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「キューバ」の版間の差分

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公式の英語表記は、''Republic of Cuba''。通称、''Cuba''。
公式の英語表記は、''Republic of Cuba''。通称、''Cuba''。


日本語の表記は、'''キューバ共和国'''。通称、'''キューバ'''。スペイン語で ''Cuba'' を'''クーバ'''と発音するので、クーバと呼ぶ人もいる。
日本語の表記は、'''キューバ共和国'''。通称、'''キューバ(玖馬)'''。スペイン語で ''Cuba'' を'''クーバ'''と発音するので、クーバと呼ぶ人もいる。


==歴史==
==歴史==

2004年9月4日 (土) 11:06時点における版

キューバCuba)は、正式国名キューバ共和国República de Cuba)で、首都はハバナ(現地ではLa Habana「ラ・アバーナ」と呼ぶ - "Havana"は英語表現)。ラテンアメリカで、地理的には北アメリカに含まれるが、広義の中央アメリカにも含まれる。カリブ海域のメキシコ湾の入口、フロリダ州の南145kmに位置するキューバ本島、「青年の島」、1600余りの小島と多島海から成る広大な群島からなる、日本の半分ほどの面積島国である。「アメリカの裏庭」と俗に呼ばれたりするが、裏庭どころではなく、南北アメリカを結び、ヨーロッパから中南米を結ぶ要路に位置している。特に、ハバナ港は良港で、古くから通商の要衝として栄えてきた。南北アメリカで最初の社会主義共和国として独自の道を歩んでいるため、「カリブに浮かぶ赤い島」と形容されることもある。

キューバ共和国
República de Cuba
キューバの国旗 キューバの国章
詳細 拡大
国の標語: Patria y Libertad
(スペイン語: 祖国と自由)
キューバの位置
公用語スペイン語
首都ハバナ
国家評議会議長
閣僚評議会議長
フィデル・カストロ
面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第103位
110,860km²
極僅か
人口
 - 総計(2004年
 - 人口密度
世界第70位
11,308,764
102人/km²
GDP (PPP)
 - 合計(2003年
 - 1人当たり
世界第85位
315億9,000万ドル
2,800ドル
独立
 - 宣言
 - 承認
スペインから
1868年10月10日
1902年5月20日
通貨キューバペソ
時間帯UTC -5
国歌バヤモの歌
ccTLD.CU
国際電話番号53

国名

正式名称はスペイン語でRepública de Cuba。通称、Cuba

公式の英語表記は、Republic of Cuba。通称、Cuba

日本語の表記は、キューバ共和国。通称、キューバ(玖馬)。スペイン語で Cubaクーバと発音するので、クーバと呼ぶ人もいる。

歴史

キューバは1492年10月27日コロンブスの第一次航海で「発見」された島である。当時、島には先住民がいたが、植民地化が進むとともにほぼ絶滅したとされる。スペイン人によるキューバの植民地化は同時に砂糖産業、奴隷産業を盛んにし、キューバはスペイン中南米の中継地点として著しく発展を遂げる。19世紀初め、それまでスペインの専売だった葉巻の販売が自由化されると、キューバは砂糖に加えて葉巻の通商でも富を得るようになり、キューバ国内ではしだいに独立の気運が高まった。

独立闘争は1868年に始まり、1898年のスペイン・アメリカ戦争(米西戦争)による米国の介入まで続いた。米国の勝利より1902年5月20日、400年に及ぶスペイン支配から解放され、形式的ではあれ独立を勝ち取ったが、それは同時に米国による支配の始まりでもあった。この年、キューバ国憲法に盛り込まれたプラット修正条項(Platt Amendment)には、米国の内政干渉権、グァンタナモ、バイア・オンダの二箇所に米国の軍事基地を置くなどが盛り込まれ、実質的には米国の統治下におかれた。

米国の支配は、フルヘンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista)の登場で頂点に達した。1933年からキューバ政治の主役を演じてきたバティスタは、1952年にクーデタで政権を奪取し独裁政治を開始。バティスタ政権・米国政府・米国企業・マフィアという4者によって富を独占、富は米国本土に流れるようになる。

1953年7月26日、上記のようなアメリカによる半植民地状態の克服を夢見た弁護士フィデル・カストロ(Fidel Castro Ruz)率いる青年たちが蜂起(モンカダ兵営襲撃)し、失敗に終わった。投獄されたカストロは、恩赦によって出獄すると反政府組織「7月26日運動(M26)」を結成、同志とともにメキシコに亡命した。この地でアルゼンチン人医師のチェ・ゲバラ(Ernesto "Che" Guevara Lynch)と出会ったカストロらはゲリラ戦訓練を受け、1956年12月にヨット「グランマ」号にのってキューバに上陸。シエラ・マエストラ山脈を拠点として政府軍を相手に2年余りのゲリラ闘争を行った末、ついに1959年1月1日バティスタを国外逃亡に追い込み、これによって革命政権が誕生した。バティスタ政権という傀儡政権を失った米国は、革命政権とは別の政権樹立に向けた動きを見せていたが、5月に革命政権により実施された徹底した農地改革に直面したことによって、革命政権を敵視するにいたった。おりからの米ソ対立の影響を受け、米国に敵視された革命政権はソ連に接近し、1960年にソ連と正式な外交関係を結んだ。

米国政府との対立が決定的になると、キューバ政府は国内からの米国企業の排除に努め、米国資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行・商業・工業の大企業を国有化する。1961年、米国政府はキューバとの外交関係を断絶し、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止した。そして1962年2月3日に米国のケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を行うと発表した。

略年表

  • 1492年 コロンブス、キューバ島に到着(12月27日)
  • 1509年 ディエゴ・ベラスケス、キューバ総督に任命
  • 1868年 第一次独立戦争(10年戦争)開始
  • 1895年 ホセ・マルティ、オリエンテのラプライータに上陸、第二次独立戦争開始。(4月10日)
  • 1898年 米西戦争(2月)
  • 1902年 独立、エストラーダ・パルマ政権発足(5月)
  • 1952年 バティスタ軍曹のクーデター(3月)
  • 1953年 モンカダ兵営襲撃(7月26日)、モンカダ裁判(9月)
  • 1955年 フィデル・カストロ恩赦、メキシコへ亡命
  • 1956年 グランマ号でオリエンテ州に上陸(12月)
  • 1957年 革命幹部会による大統領官邸襲撃(3月)
  • 1958年 反乱軍の最終攻勢始まる
  • 1959年 バティスタ大統領亡命(1月1日)
    • 2月17日 フィデル・カストロ、首相に就任、革命政権成立(キューバ革命
    • 4月15日 フィデル・カストロ、ニューヨークへ米国政府に対する表敬訪問、米国政府は黙殺
    • 5月17日 農地改革法公布
  • 1960年 米国政府、キューバ砂糖輸入割当廃止の意向発表
    • 2月4日 ミコヤン・ソ連副首相訪問、キューバ・ソ連通商条約調印
    • 4月4日 ユナイテッド・フルーツ社の所有地接収
    • 6月29日 石油会社テクサコ製油所介入
    • 7月1日 石油会社エッソ、シェルの製油所介入
    • 7月2日 米国政府、キューバ砂糖輸入割当制度を廃止
    • 8月6日 米国企業接収
  • 1961年 米国と外交関係断絶(1月3日)
    • 4月4日 傭兵軍航空機によるハバナ等への航空施設爆撃。
    • 4月16日 フィデル・カストロ、社会主義革命宣言
    • 4月17日 反革命傭兵軍上陸事件(~19日)(ピッグズ湾事件)
    • 4月25日 米国、対キューバ全面的貿易封鎖発表
  • 1962年 キューバ危機10月15日)、ケネディ大統領、対キューバ海上封鎖宣言(10月22日
    • 10月27日 オリエンテ州北部でU-2機撃墜
    • 10月28日 フルシチョフ・ソ連首相、ミサイル撤去受け入れ
  • 1963年 フィデル・カストロ、初のモスクワ訪問
  • 1965年 キューバ共産党結成
  • 1967年 フィデル・カストロ、チェ・ゲバラの死亡を発表
  • 1975年 第一回共産党大会、アンゴラ派兵本格化
  • 1976年 新憲法制定
  • 1977年 米国と利益代表部設置で合意
  • 1981年 ニカラグアへ派遣した教師が暗殺
  • 1989年 ブッシュ政権成立、ベルリンの壁崩壊
  • 1991年 ソ連崩壊
  • 1992年 憲法改正。米国でトリチェリ法*成立、ブッシュ大統領が署名
    • *米国のロバート・トリチェリ下院議員が提案した。一般にはCDA(Cuban Democracy Act)と呼ばれる。おもな内容は以下の通り。
      1. 米国籍企業の海外支店がキューバと貿易することを禁止するもの
      2. 米国市民がキューバに旅行することを禁止するもの
      3. キューバ人亡命者が家族に送金することを禁止
  • 1993年 ドル所有の合法化
  • 1994年 米・キューバ移民協議、難民問題で米国政府と合意
  • 1996年 米国でヘルムズ・バートン法* 成立、クリントン大統領が署名
    • *ジェシー・ヘルムズ上院議員が提案。一般にはヘルムズ・バートン法(Helms-Burton Act)と言われているが、正式には「キューバ解放と民主連帯法」(the Cuban Liberty and Democratic Solidarity Act)という。主な内容は以下の通り。
      1. 米国人は接収財産に関わる取引をした外国企業に対し所有権を要求する権利を持つこと
      2. 接収資産と関わる企業は米国への入国を禁止すること
    • しかし、この法律はヨーロッパや中南米を中心とする国際的非難を浴びている。
  • 1998年 ローマ教皇のキューバ訪問
  • 1999年 米国、対キューバ経済制裁の一部緩和措置発表、エリアン少年事件
  • 2000年 米国による対キューバ経済制裁の一部緩和措置発表
  • 2001年 米国からへの食糧購入開始
  • 2002年 カーター米元大統領キューバ訪問

最近の動向

アメリカ合衆国下院は2003年9月9日、米国人のキューバ訪問禁止解除の法案を可決(今回で4度目の可決、賛成227、反対188)。10月23日には上院も同趣旨の法案を可決(賛成59、反対38)。いずれもブッシュ大統領の所属する共和党主導で行なわれた。連邦財務省の試算によれば、2002年に合法的にキューバを訪問した米国人は約16万人で、うち半数はキューバ系米国人、ほかに人権団体、教育関係者、ジャーナリスト、外交官など。それ以外に罰金・禁固刑のリスクをかえりみず、カナダメキシコ経由で違法にキューバ渡航する者も多いと財務省当局はみている。レーガン大統領の時代、罰則は25万ドルの罰金と10年の懲役へと引き上げられている。渡航禁止が解除された場合、初年度の渡航者は100万人に達すると財務省は試算。

国連総会は11月4日、米国の42年間におよぶ対キューバ通商禁止解除を求める決議を可決(賛成179、反対3、反対はイスラエルとマーシャル諸島、アメリカ合衆国。この決議は今年で12回目)。米国上院はさらに、外交委員会が渡航禁止解除を決議(11月6日)。

ブッシュ政権は来年(2004年)の大統領選に向け、大票田、フロリダ州のキューバ系米国人票をつなぎ止めるため、上下両院で可決された法案に対し拒否権発動の姿勢を崩さない。キューバとの通商はフィデル・カストロを利するだけで、一般のキューバ人への利益にはならないというのがブッシュ政権の説明。

米国が農産物を輸出する国として、2年前、キューバは第208位であったが、現在は第35位を占めるまで急上昇している。また、かつては世界で有数の砂糖生産国であったキューバも、現在さとうきび畑の大部分を転作化、先頃開かれていたハバナでの国際貿易フェアで、米国からの参加者に砂糖の輸入を打診した。

表向きは経済制裁を継続していたはずのクリントン政権時代にハバナの米国利益代表部は大改築を行ない、現在は巨大なビルへと変貌している。

政治

地方行政区分

1977年に14の州と169の自治体に再編成され、「青年の島」は特別自治体*に指定されている。州は西から東に向かって、

  • ピナール・デル・リオ(Pinar del Río)
  • 青年の島 * 「特別自治体」(Isla de la Juventud)
  • 西ハバナ(Ciudad de La Habana)
  • ハバナ市(La Habana)
  • マタンサス(Matanzas)
  • ビーリャ・クララ(Villa Clara)
  • シエンフエーゴス(Cienfuegos)
  • サンクティ・スピリトゥス(Sancti Spirítus)
  • シエーゴ・デ・アビラ(Ciego de Avila)
  • カマグエイ(Camagüey)
  • ラス・トゥーナス(Las Tunas)
  • オルギン(Holguín)
  • グランマ(Granma)
  • サンティアーゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)
  • グアンタナモ(Guantánamo)

と名付けられている。

地理

キューバの地図

キューバ本島はカリブ海で最大のであり、長さは1200km、幅は191kmから31kmに及ぶ。島は長くて狭く、海岸線には入江砂州や大小の半島があるが、その地形からして水量の豊かな長いは存在しない。島の4分の1は山岳地帯となっている。最高峰は標高2000mのトルキノ山で東部山系のマエストラ山脈に属している。しかし、東部と中部、そして西部の山岳地を除けば大部分は200m以下の傾斜地や平坦地であり、土壌も良好で、農業生産に適した土地であるということもできる。

南北アメリカの間の恵まれた位置から、かつては「メキシコ湾の真珠」とも呼ばれた。北にはフロリダ海峡バハマ水域、南にはカリブ海とジャマイカ、西にはユカタン海峡、東にはパソ・デル・ビエントス海峡によって隔てられているハイチ共和国がある。

グァンタナモ湾には、1903年以来、現在にいたるまでアメリカ合衆国(米国)の軍事基地、グァンタナモ基地がある。

気候

キューバの気候は亜熱帯性海洋気候で、年間の平均気温は摂氏25.5度、夏の気温は27度、冬の気温は21度である。貿易風が吹くため、暑い夏も比較的しのぎやすい。とはいえ、冬でも日中は25度以上になる。乾期は11月から4月、雨期は7月から10月。ハリケーンは9月と10月に多い。

経済

伝統的主要産業は砂糖、ニッケル、海産物である。1990年代初頭、経済的に依存していたソ連圏の崩壊でキューバ経済は打撃を受けた。この厳しい状況から脱却を図るため、1993年頃より外貨所持解禁、自営業の一部許可、独立採算制の農業組合制度をつくり、経済・財政改革措置を実施、また観光・資源部門での外資誘致を積極化した。農業分野においてはモノカルチャーの砂糖生産依存から脱皮を図るため、有機農業(organoponicos)へのシフトが顕著となっており、日本の生協などとの取り引きも行なわれるようになっている。

1996年、ソ連崩壊と、相次ぐ米国の経済制裁法(トリチェリ法、ヘルムズ・バートン法)によって一時は食糧不足に苦しんだこともあったが、現在は、カナダヨーロッパからの観光客も増加して活況を呈するようになってきた。

それでも近年、主要産業であった砂糖の減産、砂糖の国際価格の低迷、アメリカ同時多発テロの影響による観光収入の減少、ハリケーン災害、エネルギー供給不足等により、経済状況は楽とはいえないが、キューバの主要産業となった観光業は2003年前半は好調、6月末には100万人を突破した。

国民

住民の人種構成は、混血51%、白人37%、黒人11%、中国系1%である。

言語

公用語はスペイン語であるが、観光業に力を入れていること、米国本土に近いこと、そして公教育の普及率(国民の大半は高校を卒業している)などから、ホテル、レストランなどでは英語が通じることもある。 識字率は、全体で95.7%(女性95.3%、男性96.2%)と高い(1995年調査)。

宗教

カストロ政権前は85%がカトリックであった。その他にプロテスタントエホバの証人ユダヤ教サンテリアなどがあげられる。

文化

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日解放記念日
5月1日メーデーDía de los trabajadores
7月26日革命(モンカダ兵営襲撃)記念日
10月10日独立戦争開始記念日Día de la Independencia
12月25日クリスマスNavidad

関連項目

関連文献

  • アルフォンソ・エルナンデス,カルメン・R.著、神代修訳『キューバガイド キューバを知るための100のQ&A』海風書房、1997年10月、ISBN 4768488587
  • 板垣真理子著『キューバ、愛! ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブと音楽揺籃の地への旅』作品社、2000年8月、ISBN 4878933658
  • 板垣真理子著『キューバ、甘い路上』フィールドワイ、2002年6月、ISBN 4901722042、(写真集)
  • 大窪一志著『風はキューバから吹いてくる ソシアリスモ・ラティーノ(ラテン的社会主義)見聞』同時代社、1998年6月、ISBN 4886833950
  • 大須賀猛著『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブとキューバ音楽の手帖』水声社、2000年2月、ISBN 4891764163
  • 海風書房編『キューバ万華鏡 私のキューバ体験』海風書房、2000年7月、ISBN 4768488749
  • 後藤政子著、神奈川大学評論編集専門委員会編『キューバは今』(『神奈川大学評論ブックレット』17)、御茶の水書房、2001年7月、ISBN 4275018680
    • 文献あり
  • 後藤政子、樋口聡編著『キューバを知るための52章』(『エリア・スタディーズ』)、明石書店、2002年12月、ISBN 4750316644
  • さかぐちとおる著『キューバ音楽紀行』東京書籍、2000年8月、ISBN 4487796067
  • 首都圏コープ事業連合編『有機農業大国キューバの風 生協の国際産直から見えてきたもの』、緑風出版、2002年4月、ISBN 4846102041
  • WCG編集室編『キューバ 情熱みなぎるカリブの文化大国』(『ワールド・カルチャーガイド』[The world culture guide series]20)、トラベルジャーナル、2001年7月、ISBN 4895594955
  • 鉄矢多美子著『熱球伝説 キューバリナレスを育てた野球王国』岩波書店、1997年8月、ISBN 4000017934
  • 樋口聡著『キューバへ カリブ楽園共和国探訪記』批評社、1995年12月、ISBN 4826501978
  • 樋口聡著『カリブの楽園キューバで恋するサルサラム酒とカーニバル』(『祥伝社黄金文庫』)、祥伝社、2001年4月、ISBN 4396312512
  • 樋口聡著『キューバのうた 旅するカメラ 記憶するカメラ』、論創社、2002年11月、ISBN 4846004325
  • ペタビーノ,ポーラ、パイ,ゲラリン著、草深直臣、金井淳二、新野守訳『キューバのスポーツ』創文企画、1999年3月、
    • Paula J. Pettavino, Geralyn Pye, Sport in Cuba: The Diamond in the Rough (Pitt Latin American), University of Pittsburgh Press, Aug 1994, ISBN 0822955121, ISBN 0822937646
  • 村上龍著、河野治彦データ執筆『新世界のビート 快楽のキューバ音楽ガイド』新潮社、1993年7月、ISBN 4103934018
  • 吉田太郎著『200万都市が有機野菜で自給できるわけ 都市農業大国キューバ・リポート』、築地書館、2002年8月、ISBN 4806712493
  • 吉田太郎著『有機農業が国を変えた 小さなキューバの大きな実験』、コモンズ、2002年8月、ISBN 4906640540
  • 吉田太郎著『1000万人が反グローバリズムで自給・自立できるわけ スローライフ大国キューバ・リポート』築地書館、2004年1月、ISBN 4806712779
  • 八木啓代、吉田憲司著『キューバ音楽』、青土社、2001年2月、ISBN 4791758617
    • 文献あり、並列タイトル: La musica en Cuba

外部リンク

公式

その他


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