西村眞悟
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西村 眞悟(にしむら しんご、1948年7月7日 ‐ )は、日本の政治家、元弁護士(大阪弁護士会に所属していた)。衆議院議員(5期)。
衆議院議員 西村 眞悟 | |
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生年月日 | 1948年7月7日 |
出身地 | 大阪府堺市 |
出身校 | 京都大学法学部卒業 |
学位・資格 | 法学士 |
前職 | 弁護士(資格剥奪) |
所属委員会 |
衆・安全保障委員会委員 衆・災害対策特別委員会委員 |
世襲 |
2世 父・西村栄一(衆議院議員) 岳父・岡澤完治(衆議院議員) 従兄弟・西村章三〈衆議院議員〉 |
選出選挙区 | 比例近畿ブロック(大阪17区) |
当選回数 | 5回 |
所属党派 | 無所属 |
党役職 | ‐ |
会館部屋番号 | 衆・第2議員会館417号室 |
ウェブサイト | 西村眞悟ホームページ |
概要
- 大阪府堺市出身。父は民社党第二代委員長を務めた西村栄一。
- 大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎、京都大学法学部卒業。神戸市職員、82年司法試験合格し司法修習生(37期、同期に稲田朋美)、85年弁護士登録、連合大阪顧問弁護士を経験。
- 92年第16回参議院議員通常選挙に大阪選挙区から連合候補として出馬し落選、93年第40回衆議院議員総選挙に旧大阪5区から民社党公認・新生党推薦で出馬し初当選。同じ選挙区には同じ大阪弁護士会の公明党現職北側一雄。北側は再選し翌年西村と共に新進党結党参加、96年揃って小選挙区勝利
- タカ派的で歯に衣着せぬ過激な発言が多く、そのためか、最近はテレビへの出演も目立った。問題行動・問題発言も多かったものの、北朝鮮による日本人拉致問題には早い時期から積極的に取り組み北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟の幹事長であった。
- 1996年 - 予算委員会にて実名で前出の拉致問題を取り上げる。
- 1997年5月6日 - 「日本固有の領土である」として、尖閣諸島魚釣島に仲間3人と視察を行った。
- 1999年 - 第二次小渕内閣で防衛政務次官。直後に核抑止力と戦争の関係を強姦に例え「核武装は法と同様の抑止力。罰せられないのなら俺らみんな強姦者になる、やらないのは抑止力がある(=核での応戦を受ける)から」(→核武装論)と週刊誌上で発言。さらに辻元清美・衆議院議員(社民党)の抗議を受けたことに対し「『お前が強姦されとっても助けてやらんぞ』と言ってやった」と非武装論を非難する発言をしたが、性犯罪に対し意識が軽いとして非難を受け、11月に次官を辞任。翌年総選挙では比例復活
- 2005年9月15日 - 民主党両院議員総会で郵政民営化に絡み「国民をマネーゲームに駆り立てた小泉純一郎は狙撃されても仕方がない男」と発言。直後に撤回。
- 2005年11月18日 - 法律事務所元職員らによる弁護士法違反容疑(非弁行為)にて、個人事務所などの家宅捜索を受ける。元職員らは逮捕された。
- 2005年11月28日 - 弁護士法違反(非弁行為の容認―名義貸し)により逮捕。
- 2005年11月29日 - 民主党常任幹事会が除籍(党除名)処分と議員辞職勧告を決定した。無所属となる。同日、裁判官訴追委員を辞職した。本人は「拉致問題解決に力を注がねばならない」と議員辞職しないことを表明。
- 2005年12月18日 - 組織犯罪処罰法違反(犯罪利得の収受)で再逮捕。
- 2006年3月17日 - 議員辞職勧告決議が衆議院で可決された。
- 2006年9月26日 - 総理大臣指名選挙では、新進党~自由党~民主党と同志だった現職の民主党代表小沢一郎ではなく、93年衆院初当選同期で同じ超保守で親しかった自由民主党総裁に就任間もない安倍晋三を支持した。
- 2007年2月7日 - 弁護士法違反で、大阪地裁にて、懲役2年執行猶予5年の有罪判決、組織犯罪処罰法違反では無罪。同月22日、確定。(禁固刑以上の罪の確定で弁護士資格剥奪確定)
その他
- 親台派で金美齢と深い交友関係にある。
- 弁護士としては上海列車事故の遺族側弁護団の一員として現地調査に参加。
- 「ビートたけしのTVタックル」や「たかじんのそこまで言って委員会」などのテレビ番組の出演も多かった。日本文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!767ch)の番組『西村眞悟の「眞悟十番勝負!」』にも出演。
- 2003年、「建国義勇軍」を名乗るテロ団体「日本人の会」の顧問をしていた事が分かり物議を醸す。なお、この「日本人の会」は一般的に「刀剣友の会」と報道されているが、これは明かな間違い。「刀剣友の会」は建国義勇軍事件の主犯・村上一郎が当時会長を務めていた刀剣・ナイフ販売会社「株式会社日本レジン」のカタログ誌「月刊刀剣・ナイフ情報」の購読者組織の名称(要するに、購読者名簿を社内でそのように呼んでいただけ。)であり、村上一郎がこのカタログ誌上で同志を募って結成したのが「日本人の会」である。建国義勇軍事件を起こしたのは、この「日本人の会」の会長以下役員たちであり、西村眞悟は顧問として頻繁にこの「日本人の会」の会合に出席していた(「月刊刀剣・ナイフ情報」には、旅館の宴会場で行われた「日本人の会」の宴会で挨拶をする西村眞悟の写真が掲載されていた。)。
- 2002年に情報プレゼンター とくダネ!に出演していた際に「日本人はランボーの気概で臨まなあかん。」とシルベスター・スタローンの映画のヒーローになぞらえて持論の再軍備・北朝鮮侵攻を展開していた。これに対してレギュラーコメンテーターのデーブ・スペクターからは「あなたのほうがランボー(乱暴)だよ。」と駄洒落で噛み付かれていた。
- アメリカの強い姿勢を良しとする一方で、核武装議論の必要性を示唆し、「現行憲法はアメリカに押し付けられたもので、大変迷惑」と発言。
- 1999年に朝まで生テレビ!に出演していた際、自身の信条を指摘した司会の田原総一朗を罵った。田原は、後に雑誌での「核武装・強姦」発言による防衛政務次官辞職の際に、「起きるべくして起きた。」と発言する。
- 2002年6月放送の朝まで生テレビ!にて、議論の途中で唐突に、出席者の一人である日本共産党所属の国会議員・穀田恵二に対し、「共産主義者は母国が日本じゃない」と指摘。この日の議題は、石原慎太郎総理待望論の是非についてであり、共産主義・共産主義者の是非は一切槍玉に上がっていなかった。討議内容の前後の流れと、共産主義者云々発言とは何ら関連性はなかった。
- 全国犯罪被害者の会幹事・本村洋を支援している。
- 2004年2月25日に議員連盟「教育基本法改正促進委員会」設立総会のあいさつで「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子ども達に教える。これに尽きる」と発言した。内容が教育基本法改正反対派が懸念する軍国主義賛美と指摘された。
- 2005年その時の代表であった岡田克也を快く思っていなかったらしく、小泉首相の靖国参拝を批判する質問をした際、それを中華人民共和国寄りの発言として「中国(中華人民共和国)の代弁者をした奴が総理になれるはずが無い!! あんな奴はスーパーマーケットを経営しとったらええねん!!」と批判した(岡田はイオングループの御曹司である)。
- 2006年4月現在、民主党常任幹事会より、また衆議院からも議員辞職勧告が決議されているが、これらの勧告や決議には法的拘束力がないため、西村議員は採決で反対した上で、「国政の任務を放棄できず、辞めることはできない」と議員辞職を否定している。
- 維新政党・新風の党友でもある。
- 民主化要求を弾圧する軍事独裁政権として欧米から批判を受けているミャンマーと関係が深い。日本・ミャンマー友好議員連盟の幹事長を務めている。
- 日本人の武器所持合法化を促すかのような答弁を国会で行い、話題を呼んだことがある。
一族
家庭・親族
文献
著書
- 『亡国か再生か : 自虐50年の戦後日本から脱却する』展転社、1995年12月、ISBN 4886561179
- 『誰か祖国を思わざる : 政治家の使命とは何か』クレスト社、1997年5月、ISBN 4877120556
- 『海洋アジアの日出づる国』展転社、2000年1月、ISBN 4886561756
- 『誰が国を滅ぼすのか : 靖国、憲法、謝罪外交』徳間書店、2001年9月、ISBN 4198614172
- 『闘いはまだ続いている』展転社、2003年7月、ISBN 4886562302
- 『真悟の憂国』高木書房、2005年4月、ISBN 4884710681
共著
- 『この日本をどうする : 再生のための10の対話』石原慎太郎著、西村真悟他述、文藝春秋、2001年3月、ISBN 4163572406
- 『国益会議 : 「アメリカ一極支配時代」を日本はいかに生き抜くか』日下公人他著、PHP研究所、2003年7月、ISBN 4569629237
外部リンク
- 西村眞悟ホームページ(公式サイト)
- 西村塾(西村眞悟の信条及び行動に共感した青年同志によって結成された塾の公式サイト)
- 西村塾東京支部LOG(西村塾東京支部の公式ブログ)
- 真悟の会・堺(西村眞悟の地元堺市後援会組織)
- 闘う代議士、西村眞悟(国際派日本人養成講座)