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「ノート:お雇い外国人」の版間の差分

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Whisper (会話 | 投稿記録)
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:直接の事例としては、[[藤田豊八]]や川島浪速、服部宇之吉など有名人がおり、教育関係以外の「「お雇い外国人」」では[[袁世凱]]の顧問をつとめた有賀長雄やF.グッドナウ、海関総税務司だったR.ハートなど幾人もいます。
:直接の事例としては、[[藤田豊八]]や川島浪速、服部宇之吉など有名人がおり、教育関係以外の「「お雇い外国人」」では[[袁世凱]]の顧問をつとめた有賀長雄やF.グッドナウ、海関総税務司だったR.ハートなど幾人もいます。
:さて上記のように研究者たちは日本以外の事例にも使用していますが、あなたは「日本語「お雇い外国人」の定義はそれ以外何物でもありません」と断言されています。どのような研究を根拠に言われているのですか。その提示を願います。--[[利用者:Tears for Asia|Tears for Asia]] 2006年12月16日 (土) 07:29 (UTC)
:さて上記のように研究者たちは日本以外の事例にも使用していますが、あなたは「日本語「お雇い外国人」の定義はそれ以外何物でもありません」と断言されています。どのような研究を根拠に言われているのですか。その提示を願います。--[[利用者:Tears for Asia|Tears for Asia]] 2006年12月16日 (土) 07:29 (UTC)

『お雇い外国人』は「幕末以降、明治初期に、日本の政府や各府県、民間において殖産興業のため欧米の技術や学問、制度の輸入のために、雇用した欧米人のこと」で一種の定義を含んで定着した言い回しの日本語名称です。日本語の定義ですから「定義が日本寄り過ぎ」と苦言を呈するのは失当です。『他国では『お雇い外国人』という日本語は使用されません。これで理解できない方には何を言っても無駄でしょう。[[利用者:Whisper|Whisper]] 2006年12月17日 (日) 05:39 (UTC)

2006年12月17日 (日) 05:39時点における版

長崎・横須賀製鉄所(幕末)

政府が雇い入れた外国人は1875(明治8)年には527人(技術者 205人、学校教師 144人)

  • モース
  • ナウマン
  • ボアソナード
  • フルベッキ

ごくマイナーな人物も入れるべきかどうか?

ある程度業績を残していて、研究書がでていたり、記念碑、記念館があったり、教え子たちが活躍していたりといった方がここにふさわしいかと。ケーベル先生やクラーク先生みたいな、あるいはそれに近いような人。書物が出ていたらそのリストも必要かもと思います。Mishika 2004年10月17日 (日) 00:35 (UTC)[返信]

キヨッソーネはどちらかというと印刷技術、では?0null0 2005年1月20日 (木) 06:04 (UTC)[返信]

ではなくて画家です。紙幣のデザインもしてますが… --忠太 2005年1月20日 (木) 13:48 (UTC)[返信]

「政府関係では、1872年(明治5年)時点で214人であった。中でも外国人を最も多く雇用していたのは工部省で、その発足から廃止まで(1870年-1885年)の間に総計580人の外国人を雇っており、最も多かった1874年(明治7年)には鉄道関係を中心に290人を数えたという[要出典]。」

以上の記述が「要出典」となってますが、出典は忘れてしまいました。研究書の類ではなくて孫引きの本だったと思いますが…。 --忠太 2006年11月17日 (金) 17:22 (UTC)[返信]

他国のお雇い外国人について

汪向栄(著),浅野純一・竹内 実・中裕史(翻訳)『清国お雇い日本人』(朝日新聞社、1991、ISBN 4022562560)という本がありますように「お雇い外国人」という概念は他国にもあります。今現在の定義は日本寄り過ぎではないでしょうか。--Tears for Asia 2006年12月14日 (木) 03:41 (UTC)[返信]

『清国お雇い日本人』と翻訳されたのは日本での「お雇い外国人」を踏まえた概念からと普通に考えが及びませんか?「定義が日本寄り過ぎ」だとしてわざわざ提起してどうしたいというのですか?Whisper 2006年12月14日 (木) 15:53 (UTC)[返信]
『清国お雇い日本人』という本を例として挙げたのは、この記事で説明している「お雇い外国人」と相通ずる概念があるからと普通に考えが及びませんか? わざわざマナーを失するような書き方をしていますが、記事をよくしようというお考えがあるのですか。--Tears for Asia 2006年12月14日 (木) 18:24 (UTC)[返信]

日本の「お雇い外国人」と相通ずる概念がある汪向栄(著)の本の原タイトルは?日本語「お雇い外国人」の定義はそれ以外何物でもありません。具体的にはどうされたいのですか?Whisper 2006年12月14日 (木) 18:44 (UTC)[返信]

「お雇い外国人」が他国にないとする根拠は何ですかね。どこがどう違うのか説明してください。
どうしたいのか、という問いには先に書いたように他国における「お雇い外国人」も書くことが可能なようにしてはどうかということです。
後汪向栄本の原題は『日本教習』です。--Tears for Asia 2006年12月15日 (金) 18:04 (UTC)[返信]

『清国お雇い日本人』か『日本教習』の項目名で別にお書きになってリンクを貼るなりは別にいいと思いますよ。日本の芸能界の「御三家」や「新御三家」など、一種の定義を含んで定着した名称を「定義が日本寄り過ぎ」と言っても変えようが無いのと同じことでしょう。『お雇い外国人』は「幕末以降、明治初期に、日本の政府や各府県、民間において殖産興業のため欧米の技術や学問、制度の輸入のために、雇用した欧米人のことである。」ですから。Whisper 2006年12月15日 (金) 20:36 (UTC)[返信]

「お雇い外国人」ということばは、日本に限定せず使われています。特に日本人に限定する場合は「お雇い日本人」と表記されています。たとえばさきの『清国お雇い日本人』のあとがきにおいて元京都人文科学研究所所長であった竹内実氏は「かつて明治政府はお雇い外国人教師を東京帝国大学などにおいたが、清国に雇われた日本人教師は、その「清国版」といってもよいだろう」と述べています。また『国立教育研究所紀要』115集(1988年)は「お雇い日本人教習の研究」という副題をつけ、その特集を組んでいるほど学会では当たり前に使用しています。(ここでは10本ほどの清朝や韓国に雇われた日本人について研究している)。この他『中国の近代化教育と明治日本』(福村出版、1990)や『日中教育文化交流と摩擦』(第一書房、1983)など複数研究が上梓されています。一例を挙げると後者所収の稲葉継雄論文には「旧韓国におけるお雇い外国人の全般的状況」という一節も設けられています。このほかネットで簡単に確認できる例としては宮脇淳子「『モンゴルの歴史』出版に関する文献探索」があり、「お雇い外国人」ということばが日本以外にも使用されていることが確認できます。わたしが説明するまでもなく宮脇淳子氏は岡田英弘氏のお内儀であり、北アジア史の研究者でいくつも研究書を上梓されています。
直接の事例としては、藤田豊八や川島浪速、服部宇之吉など有名人がおり、教育関係以外の「「お雇い外国人」」では袁世凱の顧問をつとめた有賀長雄やF.グッドナウ、海関総税務司だったR.ハートなど幾人もいます。
さて上記のように研究者たちは日本以外の事例にも使用していますが、あなたは「日本語「お雇い外国人」の定義はそれ以外何物でもありません」と断言されています。どのような研究を根拠に言われているのですか。その提示を願います。--Tears for Asia 2006年12月16日 (土) 07:29 (UTC)[返信]

『お雇い外国人』は「幕末以降、明治初期に、日本の政府や各府県、民間において殖産興業のため欧米の技術や学問、制度の輸入のために、雇用した欧米人のこと」で一種の定義を含んで定着した言い回しの日本語名称です。日本語の定義ですから「定義が日本寄り過ぎ」と苦言を呈するのは失当です。『他国では『お雇い外国人』という日本語は使用されません。これで理解できない方には何を言っても無駄でしょう。Whisper 2006年12月17日 (日) 05:39 (UTC)[返信]

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