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岡村隆史

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岡村隆史
本名 岡村 隆史
生年月日 (1970-07-03) 1970年7月3日(54歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市東淀川区
言語 日本語
コンビ名 ナインティナイン
立ち位置
事務所 吉本興業
活動時期 1990年 - 現在
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岡村 隆史(おかむら たかし、1970年7月3日 - )は、日本お笑い芸人漫才コンビ「ナインティナイン」のボケ担当である。相方は矢部浩之吉本興業所属で、吉本総合芸能学院の第9期生。大阪府大阪市東淀川区出身。身長156cm、体重48kg。独身。

身体能力の高さを生かしたコミカルな動きや顔芸などビジュアル的な笑いを得意とする。

来歴・エピソード

受賞歴・出演歴についてはナインティナインを参照。

  • 身長156cmだが、岡村家(ちなみに長男)では一番身長が高いという。この低い身長から、少年時代に競馬騎手にならないかと誘われたことがある。2000年JRAのCMキャラとして、新人騎手を演じた。相方の矢部は173.2cm(番組内健康診断で)と平均的だが、岡村が比較的低い為、矢部は「ナイナイの背の高い方」と言われている。
  • 普段は口数が少なく、無口な性格である。「褒められて伸びるタイプ」と言われる。
  • 好きな女性のタイプは透明感のある女性。
  • 結婚についてはかなり真面目に考えており、できちゃった結婚は絶対に許せないようで、できちゃった結婚で結婚するタレントが報道されると、必ずといっていいほど直後のナインティナインのオールナイトニッポンで注意する。
  • 嫌いな食べ物は納豆、とろろ。
  • 実妹に娘がいるため、正真正銘の”おじさん”になってしまった。大泉洋と飲んだ際に、携帯電話に甥っ子の画像をたくさん保存しているのを色々みせて自慢したことを、後日大泉洋のラジオで暴露された。
  • おニャン子クラブの熱烈なファンであり、一番好きな新田恵利(会員番号4番)の結婚発表を知り涙した事がある。
  • 柏原芳恵の大ファンであり、自身の番組『めちゃ×2イケてるッ!』で突然『ハロー・グッバイ』をフリ付きで歌い出したり、『ディスカバ!99』では柏原をゲストに招くようスタッフに懇願し、収録当日、柏原に熱いラブコールをおくっていた。
  • 運転免許はAT限定、愛車はアルファロメオ・166。アルファロメオを愛用していた加藤浩次から勧められたらしい。
  • テレビに出始めた頃はよく「岡本」と間違えて呼ばれていた。アントニオ猪木は現在でも「岡本君」と呼んでいるが、本人たちは面白がってあえて否定していない。
  • 小学生の頃、体操教室に通っていた。同じ教室にはオリンピックメダリストとなった男子体操の西川大輔も通っていた。
  • 実家が歌手の相川七瀬の実家と至近距離にあり、同じ東淀中学である。
  • 2級船舶免許を取得している。
  • 番組内で「ブッブッキュッ」という持ちギャグを作り、当初はかなりウケたのだが自ら使用することも少なくなり1年程度で闇に葬られることとなった。
  • 沖縄によく足を運んでいるらしく、大好きな土地としている。


中学生時代

高校・大学時代

  • 大阪府立茨木西高等学校に進学し、ディエゴ・マラドーナに憧れサッカー部に入部。同部の1学年先輩に矢部浩之の実兄・矢部美幸(現:ファンタスタープロモーション社長)がいた。2年生時に矢部浩之が後輩として入部し、先輩後輩として付き合いが始まる。当時の友人たちとは卒業後も付き合いがあり、ラジオ番組の中でもコンビの共通の話題として度々ネタにしている。
  • 立命館大学経営学部第二部(夜間部)、関西外国語大学大阪芸術大学に合格。本人は大阪芸術大学に進みたかったが、父の勧めで立命館大学経営学部第二部(夜間部)へ進学。相方の矢部に誘われて吉本興業のタレント養成所・NSCに入所し、大学は1回生で中退した。そのため、岡村の父は「隆史をヤクザの世界へ連れ込みおって、矢部を絶対に許さん」と激怒し、矢部のことを長年嫌っていたという。茨木市内のローソンで2年間深夜のアルバイトをしていた。
  • 1年新学期のオリエンテーションの自己紹介で、得意のブレイクダンスを披露し人気者になる。高校時代のあだ名は"ダンサー"。

東京進出

1990年
矢部浩之ナインティナインを結成。吉本印天然素材に参加し東京進出。
1992年
第13回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞。感極まった岡村は司会の桂三枝にインタビューされると号泣した。
1994年
ナインティナインのオールナイトニッポン』が放送開始。
1996年
めちゃ²イケてるッ!』が放送開始。
1999年
ASAYAN』収録中、ハエを捕まえようとして転倒し右肩を骨折。
2000年
スキミングによるカード犯罪に巻き込まれ、60万円相当の被害にあう。
2004年
3月末に自宅マンションが空き巣の被害に遭うが、幸い被害品はなかった。本人の証言によると、その後同じ犯人が再び岡村宅に侵入しようとしたらしい。このときは管理人のお陰で被害はなかったという。

私生活

人見知りの一匹狼

トークで散見されるが、岡村は極度の人見知りであり、人間嫌いのところがある。芸能界の友人が多い矢部とは対照的に、他人に対してなかなか心を開かないので芸能界の友人は少ない。以前はそれほど人見知りではなかったが東京進出後、先輩から受けた数々の理不尽なイジメのような扱いが影響しているようである。今でも「東京は怖い」と考えている。相方の矢部はそのイジメは受けなかった。人見知りは女性関係にも現れており、友人・彼女を作るというのが苦痛であるらしい。 カメラが回っているとき(アッパー)とそれ以外(ダウナー)との落差が非常に大きく、その差を他の芸人からネタにされることがある。海外生活のため、そのことを知らなかった大橋巨泉から「お前(収録前と)全然性格が違うなぁ」とからかわれたときは必死に否定していた。最近はそれをネタにしている。

スキャンダル

1993年に『とぶくすり』で共演した『ひらけ!ポンキッキ』の元お姉さん・橘いずみと肉体関係にあったという噂まであったが事実ではないようである。

巨乳女釘師

"女釘師"なるパチンコ絡みでタレント的な活動を多少していた素人女性に、スキャンダルをでっちあげられた。マスコミからの取材に対して関係をにおわせる発言を一方的にしたことから、岡村は「今度街で会ったら殴ってしまうかもしれん」と怒りを露にした。

1998年9月に女性雑誌にて岡村と葉月が交際しているとの記事が掲載された。当時のオールナイトニッポンで岡村が否定し、矢部も「まずありえない」と発言。その後、ラジオにゲストで登場した前田忠明にも強く突っ込まれるが、「(葉月とは)会ってない! 会ったら会ったといいます!」と断言する岡村。1999年10月の週刊誌にて岡村が葉月を振ったと報道される。翌週葉月が『おしゃれカンケイ』内でこれを認めてしまったため、岡村もオールナイトニッポンで「自分が振られた話ならいくらでも出来るが、振った話は相手に迷惑が掛かるので嘘をついていた。初対面にも関わらず『付き合ってください』と言われ、『無理ですわ…』とお断りした」と記事を認める。尚、相方の矢部や当時のマネージャーには会った事すら内緒にしていた。

2006年1月には先述の熊田曜子との熱愛報道があったが、この報道により「もう(熊田曜子を)誘われへんわ」とオールナイトニッポン内で告白した。熊田の名前を聞くと、特に出川哲朗に対して「名前を言うなや」と激怒する。出演番組では相方や芸人仲間たちから再三ネタにされている。2006年3月28日放送の『踊る!さんま御殿!!』に熊田が出演したが、週刊誌のスキャンダルが出て以来、連絡はまったく取っていないらしい。

独身貴族のオナニー伯爵

交友関係

テレビではよく、「芸能人に親友がいない、唯一の親友は矢部浩之だけだ」と言っているが、親友かどうかはともかくかなりの人物との交友がある。お笑い仲間では雨上がり決死隊出川哲朗今田耕司東野幸治加藤浩次濱口優光浦靖子品川祐などとはたまに遊びに行ったりする仲。何度か先輩の松本人志と飲みに行ったことがあるらしいが、関係を深くするまでには至らなかった。ほかのジャンルでは国分太一中居正広福山雅治加藤晴彦などと遊んだ時期もある。女優の黒谷友香と食事に行ったことも。お笑い芸人仲間は多いが、やはり遊ぶことは比較的少ない。 めちゃイケでの横峯さくらとの対決企画をきっかけに最近はゴルフにはまり、東野幸治、出川哲朗、蛍原徹田村亮原西孝幸FUJIWARA)などとゴルフへよく行く。このメンバーは「東野ゴルフクラブ」と呼ばれている。まれに横峯良郎ともゴルフをする。

オセロ中島知子国分太一とは仲が良く、よく食事をし、泥酔姿を見せるほど心を許している。カラオケなどにも行く。井筒和幸監督とも仲が良い。

芸能界以外では茨木西高時代の友人で在京の人達とは今でも誕生日を祝いあう仲。番組スタッフと飲みに行ったりすることもあるようだ。

女性誌のan・anで「ケチなタレント」第2位に選ばれた通り、相方矢部とは違い金銭に関してはケチである。

時々実家から父親が泊まりに来るが、勝手に台所や部屋の掃除をし、岡村の大切にしているものを捨てたりして怒られている。親子仲は良く、岡村は収入を全て親に管理してもらっており、そこから生活費や小遣いをもらっている。高い買い物には親の許可が必要で、これは「岡村家では昔からそうやった」とのことで本人もそれほど不満はない模様。ただし「DVDデッキぐらいは勝手に買ってもええんちゃうんか」と発言している。

COWCOWの多田と仲が良く、後輩なのに多田が率いる「多田軍団」に入っている。

ファッション

毎年、年末になると新年に新しく着る洋服を買っている。ご近所に「岡村さんちのボンボン、帰ってきはったわ」と言われる為とのこと。昔は家族で買っていたが、東京に住みだしてからはスタイリストさんに選んでもらっている。自分で買う場合は、濱口優のファッションを参考にしている。本人によれば普段は面倒くさいためジャージ姿が多く、リーバイスのジーンズは夜な夜な自宅の部屋ではいている。最近は、ジーンズが最もオシャレと思い込んでいる。おしゃれさんである相方、矢部浩之を「ステューシーさん」「ポロラルフローレン君」「ローレックス」「吉本のブラピ」などと嫉妬心を抱きながら小バカにしている。おしゃれには憧れがあり、車を運転する時にはサングラスをかけている。

趣味

漫画
一定期間ごとに、ハマっては、ラジオで熱弁している。
ガンプラ作り
ラジオ番組で中村俊介と一度ガンプラ討論をしたことがあった。一年戦争が特にお気に入りだそうである。
釣り
父の影響で始めた。『ぐるナイ』で趣味の釣りをテーマとした企画を年に数回放送するほどである。
ゴルフ
2005年に『めちゃイケ』の企画で横峯さくらと対決して以降、夢中になっている。
スキューバダイビング
沖縄でスキューバダイビングをすることが多い。2006年夏には何度も沖縄に渡り、スキューバを楽しんでいる。同時期にサーフィン、モデルガン、クワガタ飼育にもハマったことがあるが、長続きはしてない模様。
テレビゲーム
ジャンルを問わず、幅広くプレイしている。一時期『ときめきメモリアル』に熱中し、全く興味を示さない矢部に対し、その面白さについて熱弁を振るったがすぐに飽きたようだ。そのほか、オールナイトニッポンでは「岡村隆史のバイオ2倶楽部」という短期コーナーを持っていた。
音楽鑑賞
学生時代から久保田利伸の大ファン。また渡辺美里の『My Revolution』が最も好きな邦楽曲である。

長らくインドア派であったが、パソコンインターネットiPodなどのような近年の情報技術情報機器の扱いには意外なほど疎い。ブログにも若干の興味を示しつつも実際に開設するまでには至らず、「ラジオがブログ代わり」とまで発言している。

口癖

岡村隆史には「オールナイトニッポン」などのトーク中、ある一定の言葉に反応して芋蔓式に口にしておかないと気が済まないフレーズがいくつかあり、そのときに最後までちゃんと口に出して言っておかないとスッキリしないらしい。

  • 「なんていうんですか」、「○○感」→「なんていうんですか○○感」(※「○○感」の部分は「緊張感」、「充実感」、「満腹感」などがあてはまる。DA PUMPのデビュー曲「Feelin' Good」の「なんていうんですか緊張感」という歌詞からきていると思われる)
  • 「~だろう」、「~かもしれない」→「だろう運転」、「かもしれない運転」
  • m.c.A・T」→「アイムm.c.A・T」
  • 三浦知良」→「カズ、三浦カズ」
  • 「なんちゅうの」、「なんちゅうのかな~」(話の途中で適切な表現などを探る時)
  • 「水・カンパン・ラジオ」(災害関連の話になると必ず口にする)
  • 「頑張って下さいや。」(全く激励する気が無いときに無感情で発する。逆に本当に激励したい場合は、「頑張って下さいよ。」と発する。)
  • 「ネセラセラのケセラセラ」

その他、自分が他人から見下されている、高圧的な態度をとられていると感じたときは「僕は○○を逆に下に見ています」と宣言する。ただし、基本的に被害妄想の場合が多い。ゲストが若手俳優や俳優業に進出したばかりの芸人などの時に、話題が芝居や演技のことに及ぶと「僕はブルーリボン新人賞を獲ってね…」などと過去の栄光を自慢し先輩風を吹かせようとするボケがお約束になっている。センター入試の直前など受験シーズンには受験生へのアドバイスとして、金八先生のセリフを引用して「鉛筆を2本持っていけ」など毎年ほぼ同じことを口にする。

映画

CM

CD

外部リンク

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