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蒔田俊親

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薪田 俊親(まきた としちか、生没年不詳)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師

来歴

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菊池容斎の門人[1]。俗称は直太郎。東雷、三斎堂と号す。東京の人、麹町三軒家、広尾町に住む。小林清親にも絵を学んだという。作画期は幕末から明治の頃にかけてで、仏画人物画花鳥画などを描く。『浮世絵師便覧』には「魚類の錦絵あり」とある。

作品

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  • 「北斎集画」 大判錦絵揃物 ※明治18年(1885年)。「范額女勇力図」、「鬼若丸三井寺奪図」、「忠盛一老僧捕図」、「文覚荒行之図」など
  • 「交張絵画 長生花猫之図」 大判錦絵 ※明治18年、小川多計
  • 「題名不詳(鷹と雀)」 大判錦絵 横浜美術館(小島烏水コレクション)所蔵
  • 「題名不詳(鯉の図)」 大判錦絵 横浜美術館(小島烏水コレクション)所蔵
  • 「題名不詳(船の図)」 大判錦絵 横浜美術館(小島烏水コレクション)所蔵

脚注

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  1. ^ 『浮世絵師便覧』207頁、『浮世絵師伝』129頁。

参考文献

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