コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

五嶋みどり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。洋ビール党 (会話 | 投稿記録) による 2007年8月15日 (水) 14:24個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

五嶋 みどり(ごとう みどり、1971年10月25日 - )はアメリカ合衆国を拠点に欧米で活躍するヴァイオリニスト大阪府出身。

デビューまで

現代における人気ヴァイオリニストの一人。海外では “Midori” として知られているが、これは彼女自身が両親の離婚を機に苗字を省いたのが起源。2歳の時、ヴァイオリニストであった母親が数日前に練習していた曲を正確に口ずさんでいたことからその絶対音感が見いだされ、母親によるヴァイオリンの早期英才教育が始まる。6歳で初めてステージに立ち、パガニーニの『カプリス』を演奏した。1982年に母親に連れられて渡米、ニューヨークジュリアード音楽院において高名なドロシー・ディレイ教授の下でヴァイオリンを学ぶ(入学オーディションではバッハの『シャコンヌ』を通しで演奏して審査員を驚かせた)。早くもその年、ズービン・メータ指揮のニューヨーク・フィルハーモニックと共演して米国デビューを果たす(メータとはその後もソニー・クラシックにおいて協奏曲の録音で共演している)。

ブレイク

1985年はソロリストとしてはばたく画期的な年となる。いまや語り草となった事件はこの年のタングルウッド音楽祭で起きた。レナード・バーンスタイン指揮のオーケストラと共演した際、その力強い演奏でE線を二度も切るというアクシデントに見舞われながらも、コンサートマスターから、そしてアシスタントコンサートマスターからと、次々に素早くヴァイオリンを借りて演奏を完遂。これにはバーンスタイン自身も彼女の前にかしずき、驚嘆と尊敬の意を表した。翌日のニューヨーク・タイムズ紙には、「少女、14歳、ヴァイオリン3艇でタングルウッドを征服」の見出しが一面トップに躍った。

社会事業の展開

15歳で自らの意志によりジュリアード音楽院を中退。早くから社会事業に関心を持ち、1992年には教育環境が行き届かない都市部の公立校に通う生徒を対象に、音楽の楽しさを伝える非営利団体「ミドリ&フレンズ」を設立。2001年には傑出した音楽家のみに贈られる栄誉あるエイヴリー・フィッシャー賞を受賞、その賞金をもとに「パートナーズ・イン・パフォーマンス」基金を設立する。その後もより地域コミュニティーに根ざした「ユニバーシティー・レジデンシー・プログラム」と「オーケストラ・レジデンシー・プログラム」を次々に立ち上げる。

大学の卒業から現在

2001年心理学を専攻していたニューヨーク大学ガラティン校を「最優等」で卒業。最近では南カリフォルニア大学ソーントン校音楽部の「ヤッシャ・ハイフェッツ音楽講座」における講師に招聘されている。一年を通しての国際的な演奏活動に加え、現在は修士論文を執筆、また全米弦楽器教師協会の理事も勤める。

得意分野

得意とするレパートリーはモーツァルトシベリウスの協奏曲、パガニーニの『24のカプリース』全曲およびその他の協奏曲、ベートーヴェンフランクのヴァイオリンソナタ。またエルガーのヴァイオリンソナタやシマノフスキのヴァイオリン曲集など、珍しいレパートリーの開拓にも意欲的。

ヴァイオリン

愛用のヴァイオリンは1734年製グァルネリ・デル・ジェズー “エクス・フーベルマン”。異父弟もヴァイオリニストだが、姉ほどの才能はない。

外部リンク

');