(1888年)5月1日、東京府に市制・町村制が施行され、東京市が発足。芝区は東京市に所属し、東京市芝区となる。
- 昭和4年(1929年)、芝区役所が芝公園6号地(現在の港区役所所在地)に移転する。
- 昭和18年(1943年)7月1日:東京都制施行により、東京府と東京市は廃止され東京都が発足。芝区は東京都芝区となる。この頃の芝区の人口は191,445人(昭和15年)。
- 昭和20年(1945年)、数回にわたる東京大空襲により、区内の68,000人以上が罹災する。
- 昭和22年(1947年)3月15日:芝区・麻布区・赤坂区の3区が合併して新たに港区が発足し、芝区は消滅する。同時に旧芝区の町名にすべて「芝」の冠称がつけられる(本芝地区を除く)。
地区内の施設・名所
- 芝二丁目
- 芝三丁目
- 芝四丁目
- 芝五丁目