コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

武田信清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。わしやで (会話 | 投稿記録) による 2007年2月14日 (水) 05:47個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

武田 信清(たけだ のぶきよ、永禄3年(1560年) - 寛永19年3月21日1642年4月20日))は戦国時代の武将。武田信玄の六男(七男とも)。母は禰津御寮人と言われるが確証はない。異母姉に菊姫(上杉景勝室)がいる。幼名は大勝。

1582年武田氏滅亡後、姉の縁を頼り上杉氏に寄寓し、そのまま上杉氏に仕え、高家衆筆頭として3300石を賜った。1642年、83歳で死去。法名は虎山玄竜居士。

関連項目

');