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{{基礎情報 日本の神|名=肥長比売|全名=肥長比売(ヒナガヒメ)|神格=[[蛇神]]、[[雷神]]|配偶者=[[誉津別命|本牟智和気御子]]|神社=富能加神社</br>市森神社|記紀等=[[古事記]]|別名=肥長批賣命}}
'''ヒナガヒメ'''(肥長比売、肥長賣)は、『[[古事記]]』に伝わる人物、または[[神]]。
'''ヒナガヒメ'''(肥長比売、肥長賣)は、『古事記』に伝わる人物、または[[神]]。

== 概要 ==
== 概要 ==
『古事記』中巻の[[垂仁天皇]]条に登場する。『[[日本書紀]]』及び『[[出雲国風土記]]』には見られない。ヒ(肥)は[[斐伊川|肥河]]を表している{{Sfn|西郷|1988|pp=254-255}}。
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== 記述 ==
== 記述 ==
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本牟智和気御子が[[出雲国|出雲]]の大神([[大国主|葦原色許男大神]])を拝し、肥河で饗膳を受けた際に言葉が話せるようになった後、肥長比売と一夜の結婚をした。しかし、その美人(をとめ)をこっそり覗き見ると[[ヘビ|蛇]]だった。御子は畏れて逃げ出し、肥長比売はそれに傷ついて(本文:患、うれへ)海を光(て)らしながら船で追いかけてくる。そのため御子はますます畏れを感じ、山の鞍部から船を引いて越えていき、都へ逃げていった。{{Sfn|中村|2009|pp=126-128, 346-349}}

== 考証 ==
== 考証 ==
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「肥の河の[[竜]]蛇の姫」{{Sfn|尾崎|1966|p=392}}、「肥河の[[精霊]]としての蛇体の女神」{{Sfn|次田|1980|p=122}}の意とされ、海を光らしてやってくる行為は[[大国主の国づくり|国作り]]の段の[[大物主|三輪山の神]]にも見られる、蛇身と関連を持つ特徴である{{Sfn|西郷|1988|pp=254-255}}。また、[[雷神]]は蛇神と深く結びつけられることから、この行為を雷神の性格の具体化とし、ヒナガヒメを雷神と解釈する説もある{{Sfn|尾崎|1966|p=392}}{{Sfn|次田|1980|p=122}}。
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== 祀る神社 ==
== 祀る神社 ==
* 富能加神社([[出雲市|島根県出雲市]]所原町) - 主祭神
* 富能加神社([[出雲市|島根県出雲市]]所原町) - 主祭神

[[式内社]]の富能加神社に比定される。社伝には本牟智和氣尊が火中で誕生したためホナカ→ホノカになったとあるが、『出雲国風土記』の社名(保乃加社と記載)は地名に由来を持つ例が多いため、有力な説とは考えがたい。ホノカがホナカ・ヒナガに類似しているため、後世に『古事記』の伝承と結びつけられたと思われる。式内社の富能加神社に比定されるが、所原の地は[[古代]]は無人であった可能性があるため、稗原にある社(後述)も候補として挙げられている{{Sfn|藪|1983|pp=665-667}}。
[[式内社]]の富能加神社に比定される。社伝には本牟智和氣尊が火中で誕生したためホナカ→ホノカになったとあるが、『出雲国風土記』の社名(保乃加社と記載)は地名に由来を持つ例が多いため、有力な説とは考えがたい。ホノカがホナカ・ヒナガに類似しているため、後世に『古事記』の伝承と結びつけられたと思われる。式内社の富能加神社に比定されるが、所原の地は[[古代]]は無人であった可能性があるため、稗原にある社(後述)も候補として挙げられている{{Sfn|藪|1983|pp=665-667}}。

* 市森神社(島根県出雲市稗原町) - 合祀
* 市森神社(島根県出雲市稗原町) - 合祀
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[イザナミ]] - [[記紀]]に登場する男を追いかける女。
* [[イザナミ]] - [[記紀]]に登場する男を追いかける女。
* [[黄泉醜女|ヨモツシコメ]] - 同上。
* [[黄泉醜女|ヨモツシコメ]] - 同上。

== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [https://www.shimane-jinjacho.or.jp/izumo/df6b5ced0464e6b6fbd8dd750b7220c033bb2bb2.html 富能加神社 - 神社詳細 - 島根県神社庁]
* [https://www.shimane-jinjacho.or.jp/izumo/df6b5ced0464e6b6fbd8dd750b7220c033bb2bb2.html 富能加神社 - 神社詳細 - 島根県神社庁]

2024年2月7日 (水) 02:13時点における版

肥長比売

全名 肥長比売(ヒナガヒメ)
別名 肥長批賣命
神格 蛇神雷神
配偶者 本牟智和気御子
神社 富能加神社
市森神社
記紀等 古事記
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ヒナガヒメ(肥長比売、肥長批賣)は、『古事記』に伝わる人物、または

概要

『古事記』中巻の垂仁天皇条に登場する。『日本書紀』及び『出雲国風土記』には見られない。ヒ(肥)は肥河を表している[1]

記述

本牟智和気御子が出雲の大神(葦原色許男大神)を拝し、肥河で饗膳を受けた際に言葉が話せるようになった後、肥長比売と一夜の結婚をした。しかし、その美人(をとめ)をこっそり覗き見るとだった。御子は畏れて逃げ出し、肥長比売はそれに傷ついて(本文:患、うれへ)海を光(て)らしながら船で追いかけてくる。そのため御子はますます畏れを感じ、山の鞍部から船を引いて越えていき、都へ逃げていった。[2]

考証

「肥の河の蛇の姫」[3]、「肥河の精霊としての蛇体の女神」[4]の意とされ、海を光らしてやってくる行為は国作りの段の三輪山の神にも見られる、蛇身と関連を持つ特徴である[1]。また、雷神は蛇神と深く結びつけられることから、この行為を雷神の性格の具体化とし、ヒナガヒメを雷神と解釈する説もある[3][4]

男が姿を見て逃げ出す展開は黄泉国訪問に類似しており、見るなのタブーの形式を取る話であるとされる[1]が、本文ではホムチワケは明確に禁を課せられていないため、伝承者や古事記編纂者によって意図的な改変が施されているのではないかとの指摘もある[5]

古事記でホムチワケの出雲訪問にヒナガヒメとの異類婚姻譚が挿入されている点について、上述した禁が書かれていないことやヒナガヒメが「恥ぢ」ている[注 1]のではなく「患へ」ているという表記の相違、結婚したにもかかわらず子の誕生や豊饒をもたらすことなく破綻で終わらせるなどの物語の改変によって、国つ神の祟りや凶兆を受けた御子は天皇の位につけないという古事記中巻の定型[注 2]に当てはめ、ホムチワケが皇位を継承できない理由を説明しているとする説がある[5]。この他にも、前述されるキヒサツミによる饗膳を出雲の服属を表しているとしたうえで、献上しようとしたら御子が言葉を発したため服属が完了せず、加えてヒナガヒメとの結婚の失敗を語ることによって出雲と中央政権との関係が改善しなかったことを示し、後の景行天皇条でのまつろわぬ者としての出雲の描写に繋がっていくとする見方もある[6]

祀る神社

式内社の富能加神社に比定される。社伝には本牟智和氣尊が火中で誕生したためホナカ→ホノカになったとあるが、『出雲国風土記』の社名(保乃加社と記載)は地名に由来を持つ例が多いため、有力な説とは考えがたい。ホノカがホナカ・ヒナガに類似しているため、後世に『古事記』の伝承と結びつけられたと思われる。式内社の富能加神社に比定されるが、所原の地は古代は無人であった可能性があるため、稗原にある社(後述)も候補として挙げられている[7]

  • 市森神社(島根県出雲市稗原町) - 合祀

明治4年に神門郡稗原村(現:出雲市稗原町)の富能加神社を境内末社に定める[7]。『出雲国風土記』神門郡の不在神祇官社である加夜社に比定される[8]

脚注

注釈

  1. ^ 伊耶那美命は辱(はぢ)、豊玉毗売は恥(はづかし)である。
  2. ^ 景行記の倭建命に対する白猪、仲哀記の香坂王忍熊王に対する怒り猪がこれに該当。

出典

  1. ^ a b c 西郷 1988, pp. 254–255.
  2. ^ 中村 2009, pp. 126–128, 346–349.
  3. ^ a b 尾崎 1966, p. 392.
  4. ^ a b 次田 1980, p. 122.
  5. ^ a b 長野 1998, pp. 47–51, 60–63.
  6. ^ 岡本 2007, pp. 68, 73–74.
  7. ^ a b 藪 1983, pp. 665–667.
  8. ^ 中村 2015, p. 196.

参考文献

  • 岡本恵理「垂仁記と出雲─「葦原色許男大神」を中心に─」『上代文学』第98号、上代文学会、2007年4月、ISSN 0287-4911 
  • 尾崎暢殃『古事記全講』加藤中道館、1966年4月。 NCID BN01666958 
  • 西郷信綱『古事記注釈 第三巻』平凡社、1988年8月。ISBN 978-4-582-35703-5 
  • 次田真幸『古事記(中)全訳注』講談社講談社学術文庫〉、1980年12月10日。ISBN 4-06-158208-9 
  • 中村啓信 訳注『新版 古事記 現代語訳付き』KADOKAWA角川ソフィア文庫〉、2009年9月25日。ISBN 978-4-04-400104-9 
  • 中村啓信 監修・訳注『風土記 上 現代語訳付き』KADOKAWA〈角川ソフィア文庫〉、2015年6月25日。ISBN 978-4-04-400119-3 
  • 長野一雄「第一章 本牟智和気の不毛な神婚」『古事記説話の表現と構想の研究』おうふう、1998年5月、初出1995年1月。ISBN 4-273-03025-X 
  • 藪信男 著「160 富能加神社」、式内社研究会 編『式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4』皇學館大学出版部、1983年2月。ISBN 978-4-87644-037-5 

関連項目

外部リンク

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